行ってきたら
目次
行ってきたら
本書はフィクションである。環境省、国際交渉の枠組み、排出係数に係る国内制度といった実在の制度・機構の名称を用いているが、本書に描かれる会議、文書、交渉経過、およびそこでの判断と言動は、すべて創作である。東洋電力エナジー株式会社をはじめとする企業、団体、および登場人物は、すべて架空であり、実在のいかなる組織・個人とも関係がない。作中で述べられる制度の理解は、登場人物がその場で持っていたものにすぎない。
第一項 紙が二十センチ、菜の花が百六十八円
四月一日の朝、私は自分の席に、他人の紙を置かれた。
黒木恒彦という人が置いていった。五十一歳。この会社に二十九年いて、そのうち八年を経営企画にいた人。異動先は九州の火力の事業所で、辞令が出たのが三月の二十六日、引継の時間として与えられたのが実質三日間だった。三日で八年を渡すというのは、要するに渡さないということである。それを黒木さんもわかっていて、私もわかっていて、それでも二人とも真面目な顔で机の脇に立っていた。
紙の束は、二十センチあった。
「上から順に、切れば切れます」と黒木さんは言った。「下の十センチは、僕も三年開けてません」
「開けなくても回りましたか」
「回りました」
「じゃあ十センチは資産ですね」と私は言った。「開けなくていい紙が十センチあるって、たぶんこの部署でいちばん価値のある情報です」
黒木さんは、少し笑った。それから、いちばん上の一枚を指で叩いて、これだけは四月十日までに読んでください、と言った。中期経営計画の、社内向けの説明資料だった。分厚くはなかった。四十ページ。よくできていた。よくできている資料はたいてい、書いた人が何を書かなかったかを、読む人に一切見せない。
黒木さんはその日の午後の便で福岡に発った。壮行の飲み会は前の週に済んでいて、私はそこにいた。会費は五千円で、料理は最初に来た刺身がいちばんよかった。
◇
東洋電力エナジー株式会社。TOYO POWER ENERGY。火力の発電と、その燃料の調達をやっている会社である。石炭とLNGを世界中から買って、船で運んで、燃やして、電気にして売る。それだけといえばそれだけで、それだけのことに三千二百人が要る。
私はその経営企画部門の、企画一課という部署にいる。課長は青柳さんという五十四歳の人で、私は課長代理。部下が三名。転職して一年目で部下が三名というのは、この会社の中では珍しいらしく、珍しいらしいということを私は三人のうちの一人から聞いた。
三人の名前は、沢口千夏、川辺、遠山。沢口さんは二十九で、いちばん仕事が速い。川辺くんは三十四で、私と同い年で、それを気にしていないふりを非常にうまくやる。遠山くんは二十六で、まだ何もかもが手続きに見えている時期にいる。
四月一日の午前中、私はこの三人と一人ずつ十五分ずつ話した。何をやっているかではなく、何をやらされていて何を自分でやっているか、の比率を聞いた。三人とも最初は質問の意味がわからず、二人は途中でわかった。
昼は地下の食堂で日替わりを食べた。鶏の南蛮漬けと、味噌汁と、切り干し大根。切り干し大根がやたらとうまくて、私は三回に分けて食べた。おかずの中でいちばんうまいものを最後に残す癖が、四十を六年後に控えていまだに直らない。
午後は紙を読んだ。読みながら、五本のマーカーを使い分ける気力が湧かないことを確認して、結局、折るだけにした。上の角を折るのが「今週」、下の角を折るのが「四月中」、折らないのが「たぶん一生読まない」。夕方までに折られた紙は、上が十一枚、下が二十三枚だった。
七時に会社を出た。日比谷から日比谷線に乗って、広尾で降りて、駅の上のスーパーで、菜の花と、豚こまと、卵を買った。菜の花が一束百六十八円で、これは春の値段だと思った。家に帰って、湯を沸かして、菜の花を茹でて、辛子と醤油で和えて、豚こまを焼いて、卵を落として、それをぜんぶ立ったまま食べた。座って食べたほうがいいと知っているし、座って食べていた時期もある。
風呂に入って、髪を乾かして、十一時前に寝た。転職して一年目の四月一日というのは、そういう日である。
◇
役所を出た日のことは、思っていたよりよく覚えている。
ただ、覚えているのは順番だけで、何かがあった日ではない。二月の終わり、辞令が出て、三月三十一日が最後で、その日は月曜だった。
朝、いつもの時間に着いた。地下鉄の霞ケ関の、A十三の出口から出て、庁舎に入った。カードをかざす。入館に使う札が職員証を兼ねたマイナンバーカードに替わったのは二年前で、写真もそのときに撮り直した。それまでの八年は、入省二年目に撮った顔で通っていた。誰も見ていない。私も見ていない。
午前中は、返却物を出しに行った。パソコン、携帯、カードキー、鍵、書庫の入退室の権限。返却は課ごとではなく、種類ごとに窓口が違う。三か所を回って、三か所目で、担当の人が「あ、鵜飼さん、これ、もう一枚あるはずなんですけど」と言った。
「もう一枚」
「二十六年度のやつです。古い様式の」
私は自分の引き出しを思い出した。いちばん下の、書類が縦に入るところの、いちばん奥。
「たぶんあります。持ってきます」
「すみません、ないと処理が終わらなくて」
「終わらないと困る側にいるので、持ってきます」と私は言った。担当の人は笑わなかった。まだ午前中だったからだと思う。
部屋に戻って、引き出しを開けた。あった。二十六年度の様式のカードは、いまのより一回り小さくて、角が丸かった。角が丸いものは、いつのまにか角が四角くなる。誰が決めたのかは知らない。
昼は、外に出た。桜田通りを渡って、ビルの地下の、いつもの蕎麦屋に行った。かけと、いなり一つ。この店には十一年通って、店の人と一度も雑談をしなかった。最後だからといって、しなかった。
午後、荷物を出した。段ボールは二箱で、そのうち一箱は本だった。もう一箱には、湯呑みと、ひざ掛けと、置き傘と、卓上の加湿器が入った。加湿器はもう動かないのを知っていて、それでも入れた。
四時ごろ、隣の島の若い子が来て、「これ、よかったら」と言って、引き出しの菓子をくれた。個包装のバウムクーヘンが六個と、賞味期限の切れかけた柿の種が二袋。彼女は「配って回ってるんです」と言った。彼女も異動だった。三月三十一日は、そういう日である。
「柿の種、期限が」
「切れてます」
「じゃあもらう」
「切れてるからもらうんですか」
「切れてるほうが早く食べるので」と私は言った。「期限のあるものは、期限があるうちに食べようと思うと、なぜか置いておくんです」
彼女は「わかります」と言って、次の島へ行った。私はバウムクーヘンを一つ、その場で食べた。
五時半に、課の人たちが集まって、花束をもらった。挨拶をした。二分くらい。何を言ったかは覚えていない。覚えていないというより、そのとき使った言葉は全部、前の週の壮行会と、その前の週の別の人の挨拶と、その前の年の誰かの挨拶と、同じ形をしていた。この庁舎の中には、送り出すための文型が完成されていて、皆それを借りて話す。借り物であることを咎める人はいない。むしろ、そこで自分の言葉を使う人のほうが、少し場を困らせる。
私は困らせなかった。十一年、そういう選択の連続でできている。
拍手があって、終わった。
荷物は宅配で出した。花束だけ抱えて、エレベーターで下りた。エレベーターの中に、知らない人が三人いた。三人とも私の花束を見て、目を逸らした。逸らすのが礼儀の建物である。
一階まで下りずに、地下で降りた。地下から地下鉄に入れる。十一年、雨の日はそうしていた。その日は雨ではなかった。それでも地下から出た。
地下鉄のホームで、花束を持ったまま電車を待った。ホームは春休みの家族連れがいて、子供が二人、柱の周りを走っていた。母親が名前を呼んだ。呼ばれた子は止まらなかった。電車が来て、乗って、座れなかった。花束は、座れないと持て余す。
家に着いて、花束を解いた。ガーベラと、スイートピーと、かすみ草。花瓶がなかったので、麦茶のポットに挿した。水を入れて、キッチンの窓際に置いた。翌朝、スイートピーだけが早く終わった。
その日の夜に何を食べたかは、覚えていない。
◇
四月の二週目に、青柳課長に呼ばれた。会議室ではなく、自販機のところだった。この会社の人は、重要度の低い話を会議室でして、重要度の高い話を自販機の前でする。役所は逆だった。役所は、重要度の低い話を廊下でして、重要度の高い話は、そもそもしない。
「鵜飼さん、あの紙、読んだ?」
「四十ページのほうは読みました。二十センチのほうは、上の三センチです」
「三センチで足りる」
「黒木さんも同じことを言ってました」
青柳さんはコーヒーのボタンを押して、出てくるのを待つあいだ、こう言った。
「黒木の代わりに鵜飼さんを入れたのは、あの人の後を継がせるためじゃないんだよ」
「わかってます」
「わかってる?」
「あの紙を、また二十センチにする人が要るんだと思ってます」と私は言った。「減らす人じゃなくて」
青柳さんは、コーヒーを取り出して、少し黙って、それから、「そういう言い方をするから、うちに来たんだろうな」と言った。褒めているのか、確かめているのか、判別できなかった。判別できない言い方をする人は、たいてい両方である。
私は自分のぶんのボタンを押した。ブラックの、いちばん安いやつ。この会社の自販機のコーヒーは、百二十円のわりにちゃんと苦い。役所の自販機のコーヒーは、百十円で、苦くも甘くもなかった。値段の差ではなく、たぶん、置き場所の差である。
席に戻って、紙の束の、上から四枚目を折った。上の角を。
四月は、まだ何も始まっていなかった。始まっていないというのは、後から言えることで、そのときは十分に始まっていた。
◇
いま住んでいるのは、広尾の、六階建ての四階である。
一人になったときに越した。前は、二人で住んでいた部屋があって、そこは駅から遠くて、広くて、日当たりが悪かった。日当たりの悪い部屋に八年住むと、洗濯物を部屋の中に干す習慣がつく。いまの部屋は、南に窓がある。越して一年で、私は洗濯物を外に干す人間に戻った。
家賃は、前より高い。給料が上がったので、払える。上がった給料の使い道として、日当たりは、そんなに悪くない選択だと思っている。
部屋は、二つ。片方に布団、片方に机と本。台所は狭いが、コンロが二口ある。二口あると、味噌汁を作りながら魚が焼ける。三口あると、たぶん、私は三口ぶん料理をするようになって、洗い物が増える。二口でちょうどいい。
冷蔵庫は、大きいのを買った。一人で使うには大きすぎるやつを、店で二十分迷って買った。中には、たいてい、麦茶と、卵と、納豆と、豆腐と、開けたキムチと、何かの半端が入っている。それだけで、この大きさの冷蔵庫は、常にがらんとしている。
がらんとしている冷蔵庫は、開けたときに、庫内灯が明るい。
四月の第二週の土曜に、私はその冷蔵庫を掃除した。全部出して、棚を外して、洗って、拭いて、戻した。奥から、去年の秋に買った柚子胡椒が出てきた。開けていない。買ったことも覚えていない。開けて、少し舐めた。まだ効いた。
夜は、その柚子胡椒で、鶏を焼いた。もも肉を一枚、皮から。皮がぱりぱりになるまで動かさない。動かさないのが、この料理の全部である。焼けたら、切って、柚子胡椒をつけて食べる。ビールを一本。
食べ終わって、皿を洗って、九時に布団を敷いた。
土曜の夜の九時に布団を敷ける生活は、十一年なかった。なかったというのは、正確ではない。あったが、その日を土曜の夜として使わなかった。土曜の夜は、月曜の朝の準備をする時間だった。準備をしないと、月曜に間に合わないことになっていて、実際、間に合わなかったことは一度もない。
一度もないということの意味を、私はいまでも測りかねている。
◇
四月の第三週に、部下三人と個別に、もう一度話した。
一回目は四月一日で、あれは顔合わせである。二回目は、仕事を三週間見てから。三週間経つと、その人が何を後回しにするかがわかる。後回しにするものには、その人の癖が全部出る。
川辺くんは、社内の根回しを後回しにしない。資料を後回しにする。だから彼の資料は、いつも会議の前日の夜にできる。できたものは悪くない。悪くないが、直す時間がない。
「川辺さん、資料、前日の夜ですよね」
「……はい」
「あれ、なんでですか」
「前日じゃないと、直しが入るからです」
正直だった。私は少し笑った。
「入りますよね」
「入ります。三日前に出すと、三日ぶん直しが来ます」
「来ますね」と私は言った。「でも、それ、直しが来るんじゃなくて、来る時間があるだけです」
「同じじゃないですか」
「同じです」と私は言った。「同じなんですけど、前日の夜に出すと、直しは会議のあとに来ます。会議のあとに来た直しは、次の会議まで宙に浮きます。宙に浮いた指摘は、三か月後に、もっと大きい顔をして戻ってきます」
川辺くんは、しばらく黙って、それから「戻ってきますね」と言った。
「じゃあ、三日前に出して、二日ぶん直されましょう」
「鵜飼さんが盾になってくれるんですか」
「なりません」と私は言った。「盾になると、あなたの資料じゃなくなるので。私は、直しの数を数える係をやります」
「数える」
「三日前に出した資料に何個直しが来たかを、半年分数えます。数えると、たぶん、四か月目くらいから減ります。減ったら、それはあなたが上手くなったということです」
彼はそれをメモした。彼は普段メモを取らない。取ったということは、たぶん、そこが痛かったということである。
沢口さんは、後回しにするものがなかった。
これは、いいことではない。全部を等速で処理する人は、量が閾値を超えたときに、一気に止まる。私はそれを、役所で二回見た。二回とも、優秀な人だった。
「沢口さん、いま、捨てている仕事ってありますか」
「捨てる、ですか」
「やらないと決めたもの」
彼女は、少し考えて、「ないです」と言った。
「じゃあ、来月までに三つ作ってください」
「三つ、捨てるんですか」
「三つ、捨てる候補を作ってください。捨てるかどうかは私が決めます。決めるのが私の仕事なので」
彼女は、二週間後に、七つ持ってきた。七つのうち、五つを捨てた。二つは残した。残した二つの理由を、私は一行ずつ書いて渡した。
書いて渡すのは、役所の癖である。あそこでは、判断には理由が要る。理由のない判断は、翌年、繰り返せない。
◇
四月の終わりに、初めて役員会に出た。
出るといっても、説明者としてではない。青柳課長の後ろに座って、質問が出たら数字を出す係である。役所でいうと、後列の、資料を持って座っている人と同じである。
同じなのだが、二つ違った。
一つは、部屋が明るいこと。役所の大きい会議室は、なぜかどこも暗い。窓が小さいか、あっても厚いカーテンがかかっている。この会社の役員会の部屋は、南向きで、ブラインドを上げると、日比谷のほうまで見える。
もう一つは、時間である。役所の会議は、始まる時間が正確で、終わる時間が不定である。この会社の会議は、終わる時間が正確で、始まる時間が少しずれる。
その日の会議は、七十五分で、七十四分で終わった。
終わったあと、青柳さんが「どうだった」と訊いた。
「明るかったです」
「明るい?」
「部屋がです」
青柳さんは、私の顔を見て、それから、「ああ」と言った。「そういうこと言う人だと思った」
「変ですか」
「変じゃないよ」と青柳さんは言った。「前の会社の話をされるより、ずっといい」
第二項 菜の花は一分半
外部に調べさせる立場になった、というのが、この仕事の一年目で最初に面白かったことである。
うちの会社は、毎年、国際エネルギー動向調査というものを外に出している。世界の需給と、政策と、価格の見通し。要するに、来年の燃料がいくらで、どこの国が何を言い出しそうか、を三百ページにまとめてもらう。金額は年に二千八百万円。三年契約の二年目で、四月に仕様書を確認して、五月に発注する。
仕様書というのは、こちらが何を知りたいかを、こちらが知らないまま書く文書である。だから難しい。知りたいことがはっきりしている調査は、外に出す必要がない。
私は前年度の仕様書を開いて、三十分で、七か所に印をつけた。
「最新の動向を踏まえ」——これはいらない。踏まえないものは出てこない。
「必要に応じ」——これもいらない。必要に応じない仕事もない。
「関係国の政策動向」——関係国、が定義されていない。三年前は八か国だった。去年は十二か国に増えている。増やしたのは受託側で、増やす旨の合意はどこにもない。増えて困る話ではないが、増えたことに誰も気づいていない文書は、そのうち何か別のところで破ける。
遠山くんを呼んで、この三つを説明した。彼は「そこ、直していいんですか」と訊いた。
「直していい。というか、直さないと、来年も同じ文で出す」
「去年もそうだったってことですよね」
「そうです。だから怒らないでください。私も去年はいません」
遠山くんは、少し考えて、「怒ってはないです」と言った。「なんか、こういうの、直していいと思ってなかったんです」
これは、いい返事だった。文書を直していいと思っていない人は、文書に嘘があることに気づける。気づけるのに直さないというだけで、目はいい。目のいい人には、権限だけ渡せばよい。
「じゃあ全部直してください。私が七か所印をつけたけど、たぶんあと五か所ある」
「五か所、ですか」
「私が三十分で見た数が七で、あなたが三日で見る数が十二です。それくらいの比率だと思っておくと、だいたい合います」
遠山くんは三日後に、十四か所を持ってきた。二か所は私の間違いだった。私は間違いのほうを先に礼を言った。
◇
その調査の、前の年の成果物を、私は連休前に通して読んだ。三百二十八ページ。読むのは業務時間内で構わないと青柳課長は言ったが、業務時間内には読めない性質の文書である。会社の机の上で三百ページを読んでいる人は、暇に見える。実際は、暇でなければ三百ページは読めない。
だから家で読んだ。金曜の夜と、土曜の午前。
土曜の午前に、脚注のところで手が止まった。
第四章、アジアの電力需給の項。その注の三十一番。日本語の政府文書が出典として引かれていて、その文書の名前に、見覚えがあった。見覚えがあるも何も、私が書いたものだった。二十九のとき。局の中で三人で書いて、私が主筆で、正確には主筆という言い方をその役所ではしないので、私が「まとめ」だった。
引かれ方は、まっとうだった。数字の出所として使われていて、解釈は加えられていない。書いた側からすると、いちばんありがたい引かれ方である。ありがたいと思ったのは事実で、それ以上のことは特に起きなかった。
一つだけ、思ったことがある。
その注には、私の名前は載っていない。当たり前で、政府の文書に個人名は載らない。載らない仕組みで作られていて、その仕組みを私は正しいと思っている。いまも思っている。誰が書いたかで文書の重さが変わる世界より、変わらない世界のほうがいい。
ページをめくった。第五章は燃料の輸送で、そこには私と関係のあるものは何もなかった。
昼にうどんを茹でた。冷凍のさぬきを二玉、湯を大きめの鍋で、生卵と、天かすと、九条ねぎ。九条ねぎは、東京で買うと京都の三倍する。それでも買う。青いところを斜めに切って、丼にどさっと入れて、熱いつゆを回しかけると、香りが立つ。あれは香りだけで元が取れる。
食べながら、残りの百二十ページを読んだ。うどんを食べながら三百ページの報告書を読める人生は、悪くない。役所にいたころ、私は三百ページを読むときは必ず机に向かっていた。それが正しいと思っていたし、いまでも半分は正しいと思う。ただ、うどんのほうが読める。
◇
日下部綾の家に行ったのは、その次の週の日曜だった。
綾は西荻窪に住んでいる。駅から歩いて十二分。途中に、パン屋と、古本屋と、なぜか判子屋がある。判子屋はいつ見ても閉まっていて、綾に訊いたら、「開いてるとこ見たことない」と言った。四年住んでいて見たことがないというのは、閉まっているのではなく、そういう店なのだと思う。
綾の家は、二階建ての一階で、庭というほどでもない土のところがある。そこに、鉢が十いくつ置いてある。ローズマリーと、タイムと、しそと、名前を教わったのに私が忘れた背の高いのが二つ。しそはもう本気で茂りはじめていて、五月でこれなら八月には手がつけられなくなるはずだった。
「しそ、去年どうしたの」
「食べた」
「全部?」
「全部は無理やった」と綾は言った。綾は東京の人だが、私と話すときだけ、私に引っ張られてときどき言葉が転ぶ。「ジェノベーゼにした。しその」
「しそのジェノベーゼ」
「松の実が高くてくるみにした」
「それは正解だと思う」と私は言った。「松の実は、あの値段のわりに、口に入ったあと何も言わない」
綾は笑って、台所に立った。
綾の台所は、狭い。狭いのに、ものが多い。多いのに、片付いている。この三つが同時に成立している場所を、私は綾の家以外で見たことがない。木の柄の道具が、使う順に並んでいる。使う順というのは、綾の使う順で、他人には推測できない。鍋は三つ。うち一つは、たぶん十年以上使っている。取っ手の木が黒くなっていて、その黒くなり方が、洗った回数の形をしている。
窓辺に、瓶がいくつも並んでいる。梅を漬けたのと、らっきょうと、あとは何かの皮。中身が何かは訊かなかった。訊くと綾は丁寧に答えて、私はそれを覚えていられないので、覚えていられないことを毎回申し訳なく思う羽目になる。
その日の昼に出てきたのは、豆ごはんと、鰆の西京焼きと、菜の花の辛子和えと、若竹汁だった。
「菜の花、私も先月やった」と私は言った。
「どんな」
「茹でて、辛子と醤油」
「うちも」
「同じや」と私は言って、それから、口に入れた。
同じではなかった。同じ材料で、同じ手順で、綾のは、菜の花のいちばん硬いところがちゃんと硬いままで残っていて、私のは全部やわらかかった。何が違うのかは、たぶん湯の量と、時間の測り方と、その二つよりもっと手前の何かである。
「これ、なんで違うんやろ」
「なんかした?」
「湯にほりこんで、二分」
「あ、二分は長い」と綾は言った。「茎だけ先に入れて、あとで葉入れる。ぜんぶで一分半」
「一分半」
「うん」
私はそれを、スマートフォンのメモに打ち込んだ。「菜の花 茎先 一分半」。綾はそれを見て、何も言わなかった。綾は私がメモを取るのを、いつも見て、いつも何も言わない。
若竹汁の筍は、綾が朝から茹でたやつだった。糠と鷹の爪で、一時間半。朝の八時に火にかけたと言った。私が家を出た時間より前である。
「八時に筍を茹でるって、どんな朝なん」
「普通の朝」
「普通の朝に筍は茹でひんて」
「はるかは何してた」
「布団の中で、電力需給の資料を読んでた」
「それも普通ちゃう」と綾は言った。
たしかにそうだった。私はそれで少し笑って、豆ごはんをおかわりした。豆ごはんは、豆の青くささが好きなので、私は毎年これを一回は食べたい。実家では祖母がやっていて、母はやらない。母はやらないことをはっきりやらない人で、それはそれで、私は好きだった。
食べながら、私はよく喋った。新しい会社のこと、部下が三人いること、遠山くんが十四か所見つけてきたこと、二十センチの紙の束のこと、自販機の前でしか重要な話をしない人たちのこと。綾は聞いていた。相槌が短い。「ふうん」と「へえ」と「そうなんや」の三つでほとんど回る。それでいて、話が終わるところでだけ、ちゃんと言葉が出てくる。
「はるか、楽しそうやね」
「楽しいよ」
「ならええ」
それだけだった。
私は綾のこういうところを、二十歳のころから信用している。一年生の語学のクラスで隣だった。フランス語の、初級の。綾は動詞の活用が最後まで覚えられなくて、私は覚えるのが得意で、私が得意なことは、たいてい、覚えるとか、言い当てるとか、その場で言葉を出すとか、そういう速い種類のことだった。速いことで生きてきた。速いことは便利で、便利なものは、だいたい、後で何かの代金を請求される。
綾は速くない。綾のうちにあるものは、全部、時間をかけないと出てこない形をしている。筍を八時に茹でるとか、鉢を十いくつ持つとか、鍋の取っ手が黒くなるとか。
「私、綾のこういうの、ほんまに尊敬してるわ」と私は言った。
綾は、茶碗を持ったまま、少しだけ困った顔をした。
「またそれ言う」
「ほんまやもん」
「うん」と綾は言って、それ以上何も言わなかった。窓の外で、鉢のしその葉が、風で一斉に裏返った。
◇
綾の夫に、年に二、三度会う。
名前は健一さんという。四十で、設備の設計をしている。空調とか、給排水とか、建物の中で人が見ないところの絵を描く人である。
その日は、夕方に帰ってきた。私はもう帰るところだった。
「あ、鵜飼さん。いたんですか」
「いました。いま帰るところです」
「ごはん食べました?」
「食べました。豆ごはんと、鰆と、菜の花と、若竹汁」
「うわ、いいな」と健一さんは言った。「僕、朝、筍のにおいだけ嗅いで出たんですよ」
「朝八時のやつですね」
「あれ、毎年やるんです」
健一さんは、玄関で靴を脱ぎながら、そう言った。それから、台所のほうに向かって「ただいま」と言って、綾が「おかえり」と言った。
私は、そこで帰った。
帰り道に思ったのは、あの家の「おかえり」の音量である。大きくも小さくもない。台所から玄関まで、ちょうど届く音量で、たぶん、十年くらいかけて決まった音量だと思う。
そういうものは、決めようとして決まらない。
◇
帰りは、西荻から中央線に乗った。日曜の夕方の中央線は、行きも帰りも同じ顔の人が乗っている。私は座って、目を閉じて、寝なかった。
仕様書の話が、頭に戻ってきた。「関係国」の定義を書き直す件。あれは、書き直すこと自体より、書き直したものを来年誰が読むか、のほうが本体である。来年、私はまだこの会社にいるだろうか。いるつもりでいる。いるつもりでいるという言い方をわざわざ自分の中でする程度には、まだ一年目だった。
四ツ谷で乗り換えて、家に着いたのは七時前だった。菜の花はもう店から消えていて、代わりにそら豆が積んであった。
そら豆を買った。さやごと焼いて、塩をつけて食べた。皮が黒く焦げて、開けると中が湯気を持っている。あれは、料理の中でいちばん手間と味の比率がいい。手間が少ないという意味ではなく、手間の形が単純だという意味で。
食べ終わって、皿を洗って、メモを見た。
「菜の花 茎先 一分半」
菜の花はもう売っていない。来年まで使えないメモである。それでも消さなかった。
◇
五月の連休明けに、委託先との顔合わせがあった。
先方は四人で来た。部長と、担当と、若いのが二人。会議室は八人でちょうどのところを取った。大きすぎる部屋で少人数の会議をすると、話が遠くなる。
私は、仕様書の直したところを説明した。十四か所。説明したのは遠山くんで、私は横に座っていた。
先方の担当の人が、途中で、「関係国のところ、定義をいただけると助かります」と言った。
「助かる、というのは」と私は訊いた。
「あ、いえ、あの、こちらとしても、どこまで見るかが」
「毎年、少しずつ増えていましたよね」
その人は、少し黙った。
「増やしていたのは、そちらの善意だと思っています」と私は言った。「見ておいたほうがいい国が増えたから、増やした。それは、正しい判断です。ただ、契約の中で正しい判断をすると、来年、その判断をした人がいなくなったときに、誰も減らせなくなります」
「……はい」
「だから、定義を入れます。入れたうえで、増やすべきときは、増やす手続きを使ってください。手続きのほうを、うちが用意します」
先方の部長が、そこで初めて口を開いて、「そういう発注者は、正直、珍しいです」と言った。
「珍しいのは、たぶん、私が去年まで受注する側にいたからです」と私は言った。「役所で、外に出す紙も、外から来る紙も、両方書いていました」
会議は五十分で終わった。
終わったあと、遠山くんが「あれ、なんで先方の人、あそこで黙ったんですか」と訊いた。
「言いたかったけど言えなかったことを、こっちが先に言ったからです」
「言えないんですか、あれ」
「言えないです。受注している側が『この仕様は曖昧です』と言うと、仕事が取れなくなると思うので」
「思うので、って、実際どうなんですか」
「実際は、取れなくなりません」と私は言った。「でも、そう思っている人がいる限り、そう思っている前提で仕事をしたほうがいいです」
◇
綾の家からの帰りに、一度だけ、判子屋の前で立ち止まったことがある。
五月のその日曜だった。シャッターが半分だけ下りていて、隙間から、中の棚が見えた。棚には、印材が並んでいる。木のと、石のと、たぶん牛の角のやつ。値札はついていない。
奥に、人が座っていた。
七十くらいの男の人で、机に向かって、何かを削っていた。手元の明かりだけをつけて、店の照明はつけていない。
私は、二分くらい見ていた。
その人は、一度も顔を上げなかった。手が、同じ動きを繰り返していた。刃を当てて、少し回して、また当てる。削れているものは、外からは見えない。
私は、そのまま歩いた。
翌週、綾に言った。
「あの判子屋、開いてたで」
「うそ」
「開いてはないねん。半分閉まってて、中で人が彫ってた」
「へえ」と綾は言った。「なんかええな、それ」
「ええな」
「入ってみたらよかったのに」
「入られへんかった」
「なんで」
「あの人、たぶん、手ぇ止めるやん」と私は言った。「私が入ったら」
綾は、そこで、少し長く私を見た。
「はるか、そういうとこあるな」
「どういうとこ」
「人の手ぇ止めるのを、えらい気にするとこ」
「気にするやろ、ふつう」
「せえへん人もおる」と綾は言った。「うちの旦那、平気で入っていく」
「入っていったん?」
「たぶん入ってる。判子屋の話、うちより詳しいもん」
私は、それを聞いて、少し笑った。笑ってから、自分が何を笑ったのかを考えて、わからなかったので、麦茶を飲んだ。
第三項 四枚にまとめる
うちの会社が売っている電気には、係数がついている。
一キロワット時あたり、二酸化炭素が何キログラム出ているか。それが排出係数で、この数字は、我々が決めるものではない。国が定めた算定方法に従って、我々が計算して、報告して、公表される。買う側の会社は、その数字を自分たちの排出量の計算に使う。だから、この数字は、我々の商品の一部である。値段と同じくらい、商品の一部である。
五月に、その算定方法の見直しの議論が、審議会で始まった。
私は資料を取り寄せて、三日で経緯を整理した。整理といっても、私にとっては読み直しである。この制度の骨格がどう組まれたかを、私は知っている。知っているというより、その部屋にいた。
三日のうち、実際に読んでいたのは、二日目の午後だけである。一日目は画面を開いて、目次を見て、閉じた。閉じてから、給湯室で湯を注いで、席に戻って、また開いた。二日目の午後に、椅子の高さを一段下げた。下げると、画面までの距離が変わって、字が追いやすくなる。三日目は、四枚に減らす作業だった。減らす作業のほうが、時間がかかる。
社内向けの整理メモは、四枚に収めた。四枚のうち、二枚が現行制度の説明で、一枚が今回の論点、一枚が我々への影響。青柳課長は目を通して、「早いね」とだけ言った。早いのは、調べたからではない。
私は何も付け足さなかった。
◇
補佐になった年の話をする。
四月に発令が出て、六月から国際交渉の担当に据えられた。理由は英語である。二十六から一年、国費で英国に出してもらって、修士を取って帰ってきていた。帰ってきて一年半で、交渉に持っていかれた。持っていかれた、という言い方を私はしない。しないというのは、しないと決めているのではなくて、その言い方が自分の口に合わないというだけである。
交渉というのは、ほとんど、文言である。
物や金が動くのは後の話で、その場で動いているのは、単語と、接続詞と、括弧である。括弧というのは、まだ合意できていない部分を括弧に入れて残すやつで、括弧が取れたら合意で、括弧ごと消えたら、その論点は死んだということになる。
日本が主張していた一文があった。
内容は、いま説明すると長い。ごく大づかみに言えば、ある種の技術について、その効果を各国が自国の計算にどう反映してよいかの、扱いに関する一文である。反映してよいと書くのではなく、反映の仕方を将来決めるための道筋を、文書の中に一行だけ残しておく。そういう性質の文だった。
その一行があるかないかで、その時点では何も変わらない。変わるのは、五年後か十年後に、その道筋を使って国内の制度を作るときである。
私はそれを、二年目の担当から引き継いだ。引き継いだときには、もう文は出来上がっていた。私がやったのは、その文を落とさないことだった。
会期は二週間。会場はヨーロッパの、大きな展示場を改造した施設で、天井が高く、床が固く、椅子が足りない。廊下に人が座り込んでいて、その横を各国の代表団が通っていく。食べ物は高くてまずい。サンドイッチが九ユーロして、パンが乾いている。会期の後半になると、皆、同じ売店の同じサンドイッチを、同じ顔で食べるようになる。
私は二週間で四キロ痩せた。痩せたことに気づいたのは帰国してからで、会期中は体重計がなかった。
一週目に、その一文は括弧つきで生き残った。二週目の火曜に、括弧が取れそうになった。水曜に、反対する国が二つ現れて、また括弧がついた。木曜の午後、事務局が全体の文書構成の整理案を出した。
整理案というのは、内容を変えずに構造を整える案である。実際、事務局は内容を変えていない。彼らは、重複している記述をまとめ、位置がずれている段落を適切な章に移し、既に別の決定で扱われている事項への参照を統合した。
その整理の過程で、私たちの一文は、別の段落に吸収された。
吸収された先の段落は、より一般的な書き方になっていて、私たちが必要としていた、その道筋の具体性が消えていた。消したのではない。まとめた結果、そうなった。
私は木曜の夜、それに気づいた。
夜十一時に、事務局の出した改訂版が配られた。会場の隅の、電源のある柱のところで、私はパソコンを膝に載せて読んだ。左隣に、ブラジルの若い人が座っていて、床にコンセントが一つしかないので、二人で交代で充電していた。彼は自分の番のとき、必ず「終わったら言うから」と言った。三回とも言われたとおりに言ってくれた。
私は該当箇所を三回読んだ。三回目で、これはもう戻らないと思った。
戻すには、木曜の深夜から金曜の朝までに、二つのことをしなければならなかった。一つは、この整理が実質的な変更に当たると主張すること。もう一つは、それを支持してくれる国を、少なくとも二つ見つけること。
一つ目は、できた。理屈は立つ。文言の統合が実質を変えることはあるし、その主張は正当だった。
二つ目が、無理だった。
支持してくれそうな国は三つあって、そのうち二つの代表団は、その時点で別の論点の最終局面にいた。彼らはそちらに全部を賭けていた。賭けている代表団は、深夜には動けない。動くと、自分の論点の側で、いま握っているものが緩む。一つの国の人には、深夜一時に会えた。彼は最後まで話を聞いて、それから、こう言った。
「これは、あなたたちの国内の話でしょう」
そのとおりだった。
それを言われたとき、私は反論しなかった。反論する材料はあった。あったが、材料を出したところで、彼はこちらの側に立てない。彼が立てないことは、彼の国の事情であって、彼の判断ですらない。私は「ありがとう」と言って、握手をして、別れた。彼は握手のとき、両手で握った。両手で握るのは、断るときの作法である。
会場を出たのが二時前だった。外は寒くて、雨が降りそうで降らない天気だった。トラムはもう走っていない。タクシーの列に十五分並んだ。並んでいるあいだ、前にいたのはアメリカのNGOの人たちで、彼らは大きな声で笑っていた。笑える論点がその日どこかにあったのだと思う。私は自分の論点について考えるのをやめて、そのグループの誰かが履いていたスニーカーの色を見ていた。蛍光の黄緑だった。ああいう色を履ける仕事はいいなと思った。
ホテルは会場から車で十二分のところにあって、部屋は四階で、窓から高速道路が見えた。
部屋に入って、上着を着たまま、机の椅子に座って、電文を書いた。
本国に打つ短い報告である。何が決まって、何が決まらなかったか。書式は決まっている。書式が決まっているというのは、優しいことだ。書式のない報告を書ける状態ではなかった。
その中の一行に、私はこう書いた。
「我が方主張については、事務局整理の過程で他の記述に統合されたが、所期の目的は概ね達成」
概ね、というのはよく使う。使うたびに、自分がどこを削ったかを自分だけが知っている。概ね、を挟むと、文はやわらかくなり、読む人は次の行に進む。私はその効果を知っていて使った。
書き終えたのが三時前だった。送信して、椅子に座ったまま、しばらく何もしなかった。
冷蔵庫を開けた。ミニバーに、水と、コーラと、ビールと、ピーナッツが入っていた。水を出した。ミニバーの水は八ユーロで、下のロビーの自販機だと二ユーロ半である。私はそのとき、その差額のことをはっきり考えた。八ユーロの水を、いま飲むかどうかを、二十秒くらい考えた。
飲んだ。
飲んで、ベッドに横になって、靴を脱いで、上着は脱がずに、三時間半寝た。
朝の七時に起きて、シャワーを浴びて、朝食に下りた。ホテルの朝食は、会期のあいだで唯一まともな食事だった。スクランブルエッグが常に少し水っぽくて、ソーセージが常に少し塩辛い。私はその両方をきちんと取って、パンを二つと、ヨーグルトを食べた。オレンジジュースは、絞ったやつだった。
同じ代表団の年上の人が、向かいに座って、「昨日どうだった」と訊いた。
「統合されました」
「そうか」
「はい」
「まあ、ああなるとな」
「ええ」
彼はそれ以上訊かなかった。訊かないでくれたのだと思う。彼はコーヒーを飲み終えて、「今日、午後は君のセッションだろ」と言った。私は「そうです」と言って、パンをもう一つ取りに行った。
会期はその翌日に終わった。最終日の全体会合は、深夜まで延びて、合意文書が採択されたのが日曜の未明だった。拍手が起きた。私も拍手をした。拍手は、その部屋にいる全員が心から手を叩いているように見える不思議な現象で、実際、そのうちの何割かは心から叩いている。私も、たぶん、何割かは心から叩いていた。
帰国便は月曜の昼だった。空港で、キットカットの、その国にしかない味のやつを六箱買った。抹茶ではないほうの、変な味を選んで買うのが習慣だった。職場に配ると、必ず一人は「これはちょっと」と言う。その一人がいるから買っている。
◇
補佐になった年の、四月から六月までのことも、少し書いておく。
発令の日、私は自分の机が二つ隣に動いただけだと思っていた。実際、机は二つ隣に動いた。動いたのは机で、変わったのは、判断の量である。
補佐というのは、決めない仕事である。決めるのは課長で、その上に審議官と局長がいる。補佐がやるのは、決められる形にすることである。
決められる形にする、というのは、選択肢を二つか三つにして、それぞれの帰結を書き、どれを選んでもよいように書くことである。書きながら、自分の推す案が選ばれるように書く。この二つは矛盾しない。矛盾しないように書ける人が、補佐として重宝される。
私は重宝された。
六月に、交渉の担当になると言われたのは、廊下だった。課長が、歩きながら、「鵜飼さん、あれ、やってもらうから」と言った。
「あれ、というのは」
「秋の会期。主担当」
「英語ですか」
「英語だよ」と課長は言った。「英語ができる人が要る」
私は「わかりました」と言った。
わかりました、と言ったときに、自分の中で何が起きたかを、私はよく覚えている。
うれしかった。
うれしかった、と書くと単純に見えるが、実際に単純だった。私は二十八で、一年の留学から帰って一年半で、その一年で身につけたものが、はっきりと仕事に変換された。変換されたのを、廊下で、十秒で言い渡された。
その夜、家に帰って、その話をした。
台所で話した。そのころ、私たちは二人とも帰りが遅くて、十一時とか、十二時に、何か食べるのが習慣だった。その日は、たぶん、うどんか、そうめんか、そういうものだった。
「秋、行くことになった」と私は言った。
「どこ」
「会期。二週間」
行き先を訊かれて、日数で答えている。都市の名前は、そのとき私の中で、三番目くらいの情報だった。
「ふうん」と、あの人は言った。それから、「よかったな」と言った。
その「よかったな」の言い方を、私は覚えている。
そのとき、あの人は、自分のほうの話を、まだしていなかった。ナイロビの話が出たのは、その二か月後である。
順番は、そうだった。
◇
会期の一週目に、私が何をしていたかも、書いておく。
一週目は、交渉ではない。地ならしである。
各国の担当と、一対一で会う。会って、こちらの主張の背景を説明する。説明するといっても、五分か十分である。廊下や、コーヒーのところや、セッションの合間に、立ったまま。
その七日間で、私は二十六人と話した。数えたわけではなく、名刺と手帳を見ると、そうなる。
二十六人のうち、十四人は、その場では何も言わなかった。何も言わない人は、後で、自分の代表団の中で何かを言う。言うかもしれないし、言わないかもしれない。
七人は、その場で「難しい」と言った。難しい、というのは、どの国の人が言っても、同じ意味である。無理という意味ではない。順番がある、という意味である。
五人は、興味を持った。そのうち三人が、後に、我々を支持する側に回りかけた。回りかけて、木曜の夜までに、二人が別の論点に持っていかれた。
これは、失敗ではない。この種の会期では、こういう配分になる。二十六人と話して、最後まで一緒にいてくれる人が一人いれば、上出来である。
一人はいた。一人では足りなかった。
足りなかったのは、私の準備の問題ではない、と、あのときの上司は言った。金曜の朝、朝食のところで、彼はそう言った。
「あれはな、鵜飼さん、うちの国の力の問題だから」
「はい」
「君の準備は、十分だった。十分すぎたくらいだ」
「ありがとうございます」
「二十六人は、多いよ」と彼は言った。「僕が補佐のときは、十人だった」
私はコーヒーを飲んだ。
そのとき、彼が言ったことは、たぶん、全部正しい。全部正しいことを、朝食の席で、正しい順番で言われた。私は「ありがとうございます」と言って、パンを取りに行った。
パンは、クロワッサンと、白いのと、黒いのがあった。私は黒いのを取った。黒いパンは、日本の朝食にはない味がする。酸っぱくて、重い。あれが好きになったのは、留学の一年である。
席に戻って、黒いパンにバターを塗って、食べた。
うまかった。
◇
会期の二週間の生活について、少し書いておく。
朝は六時半に起きる。ホテルの朝食が七時から。会場までのシャトルバスが七時四十分。乗り遅れると、次は八時十分で、それだと午前のセッションの頭が聞けない。
バスの中で、その日の資料を読む。読んでいると酔う。酔うので、途中でやめて、窓を見る。窓の外は、いつも同じ順番で、団地と、工場と、川と、また団地が出てくる。二週間で二十回見ると、順番を覚える。覚えた順番のとおりに出てくると、少し安心する。あの安心は、何の役にも立たない。
昼は、売店のサンドイッチか、会場の隅のスタンドのスープである。スープは日替わりで、豆のやつと、トマトのやつが交互に来る。豆のほうが腹に残る。腹に残るほうを選ぶ日と、選ばない日がある。選ばない日は、夕方に手が震える。
夕方から夜が本番である。非公式の協議は、たいてい六時以降に始まる。始まる時間は決まっていて、終わる時間は決まっていない。十時に終わることもあるし、二時になることもある。
会場の中には、各国の代表団の作業部屋がある。日本の部屋は、その年、二階の端だった。窓がない。長机が三つと、椅子が十二。プリンターが一台あって、そのプリンターの調子が悪くて、二日目から、誰も紙で読まなくなった。
部屋には、日本から持ってきた食料が置いてある。カップの味噌汁と、あたためなくていい米のやつと、柿ピー。これは代々、誰かが持ってくることになっている。私は柿ピーの係だった。二週間で、三袋なくなった。
夜中に部屋に戻ってきて、味噌汁を作って飲むと、その一杯だけが、その日でいちばん人間らしい行為になる。私はそれを、五回やった。五回目に、湯を注いだ紙コップを持ったまま、椅子に座って、そのまま少し寝た。起きたら、味噌汁が冷めていて、それでも飲んだ。
体重が四キロ減るというのは、そういう二週間である。
減った四キロは、帰国して三週間で戻った。戻るときは、いつも、うれしい。
◇
会期の中日に、半日だけ、何もない時間があった。
日曜である。全体会合がなく、非公式協議は夕方の五時からで、午前中に何も入っていない。そういう時間は、二週間に一度だけ来る。
同じ部屋の人たちは、寝ると言った。私も寝るつもりで部屋に戻って、ベッドに座って、そのまま靴を履き直して、外に出た。
会場から街の中心までは、トラムで二十分だった。切符の買い方が、その国のやり方でわからなくて、機械の前で三分立っていた。うしろに並んだ年配の男の人が、無言で私の手からコインを取って、二枚入れて、ボタンを押した。切符が出てきた。私が礼を言うと、彼は肩をすくめて、自分の切符も買った。
トラムは空いていた。窓が大きくて、席が硬い。走り出すと、車輪の音が、軌道の継ぎ目のところで一定の間隔で鳴った。
中心の広場で降りた。
日曜の市が立っていた。野菜と、チーズと、花と、それから古いものを売る一角。古いものの店には、食器と、時計と、鍵と、写真が並んでいた。写真というのは、知らない人の写真である。誰かの家族の、誰かの結婚式の、誰かの子供の。一枚一ユーロで、箱に入って、日に焼けている。
私はその箱の前で、たぶん十分いた。
十枚くらい、手に取って見た。裏に日付が書いてあるものがある。一九六二年、と読めるのが一枚あった。表は、五人が並んでいる写真で、うしろに建物がある。建物の壁に、何かの看板が出ている。文字は読めない。
その写真の中の人が、いま何歳かを、私は数えなかった。数えるかわりに、うしろの建物が、いまもあるかどうかを考えた。あるかもしれない。ないかもしれない。あるとしたら、一階が別の店になっている。
写真は買わなかった。箱に戻して、その隣の、鍵の並んでいるところを見た。鍵は、鍵として売られていない。飾りとして売られている。どの鍵も、開ける先がもうない。
市を抜けて、川のほうへ歩いた。
川には橋が三つ架かっていて、真ん中の橋の上に、走っている人がいた。日曜の午前に走る人は、どこの国にもいる。私の横を、犬を連れた人が二人通った。二人は知り合いらしく、犬同士を先に挨拶させて、それから自分たちが話しはじめた。
橋の欄干のところに立って、水を見た。
水は濁っていた。上流で雨が降ったのだと思う。流れが速くて、枝のようなものが二度、下流に流れていった。
そのとき、考えていたのは、木曜の夜のことではなかった。
六年前に自分がいた場所のことを、少し考えた。二十二で、研修の合間に、庁舎の廊下の窓から外を見ていたときのこと。あのとき、二十八で外国の橋の上に立っている自分を、想像していたかどうか。していなかった。していなかったが、していなかったからといって、いま外れているわけでもない。
二十八のときに何をしているかを二十二で決めておくというのは、この仕事の人間がよくやることで、決めたとおりになる人は少ない。少ないのに、皆、決める。決めないと、次の二年が組めないからである。
私は、その先を考えなかった。
考えるかわりに、腹が減っていることに気づいた。
橋を渡って、川沿いの、テントの出ている店に入った。座って、指さして頼んだ。出てきたのは、白い豆と、腸詰と、パンだった。豆は塩気が強くて、腸詰は皮が硬い。パンは、あの黒いやつだった。
食べているあいだ、隣の席に、家族が四人座った。子供が二人。下の子が、皿を落とした。父親が拾って、母親が何か言って、上の子が笑った。店の人が、新しい皿を持ってきた。落ちた皿は割れていなかった。
私は、全部食べた。ビールは頼まなかった。夕方から仕事だからである。
会計をして、トラムに乗って、会場に戻った。
戻ったのが三時前だった。作業部屋には、まだ誰もいなかった。窓のない部屋で、蛍光灯をつけて、湯を沸かして、味噌汁を作った。
四時十五分に、上司が入ってきて、「どこ行ってた」と言った。
「街です」
「なんかあった?」
「豆を食べました」
「豆」
「白いのを」と私は言った。
彼は「ふうん」と言って、自分の席に座って、パソコンを開いた。
五時から、協議が始まった。
◇
いま、うちの会社の会議で、私はその制度の説明をする。
説明は正確である。現行の算定方法がどういう考え方でできていて、どこまでが法令で、どこからが運用で、今回の見直しがどこに触れるのか。四枚のメモは、社内でよく読まれた。営業の部長が「これ、他部門にも回していいか」と訊いてきて、私は「どうぞ」と言った。
会議室にいる誰も、あの一文のことを知らない。
知らないのは当たり前で、あれは公表された文書に載っていない。載っていないものを人は知りようがない。載らなかった経緯を知っているのは、あの部屋にいた数人で、そのうち日本人は三人で、三人のうち一人はもう役所にいない。
私は何も言わない。言うべき場所がない、というのが正確なところだと思う。この会社の会議室は、そういうことを言う場所ではない。役所の会議室も、たぶん、そういう場所ではなかった。
会議が終わって、資料を集めて、席に戻った。四時半だった。窓の外に、日比谷のほうの緑が見えて、五月の緑は、六月の緑より薄い。
夕方、沢口さんが来て、「あのメモ、参考文献つけたほうがいいですか」と訊いた。
「つけたほうが親切ですね」
「じゃあつけます」
「出典は、公表資料だけで足ります」と私は言った。「足りるように書いてあるので」
第四項 反対してください
六月に、燃料の取引先の与信区分の考え方を見直すという話が回ってきた。
回ってきた、というのが正しい。うちの部署が言い出したわけではない。財務部門が起案して、リスク管理部門が意見を持っていて、燃料調達本部が渋っていて、その三者が三様に「経営企画の整理待ち」と言っている状態で、私の机の上に来た。
役所にいたころ、私はこの形の仕事を五年やった。名前は違う。あちらでは「関係府省協議」といって、こちらでは「関係部署協議」という。六文字のうち二文字だけが違って、やることは八割同じである。
八割が同じで、二割が違う。違うところだけ書く。
役所の協議は、負けても死なない。文書に残り、来年また同じ論点が出てきて、そのとき担当が代わっている。だから交渉は長期戦で、譲るときの譲り方に作法がある。相手の顔を立てる、というのは比喩ではなく、実務である。顔を立てておくと、来年、その人が別の課にいて、こちらを助ける。
会社の協議は、決まる。決まると、金が動く。動いた金には責任者がついて、責任者は人事評価を受ける。だから、皆、決まった後のことを考えて発言する。決まった後のことを考えて発言する人は、決まる前は驚くほど無口である。
私は最初の会議で、それに気づくのに二十分かかった。二十分は遅い。
三本の意見が出ないのは、意見がないからではなかった。誰が言い出したことになるか、を全員が見ていた。
私はその会議の終わりに、こう言った。
「じゃあ、たたき台はうちで書きます。うちが書いたものは、うちの案です。皆さんは反対してください」
燃料調達本部の課長が、顔を上げた。
「反対していいんですか」
「反対していただかないと、うちの案がそのまま通ってしまうので」と私は言った。「うちの案がそのまま通る会社は、たぶん、三年後に困ります」
笑いが起きた。半分は本気で、半分は場をやわらげるための笑いだった。会社の会議の笑いは、比率がはっきりしている。役所の会議の笑いは、比率がわからない。あそこは、笑っている人が何を思っているかを、笑いから読ませない訓練を全員が受けている。
たたき台は、川辺くんに書かせた。
彼は三十四で、この会社に十二年いて、燃料調達に八年、経営企画に四年いる。社内の地理を知っている。誰がどの話に反応するか、どの部の誰が誰と同期か、どの部長が数字より順番を気にするか。それは、私が三年かけても手に入らない知識である。
「鵜飼さん、これ、燃料本部が絶対に呑まないところが一つあるんですけど」
「どこ」
「ここです。既存先の区分を、契約更改のタイミングじゃなくて、一律の基準日で洗い替えるところ」
「呑まない理由は」
「洗い替えの日に、たまたま数字が悪い先が出るからです。あそこは、担当が現地に行って作った関係でやってるので」
「関係が悪くなるのが嫌なのか、区分が下がるのが嫌なのか」
川辺くんは、少し考えた。
「両方だと思います。でも、口に出すのは前者です」
「じゃあ、たたき台には後者で書いてください」と私は言った。「口に出せるほうを潰しても、話は進まないので」
これは役所で覚えたことだった。相手が言えないほうの理由に、先に手当てを書いておく。書いてあると、相手は反対する必要がなくなる。反対しなくてよくなった人は、たいてい、こちらに一つ貸しを作った気になる。それでいい。
たたき台は、六月の第三週に出た。七月の第二週に、三部門の合意ができた。速いほうだと川辺くんは言った。
◇
六月の第二週に、遠山くんが失敗した。
失敗といっても、大きなものではない。関係部署に配る資料の、宛先を一つ落とした。落とした先が、その件でいちばん神経質な部の課長だった。
その課長から、私の携帯に電話がかかってきた。八時十分。まだ会社にいた。
「鵜飼さん、うち、これ聞いてないんですけど」
「すみません、こちらの手配漏れです。いま送ります」
「いや、送ればいいって話じゃなくてね」
「はい」
「順番があるでしょう、順番が」
「あります」と私は言った。「順番を間違えたのは、うちです。明日の朝、私が伺います」
「いや、来なくていいけど」
「行きます」
翌朝、九時に行った。三分で終わった。三分で終わる話に、私は十五分ぶんの時間を空けて行った。空けた十二分は、その課長が何か別のことを言い出す場合の在庫である。言い出さなかった。
席に戻ると、遠山くんが立っていた。顔が白かった。
「すみませんでした」
「終わりました」
「僕、行かなくてよかったですか」
「行かないほうがよかったです。あの人は、若い人に謝られると、余計に怒ります」
「そういう人なんですか」
「そういう人です」と私は言った。「ただ、これは私の見立てなので、あなたも三年くらいかけて自分の見立てを作ってください。私の見立てを覚えても、あなたの役には立ちません」
遠山くんは、その日、定時で帰らなかった。九時までいた。九時に、私が帰らせた。
彼は帰るときに、「あの、宛先のリスト、共有のところに作りました」と言った。
「作りましたか」
「はい。案件ごとに」
「それ、いちばんいい対応です」と私は言った。「謝るより、そっちのほうが百倍いいです」
その宛先リストは、三年後もたぶん使われている。使っている人は、それが誰かの失敗から生まれたことを知らない。仕組みというのは、だいたいそういう形で残る。
◇
沢口千夏は、この件では、資料の数字を全部作った。
彼女は数字の作り方が異様に速い。速いというのは、手が速いのではなく、どの数字を出せば話が終わるかを最初に決めるのが速い。三十七枚のデータから四枚の表を作れる人は、たいていの会社で足りていない。
彼女は六月の終わりに、私の席に来て、「ちょっといいですか」と言った。
「十月から産休に入ります」
「おめでとうございます」と私は言った。「一つだけ確認していいですか」
「はい」
「言う順番を、私にした理由って、何かありますか」
沢口さんは、少し目を大きくして、それから、「課長より先に言ったほうが、仕事の話がしやすいと思ったんです」と言った。
「正しいです」と私は言った。「じゃあ、仕事の話を先にします。青柳さんには今日中に言ってください。今日中というのは、私が今日中に何か仕込むためじゃなくて、あの人は聞いた日から数える人だからです」
「わかりました」
「業務の割り振りは、九月の頭までに固めます。それまでに、あなたが持っている仕事のうち、あなたにしかできないものを、私に教えてください」
「あんまりないと思うんですけど」
「ある」と私は言った。「あるので、探してください。それは、あなたが評価されるために要る作業です。休んでいるあいだに『あの人がいなくても回った』と思われるより、『あの人がやっていたことが十一個あった』と思われたほうが、いろいろ楽です」
沢口さんは、それをメモした。メモしながら、少し笑っていた。
私は自分が何を言ったかを、その日の帰りに一度だけ思い返した。思い返して、正しいことを言ったと思った。それ以上のことは考えなかった。
◇
七月の頭に、部の飲み会があった。二時間半、四千五百円、飲み放題。私はビールを二杯飲んで、あとは烏龍茶にした。
隣に座った他部署の人が、「鵜飼さんって、前は役所ですよね」と言った。
「はい」
「なんで辞めたんですか」
これはよく訊かれる。訊かれ方は三種類ある。本気で知りたい人、話の接ぎ穂として訊く人、そして自分が辞めたい人。この人は三番目だった。三番目の人には、辞めた話をしないほうがいい。
「食べ物です」と私は言った。
「食べ物」
「役所の近く、うまい店が少ないんですよ。虎ノ門のほうまで行けばあるんですけど、昼に往復十五分は歩けないので。ここは有楽町なので、片道六分でだいたい何でもあります」
その人は笑って、「そんな理由で」と言った。
「そんな理由です」
嘘ではなかった。実際、私はこの会社に来て、昼にうまいものを食べている。それは、私の生活の中で、かなり大きな比率を占める改善である。改善の理由を人に話すときは、いちばん小さくて、いちばん本当のものを選ぶと、話が短く済む。
その人は、三十分後に別の人のところへ行った。行くときに、「僕も辞めようかと思ってて」と言った。私は「よく寝てから決めたほうがいいですよ」と言った。
二次会には行かなかった。帰りに、有楽町のガード下の、餃子の店に一人で入った。焼き餃子を一人前と、瓶ビールを一本。餃子は六個で四百二十円。皮が厚めで、底が黒くなるまで焼いてある。酢と胡椒だけで食べる。醤油は要らない。
隣の席に、六十くらいの男の人が一人で座っていて、ビールを飲みながら、スポーツ新聞をずっと同じページで見ていた。読んではいなかったと思う。私も餃子を見ていて、食べてはいた。
十時前に店を出た。夏の夜の、まだ蒸していない時期の夜で、線路の上を電車が通ると、店の屋根がわずかに鳴った。
◇
七月に、この会社に来て初めて、他社の人と本気の交渉をした。
燃料の長期契約の、条件の見直しである。私は交渉の当事者ではない。当事者は燃料調達本部で、私は経営企画として、社内の落としどころの幅を決める側にいた。
幅を決めるというのは、要するに、どこまで負けていいかを先に決めることである。
これは、役所でも同じだった。同じで、一つだけ違う。
役所では、その幅を、紙に書いた。書いて、決裁を取った。取ったうえで、交渉に出た。だから、交渉の場で幅を超えることは、原理的にできない。できないことになっているし、実際できない。
会社では、幅は口頭で決まる。役員が「そこは頑張って」と言う。頑張ってというのは、幅の外に出ろという意味ではない。幅の外に出たときに、後から追認する用意がある、という意味である。
私はそれを、二回目の会議で理解した。
理解して、幅を紙に書いた。書いて、青柳課長に見せた。
「これ、回す?」
「回さないです。私と課長が持っているだけでいいです」
「なんで書いたの」
「終わったあとに、どこまで頑張ったかを、数字で言えるようにするためです」と私は言った。「頑張ったかどうかは、記憶で語ると、みんな頑張ったことになります」
青柳さんは、しばらくその紙を見て、それから「これ、僕も一枚持っとくわ」と言った。
第五項 明太子のおにぎりから食べる
七月の第三週から、暑くなった。
暑いというのは、この会社では気温の話ではない。需要の話である。気温が一度上がると需要がどれだけ上がるかは、地域ごとに係数がある。うちの部門の人間は、朝、天気予報を見ない。予報の数字を見る。三十五度と三十六度は、服装の話としてはほぼ同じで、電気の話としては別の日である。
七月二十四日から、需給が締まった。
うちの発電所が二つ、計画外で止まっていた。一つは定期点検の延長で、もう一つは配管の不具合。どちらも安全上の判断として正しい。正しい判断がいくつか重なると、正しくない夏になる。
私の仕事は、その説明資料を作ることだった。誰への説明かというと、全部である。監督官庁、取引先、金融機関、報道、そして社内。相手ごとに要るものが違う。数字は同じで、順番が違う。
七月二十九日の火曜、私は会社に泊まった。
正確には泊まっていない。終電で帰って、寝て、六時に出てきた。それを泊まったと呼ぶ人がこの会社には多いが、私は呼ばない。あちらにいたころ、本当に泊まる人を見ていたからである。
三十日の水曜は、帰れなかった。
夜十時に、翌朝八時からの会議用の資料の構成が変わった。変わった理由は、正当だった。役員の一人が、社外に出す紙と社内に出す紙で数字の丸め方が違うことに気づいて、揃えろと言った。それは正しい。正しくて、四十八枚を全部直すことになった。
十一時に、遠山くんを帰した。彼は「残ります」と言って、私は「帰ってください」と言った。二回言った。二回目で帰った。二回言わないと帰らない子は、そのうち帰らなくなる。
川辺くんは残った。彼には残ってもらう理由があった。数字の出所が二系統あって、どちらが正かを判断できるのは彼だけだった。
十二時十五分に、二人でコンビニに行った。
会社の一階を出て、右に三十歩。夏の深夜のコンビニは、明るすぎる。入ると、店員が二人いて、一人が品出しをしていた。
私は、おにぎりを二つ(鮭と、明太子)と、ゆで卵と、野菜スティックと、パックの豆乳を買った。川辺くんは、カップ麺と、から揚げと、コーラを買った。
「鵜飼さん、野菜スティック食べるんですか」
「食べます」
「深夜に」
「深夜に野菜を食べると、朝、自分に対する信頼が回復するんです」と私は言った。「信頼っていうか、まあ、言い訳の在庫ですね」
川辺くんは笑って、から揚げの袋を開けた。
会社に戻って、二人で会議室で食べた。川辺くんのカップ麺の匂いが、会議室の空気を全部持っていった。あの匂いは強い。強くて、悪くない。
私は明太子のおにぎりを先に食べた。おにぎりは、好きなほうを先に食べる。おかずは好きなほうを最後に残すのに、おにぎりは先に食べる。この矛盾について、私は二十年考えていない。
四十八枚を直し終わったのが、三時四十分だった。
川辺くんをタクシーで帰した。私は残った。残った理由は、五時に出社する人がいて、その人に一度見てもらいたかったからで、それは口実で、本当は、家に帰って一時間寝るのが怖かった。一時間の睡眠は、私の場合、ないほうがましである。
四時に、フロアの電気を半分落として、自分の席で、目を閉じた。
十五分くらい、たぶん寝た。
◇
役所の徹夜は、これと同じ姿勢で、違うものを作っていた。
国会の答弁である。
前日の夕方に質問が来る。来ないこともある。来ないまま夜になり、十時に来て、そこから割り振りがあって、書いて、上に上げて、直されて、また書く。朝の五時に印刷して、七時に大臣室に上がる。
書いているものは、二百字である。
二百字を、六人で、七時間かける。
六人のうち、二人は、その七時間、ほとんど何も打たない。打たない二人は、打つ四人の後ろに立って、画面を見ている。手が空いているのではなく、そういう役の人がいないと、この作業は終わらない。
その二百字は、答えないための二百字であることが多い。答えないことが不誠実なのではなく、答えられないことに対して、答えられないと言わずに済ませるための技術がそこにある。技術には練度があって、練度の高い文は、聞いた人が「答えてもらった」と感じたまま、何も持ち帰れない。
私はそれが得意だった。
得意なことについて、私は嫌だと思ったことがない。いまも思っていない。ただ、朝の五時に、印刷室で、まだ温かい紙を揃えながら、この二百字を作るのに六人が七時間かけたということを、たまに考えた。考えて、それから、紙を揃え終えて、上に上げた。
印刷室には、窓がなかった。だから、外が明るくなったことを、私は廊下に出るまで知らない。廊下の突き当たりに窓があって、そこから空が見える。夏は四時半に明るい。冬は六時半でも暗い。夏のほうが、ましだった。
一度だけ、朝の五時に、廊下の窓のところで、他の課の人が立って外を見ていた。名前は知らない人だった。私が通ると、その人は少し体をずらして、窓の場所を半分空けてくれた。私は「どうも」と言って、通り過ぎた。あそこで、隣に立って、一緒に外を見ることもできた。しなかった。
朝食は、庁舎の地下の売店の、サンドイッチだった。たまごか、ハムたまごか、ミックス。三種類しかない。私は十一年で、たぶん四百個くらい食べた。あれをうまいと思ったことは一度もなくて、まずいと思ったこともない。食べ物についてそういう感想を持つのは、私の人生では珍しい。
◇
七月三十一日の会議は、二十五分で終わった。
四十八枚のうち、使われたのは十一枚だった。残りは、質問が出たときのための紙で、質問は出なかった。出なかったのは、十一枚がよくできていたからである。よくできた資料の証拠は、使われなかった三十七枚のほうにある。これは、役所でも会社でも同じだった。
会議が終わって、青柳課長が「今日は帰っていいよ」と言った。
十時半だった。
私はフロアに戻って、机の上を片付けて、パソコンを閉じて、鞄を持って、エレベーターに乗った。エレベーターの鏡を、見なかった。見ない癖がついている。
外に出ると、暑かった。三十五度になる日で、十時半でもう三十一度あった。日比谷から地下鉄に乗って、広尾で降りて、家まで七分歩いた。歩きながら、汗が背中を伝った。
家に着いて、鞄を置いて、服を脱いで、シャワーを浴びた。
三十時間ぶりのシャワーというのは、あれは一種の贅沢である。頭のてっぺんに湯が当たったときに、何かが順番に下りていく。首、肩、背中、腰。私は湯の温度を少し高めにして、五分、動かずに立っていた。それから髪を洗った。二回洗った。
出て、髪を乾かして、冷蔵庫を開けた。
麦茶と、卵と、納豆と、開けたキムチと、豆腐が半丁。それだけ。
私は豆腐を出して、皿に乗せて、キムチを乗せて、胡麻油を回して、上から鰹節をかけた。冷たいままの豆腐に胡麻油をかけると、匂いが最初に立つ。あれは、疲れているときの匂いとして、たぶん人生でいちばん信頼している。
食べて、麦茶を二杯飲んだ。
エアコンを二十七度にして、遮光のカーテンを閉めて、十一時半に布団に入った。
寝る前に、一つだけ、思ったことがある。
深夜に何か食べる習慣が私にあるのは、たぶん、この会社に来てからではない。もっと前の、二人とも帰りが遅かった時期に、台所で立ったまま何かを食べていた時期がある。冷蔵庫の中身の話までは、しない。
目を閉じた。
起きたのが、午後の七時だった。七時間半寝た。起きて、まだ外が明るいことに驚いて、それから、夏だから当たり前だと思った。
起き抜けに、素麺を茹でた。二束。薬味は生姜と、みょうがと、ねぎ。みょうがはこの時期、二個で百二十円くらいで、あれは高くない。素麺は茹でて、冷水で締めて、氷を三つ落とす。つゆは市販のを薄めるだけ。それでいい。手のかかったつゆの素麺を食べたことがあるが、あれは素麺の食べ物ではない。
食べ終わって、皿を洗って、シャツを二枚洗濯機に入れて、回した。
九時に、テレビをつけた。ニュースが、猛暑と、電力の需給の話をしていた。数字が出た。私が作った紙の中の数字と、同じだった。当たり前である。
私はテレビを消して、洗濯物を干した。ベランダに出ると、まだ生ぬるい風が来ていて、隣の家の犬が一度だけ鳴いた。
◇
八月の第一週に、川辺くんと二人で昼を食べた。
会社の裏の、天ぷらの定食のところ。彼はかき揚げ、私は穴子。この店は、揚げたのが一つずつ順に出てくる。出てくるたびに会話が切れる。切れるのがちょうどよかった。
「鵜飼さん、この前の徹夜、久しぶりでした」
「あなた、ああいうの、よくやってたんですか」
「燃料にいたころは。年に何回か」
「いまは」
「いまのほうが少ないです」と川辺くんは言った。「少ないんですけど、その、なんていうか、少ないぶん、こたえます」
「わかります」
「わかりますか」
「二十代の徹夜は、体力の話なんですよ」と私は言った。「三十代の徹夜は、翌日をどう設計するかの話になります。設計に失敗すると、二日死にます」
「鵜飼さん、失敗しないですよね」
「しますよ。この前も、帰って一時間寝ようとして、やめました。一時間寝ると、私は駄目になるので」
「僕は寝ます」
「寝られる人は寝たほうがいいです」
かき揚げが来た。彼はそれを、塩で食べた。私は穴子を、天つゆで食べた。この店の天つゆは、大根おろしが多い。多いのがいい。
「鵜飼さん、役所のときのほうが、大変でしたか」
「量は多かったです」
「じゃあ、いまのほうが楽ですか」
「楽ではないですね」と私は言った。「役所の仕事は、終わりが人が決めてました。国会が終わるとか、会期が終わるとか、通常国会の会期は決まってるので。会社の仕事は、終わりが数字で決まるので、数字が動くと終わりも動きます」
「動きますね」
「動きます。あれは、慣れるのに一年かかりました」
「まだ一年経ってないですよ」
「そうでした」と私は言った。
彼は笑って、味噌汁を飲んだ。この店の味噌汁は、あさりのときと、豆腐のときがある。その日はあさりだった。あさりの日は、当たりである。
◇
八月の第三週の土曜に、一日、何もしない日を作った。
作った、というのは、前の週から決めていたという意味である。予定を入れない日を、私は月に一度、手帳に書く。書かないと、埋まる。埋まった予定は、埋まってから断ると角が立つ。書いておくと、断らずに済む。
朝、九時に起きた。カーテンを開けたら、もう暑かった。
洗濯をして、干して、掃除機をかけた。それから、近所の喫茶店に行った。
その店は、坂の下にあって、十席しかない。朝の十時から夜の六時までしかやっていない。マスターが一人でやっていて、その人は、注文を取るとき以外、一度も客のほうを見ない。
私はいつも、アイスコーヒーと、トーストを頼む。トーストは、四枚切りの厚いやつで、バターが端まで塗ってある。端まで塗るのは、簡単なようで、店でやっている店は少ない。
新聞を読んだ。この店には、新聞が三紙ある。私は三紙とも、経済面と国際面だけ読む。社会面は読まない。読まないと決めているのではなくて、順番に読んでいくと、そこまでで時間が来る。
十一時半に出て、坂を上がって、図書館に行った。
区の図書館は、日当たりのいい閲覧席が八つある。八つのうち、六つはいつも埋まっている。その日は、二つ空いていた。
私は、何も借りずに、二時間座っていた。持っていったのは、会社の資料ではない。買ってから半年開いていない、料理の本である。日本の家庭料理の、古い本で、写真がない。文章だけで、分量が書いてある。
「大根は米のとぎ汁で下ゆでする」というような文が、二百ページ続く。
面白かった。面白いというより、これは全部、誰かが何度もやって決めた分量なのだと思うと、途中で読むのが遅くなる。
二時に出て、帰りにスーパーに寄った。大根が半分で百二十八円だった。買った。とぎ汁で下ゆでした。四十分かかった。
夜、その大根を、鶏と一緒に煮た。煮ているあいだ、テレビをつけずに、台所に立っていた。立っているのは、鍋を見るためではなく、座ると寝るからである。
八時に食べた。大根は、下ゆでした甲斐があった。中まで味が入っていて、噛むと、汁が出る。
食べながら、私は、来週の予定を考えた。考えて、やめた。何もしない日の夜に来週を考えるのは、何もしない日を一日、無駄にすることである。
九時に風呂に入って、十時に寝た。
翌日、日曜は、十時間寝ていた。
第六項 母の鶏は砂糖が多い
八月の終わりに、関西の設備を見に行くことになった。
うちの会社は、京都には発電所を持っていない。持っているのは、大阪湾の埋立地と、和歌山と、兵庫の内陸に一つ。見に行くのは、そのうちの兵庫のやつと、あとは大阪の事業所である。
日程を組んだのは私である。組んだ人間の特権として、私は金曜の午後を空けた。
金曜の午後を空けて、土曜の朝の新幹線で帰る、という組み方もできた。しなかった。金曜の夕方に京都に入って、実家に泊まって、土曜に東京に戻る。そう組んだ。
理由を書くとすれば、母が六月に「膝が痛い」と電話で言ったからである。言ったのは一度で、あとは言わなかった。言わない人が一度言ったときは、たぶん二か月痛い。
宇治に着いたのは、金曜の六時半だった。
京都駅から近鉄で大久保、そこからバス。私はいつも、この最後のバスの十四分が長い。長いのは、距離ではなく、車窓が変わらないからである。ドラッグストアと、中古車と、うどん屋と、また別のドラッグストア。十八で出て、十六年、この十四分だけがほとんど変わらない。
実家は、坂の途中の、四十年前の建売である。門扉の錆が、去年より進んでいた。
「ただいま」
「おかえり」と母は言った。「痩せたなあ」
これが、母の最初の一言である。この十六年、たぶん十四回くらい同じ一言を聞いている。痩せた、と母は言う。実際に痩せているかどうかは関係がない。母にとって、東京にいる娘は常に痩せていることになっている。
「痩せてへんよ」
「痩せた。顔が」
「顔は年齢や」
母は、それには答えずに、台所へ行った。
台所からは、もう匂いがしていた。鰆ではなく、鱧でもなく、鶏だった。母の鶏の炊いたやつは、砂糖が多い。多いことを私は東京に出てから知って、知ってからも、これは多いほうがうまいと思っている。
食卓には、それと、賀茂茄子の田楽と、ひじきと、白いご飯と、赤だしが並んだ。四品も作るなと私は毎回言う。毎回言って、毎回四品ある。
「智子さん、膝は」
「なんで名前で呼ぶん」
「呼びたいときがあるから」
「気色悪い」と母は言った。「膝はまあまあ。歩けるし」
「病院は」
「行った。水は溜まってへんて」
「じゃあ筋肉やな」
「そうそう、そう言われた。歩けって言われた」
「ほな歩かな」
「歩いてる。朝、太陽が丘のとこまで」
私はご飯を食べながら、その距離を頭の中で測った。片道十五分くらいのはずである。悪くない。
会話は、ほとんど中身がなかった。近所の誰それが施設に入った話、隣の空き家がついに売れた話、父の三回忌の法要をどうするか、伯母が今年も梅を送ってきた話。私はほとんど聞き役で、たまに「ふうん」と言った。
途中で、母が「仕事はどうなん」と訊いた。
「おもろいよ」
「役所のときと、どっちがおもろい」
「今のほうが、飯がうまい」
「そんなん理由になれへん」
「なるよ。私にはなる」
母は、それについては笑った。母は、私が食べることを人生の中心に置いていることを、たぶんこの世でいちばん長く見ている人である。私が小学生のとき、給食のおかわりの回数で担任に褒められたのか怒られたのかわからない紙をもらってきたことがあって、母はそれを笑って冷蔵庫に貼った。三年貼ってあった。
風呂は、実家の風呂だった。狭い。追い焚きのボタンの位置が、十六年前と同じところにある。私は湯に浸かって、膝を抱えて、天井を見た。天井のカビが、去年より二センチ広がっていた。
寝室は、二階の、私の部屋だったところである。ベッドはもうない。母が客用の布団を敷いてくれていた。壁に、私が高校のときに貼った地図が、まだ貼ってある。世界地図で、右上のほうが日焼けしている。剥がしていいと私は何度も言って、母は剥がさない。剥がさない理由は訊いたことがない。
布団に入って、天井を見た。実家の天井は、東京の天井より近い。
◇
土曜の朝、歩きに出る前に、母が仏壇の前に座っていた。
父は二年前に死んだ。心臓である。倒れてから二日で、私は東京から二回、京都に来た。一回目は生きていて、二回目は死んでいた。あのときの新幹線を、私は二本とも覚えている。座席の番号まで覚えている。人はそういうものを覚える。
「お父さん、なんか言うてた?」
「言うわけないやろ」と母は言った。
「言うてくれたらええのに」
「言うてくれたら困るわ」
母は、線香を上げて、鈴を一回鳴らして、立った。立つときに、右手を畳について、少し時間がかかった。膝である。
父は、無口な人ではなかった。よく喋る人だった。母もよく喋る。私が言葉で生きているのは、たぶん、この家の食卓のせいである。あの食卓では、黙っている人がいなかった。四人家族で、兄は大阪にいる。兄も喋る。
黙っている人と暮らしたのは、私は、あの八年だけである。
そのことを、私はその朝、思い出さなかった。母が鈴を鳴らしたときにも、玄関で靴を履いたときにも、思い出さなかった。
母が「行こか」と言って、私は「行こ」と言った。
◇
朝の七時。八月の終わりの宇治は、まだ暑いが、朝のうちだけ空気が動く。坂を下りて、川のほうへ出た。
宇治川は、水量が多い日と少ない日の差が激しい。その日は多かった。前の週に降ったからだと思う。
「ダム、行こか」と私は言った。
「ダム?」
「天ケ瀬」
「なんで」
「近いから」
母は「膝が」と言って、それから「まあ、途中まで」と言った。
天ケ瀬ダムは、宇治の上流にある。歩いて行くと、川沿いの道が細くなって、木が増えて、それから急にひらけて、コンクリートの壁が見える。アーチ式で、上が細く、下が広い。
私は九歳のときに、父に連れられてここに来た。そのときのことを、あまり覚えていない。覚えているのは、水の音が、想像していたのと違ったことだけである。もっと激しい音を想像していて、実際は、低くて、途切れなくて、その場に立っているうちに聞こえなくなる種類の音だった。
母は、途中の休憩所のベンチで座って待つと言った。私は一人で、上まで歩いた。
十分。上から見ると、下流の側に、水が落ちていく先の白いところが見える。ダムの上の道路は、車が通れる幅がある。橋の欄干のところに、自転車の人が二人いて、写真を撮っていた。
私は欄干に手を置いた。夏の朝でも、コンクリートは冷たい。
十分くらい、立っていた。
それから戻った。母はベンチで、ペットボトルのお茶を飲んでいた。
「どやった」
「でかかった」
「そらそうや」
「小学校のとき、お父さんに連れてきてもらった」
「あんた、あのとき、帰りずっと寝ててん」と母は言った。「車で。口開けて」
「そうやったっけ」
「そうや」
帰りは、バスに乗った。母は「歩いて帰れる」と言い張って、私が「私が歩けへん」と言ったので、乗った。
昼に、母がにゅうめんを作った。朝に歩いた後の、あの、少し薄い味のにゅうめんが、実家の食べ物の中でいちばん実家の味がする。錦糸卵と、椎茸と、蒲鉾が二切れ。蒲鉾はいつも二切れである。
「もう帰るん」
「三時の」
「早いなあ」
「また来るし」
「来んでええ」と母は言った。「元気やったらええ」
母は、こういうことを言う。言われるたびに、私は返事の在庫を一つずつ使う。
「元気やで」
「ほんまに」
「ほんまに」
◇
昼のあと、三時の電車まで一時間半あったので、平等院に行った。
母は「暑いのに」と言った。膝で来られないことを、そういう言い方でだけ言う人である。
「ついでや」と私は答えた。ついでではなかった。宇治に住んでいて平等院に行く用事は、一生に何度もない。地元の人間は、たいてい、修学旅行の付き添いか、親戚が来たときにしか行かない。私は十八まで宇治にいて、たぶん四回しか入っていない。
参道は、お茶屋が並んでいる。抹茶のソフトクリームの看板が、十六年前より確実に増えている。増えた分だけ、通りは明るくなっていた。観光地が明るくなることを、私は悪いと思わない。暗い観光地には、店の人の生活が見えない。
拝観料を払って、門をくぐると、急に人の声が減る。
池がある。池の向こうに、鳳凰堂がある。
真ん中の建物の左右に、翼のような棟が伸びていて、その先がまた少し折れている。中央に屋根がひとつ高くあって、そこに鳳凰が二羽、載っている。
十円玉に彫ってあるのは、この角度である。
池のこちら側に立つと、水面に建物が映る。その日は風がなくて、映り方がよかった。上の建物と、下の建物が、同じ形で、上下に並んでいる。下のほうは、少しだけ揺れている。
見ている人が、私を入れて七人いた。うち五人が写真を撮っていた。撮り終わると、皆、少し立っていて、それから移動する。立っている時間は、だいたい三十秒くらいである。
私は、四分いた。
四分いて、考えたのは、この建物が千年近くここにある、ということではなかった。考えたのは、屋根の反りの角度と、その角度を出すために、材をどう組んだかである。木造で、この幅で、この軽さを出すのは、たぶん、かなり無理をしている。無理をしたところは、必ず、どこかに寄っている。千年のあいだに何度も直しているはずで、直した人は、直したことを表に出していない。
出さないのが、この種の仕事の作法である。
鳳翔館に入った。地下の展示室で、中は暗くて、涼しい。雲中供養菩薩が並んでいる。楽器を持っているのと、踊っているのと、手を合わせているの。一体ずつ、顔が違う。
私は、そのうちの一体の前で、しばらく立っていた。
琵琶を弾いているやつだった。指の形が、弾いている途中の形をしている。撥が、弦に当たる少し手前で止まっている。当たった後ではない。当たる前である。
彫った人は、音の出る瞬間ではなく、その手前を選んだ。
選んだ理由は、説明に書いていない。書いていないので、私は勝手に、そのほうが長く見ていられるからだと思った。音が出てしまうと、そこで終わる。出る手前は、終わらない。
売店で、絵葉書を三枚買った。一枚は鳳凰堂、二枚は菩薩。誰に出すあてもない。買ってから、母の分に一枚渡そうと思って、家に着いたら渡すのを忘れた。いまも私の机の引き出しに三枚ある。
出口のところで、また池のほうを見た。
さっきより人が増えていて、修学旅行らしい中学生が二十人くらい、写真を撮られていた。先生が「はい、寄って」と言っていた。生徒は寄らなかった。
門を出て、参道を歩いて、抹茶のソフトクリームを食べた。四百五十円。濃いやつと普通のやつがあって、濃いほうにした。濃いほうは、最初の一口が苦い。二口目から甘くなる。あれは、たぶん、順番でできている食べ物である。
歩きながら食べて、宇治橋のところで食べ終わった。
橋の上から、川を見た。上流のほうに、木で組んだ細い足場のようなものが見える。あれが何なのかを、私は三十四年知らない。知らないまま、たぶん、この先も知らない。
家に戻ったら、二時前だった。母が「もう帰ってきたん」と言った。
「見てきた」
「どやった」
「十円玉やった」
「そら十円玉やろ」と母は言った。
◇
玄関を出るとき、母が紙袋を持たせた。伯母から来た梅で作った梅干しと、ひじきのタッパーと、なぜか乾麺の素麺が二把。素麺は東京で買える。買えると言っても持たせる。私は持って帰る。
バス停まで、母は出てこなかった。膝のせいである。門のところで立って、私が坂を下りていくのを見ていた。角を曲がるときに一度振り返ったら、まだ立っていた。手を振った。母も振った。
◇
京都駅で、新幹線に乗る前に、地下で寿司を買った。
八条口の、一人分の折の寿司。鯖と、穴子と、海老。京都駅の鯖寿司はうまい。うまいというより、あれを新幹線の中で食べるという行為の全体がうまい。窓側の席を取って、缶ビールを一本買って、名古屋を過ぎたあたりで開ける。
その日は、開けなかった。京都を出て五分で寝た。
起きたら、新横浜だった。寿司は膝の上にあった。ビールは温くなっていた。
東京駅で降りて、山手線に乗り換えて、恵比寿で降りて、歩いて家に帰った。
家に着いて、寿司を食べた。夜の八時だった。温くなったビールも飲んだ。温いビールを飲む日は、年に何回かある。
紙袋から、梅干しのタッパーを出して、冷蔵庫に入れた。素麺は、戸棚の上のほうに入れた。そこには去年の素麺が一把、まだ入っていた。
翌朝、電話がかかってきた。母である。
「無事帰った?」
「昨日帰ってん。連絡してへんかった」
「せえへんな、あんたは」
「ごめん」
「ええけど」と母は言った。「梅干し、辛かったら言うて。今年、塩多めやし」
「わかった」
「ほな」
電話を切って、冷蔵庫を開けて、タッパーの蓋を取って、梅干しを一つ食べた。辛かった。言わないでおこうと思った。
第七項 三個を二個にする
九月の第一週に、沢口さんの業務を十四個に分解した。
十四個というのは、私が数えた数ではない。彼女が数えた数である。私が「あなたにしかできないものを探してください」と言ったのが六月の終わりで、彼女は八月の終わりに、A4で三枚のリストを持ってきた。三枚目の裏まで書いてあった。
十四個のうち、四個は仕組みの問題だった。彼女しかアクセス権を持っていない集計の共有フォルダとか、彼女の名前で登録されている外部のデータベースとか。これは権限を移せば終わる。終わるが、こういうものが四個溜まる会社は、たぶんどの部署にも四個ずつ溜まっている。
六個は、川辺くんに渡せた。
三個は、遠山くんに渡した。渡した瞬間に彼の顔が青くなったので、そのうち一つを私が引き取って、二つにした。青くなる顔は情報である。私は二十六のときに、青くなっているのに顔に出さない訓練をどこかで済ませてしまって、あれは、たぶん、あまりいい訓練ではなかった。
残りの三個は、私が持った。
そのうち一つが、月末の需給の実績の突合だった。これは前任者の黒木さんが沢口さんに渡していたもので、要するに二代前から誰も見直していない作業である。手順書を読んで、二時間やって、二時間目に、この作業の三分の一が要らないことがわかった。要らない部分は、四年前に廃止された報告のために作られていた。
私はそれを消した。消した記録だけ残した。
沢口さんに言うと、「あ、それ、要らないと思ってました」と言った。
「言えばよかったのに」
「私が言うと、なんか、サボりたがってるみたいで」
「わかります」と私は言った。「私も、若いころ、それで三年くらい無駄な紙を作りました。あれは、やめたいと言い出せなかったんじゃなくて、やめたいと言い出す人だと思われたくなかったんですね」
沢口さんは、そこで初めて、ちゃんと笑った。
引継の資料は、九月の第三週にできた。よくできていた。よくできている引継資料は、書いた本人が戻ってきたときにいちばん役に立つ。それも言った。彼女は「戻ってこられますかね」と言った。
「戻ってくるかどうかは、あなたが決めることです」と私は言った。「戻ってこられるかどうかは、こっちが用意することです。混ぜないほうがいいです」
言いながら、自分がずいぶん整理された物言いをしていると思った。整理された物言いは、たいてい、整理する必要があった経験のうえに載っている。私はその先を言わなかった。言う場面ではなかった。
沢口さんは、九月三十日で休みに入った。最終日、彼女はフロアの全員にバウムクーヘンを配った。個包装のやつだった。
◇
離婚したのは三十三のときで、その話を私は人にできる。
できるどころか、うまい。うまいというのは自慢ではなくて、話す回数が多いと形が決まってくるという意味である。だいたい四十秒で、笑いが二回入る。
「私、離婚してるんですけど、あれ、揉めなかったんですよ。びっくりするくらい。財産分与も一時間で終わって、行政書士さんが『こんなに早いの初めてです』って言って、あの、褒められてるのか心配されてるのかわからなくて」
これが一つ目の笑いどころである。
「なんで揉めなかったかっていうと、二人とも家にいなかったんですね。家財がない。冷蔵庫と洗濯機とテレビ。テレビはあいつが買ったやつなので、あいつのって言ったら、いや置いてくって言われて、じゃあ置いてってもらったんですけど、その後わりとすぐ壊れて」
これが二つ目。
「あと、うち、一回も喧嘩したことないんですよ、結婚してるあいだ。一回も。これ言うとだいたい引かれるんですけど」
引かれる。実際、少し引かれる。それでも私はこれを言う。誇らしいからである。八年、一度も喧嘩をしなかった夫婦というのは、そんなに多くない。
結婚したのは二十五のときで、決め手らしい決め手はなかった。向こうが国際機関の試験に受かった時期と重なって、じゃあそろそろ、という程度の話だった。式は簡素にした。私が簡素にしたがって、向こうは何も言わなかった。母は喜んだ。母は式の前の日に美容院に行って、当日、髪型のことを三回言った。伯母が着物で来て、暑いのに脱がなくて、写真の中でだけ涼しい顔をしている。
その話は、いくらでもできる。
二十六のときに、国費で一年、英国に行った。私が先に日本を出た。
あれは、いい一年だった。
大学は、駅から丘を上がったところにあって、上がりきる前にパブがあって、そのパブの、焼いた玉ねぎの匂いが道まで出ていた。授業は週に四つ。読む量が多くて、最初の二か月は死んでいた。三か月目から急に読めるようになる。あれは語学ではなくて、たぶん、読み方の見当がつくかどうかである。
台所は共同で、六人。ギリシャの子と、ドイツの子と、スーダンの人と、あと英国の子が二人。ギリシャの子が作るのが一番うまくて、彼女は毎回、鍋の底を焦がした。焦がしたところをスプーンで剥がして「これがうまい」と言って食べていた。私もそれを真似して食べた。実際、うまかった。
冬は寒い。寒いというより、暗い。三時半に暗くなる。暗いのは日本にいるより堪える。堪えるので、皆で夕方に酒を飲んだ。三時半から飲む冬というのは、あれは人生に一度でいい。一度あってよかった。
修士論文は九月に出した。出した日に、一人で電車に乗って、海のほうまで行った。海は灰色で、風が強くて、フィッシュアンドチップスを買って、外のベンチで食べた。カモメがすごい勢いで来た。酢をかけすぎた。かけすぎたやつがいちばんうまい。
一年で帰ってきた。
期限が切ってあった。だから、行く前の話し合いは短かった。「一年やし」と私が言って、向こうも同じことを言った。同じことを言われたので、それで終わった。
向こうは日本にいた。一度だけ来た。二月だった。二泊して、寒い寒いと言って、私の部屋の電気ストーブの前から動かなかった。二日目に、大学の丘まで一緒に上がった。上がりきったところで、彼は振り返って、「思ったより低いな」と言った。
その言い方が可笑しくて、私は笑った。
◇
三十のときに、次はどうすると訊かれた。
そのときはジュネーブの話が出ていて、こちらは会合の準備の最中だった。訊かれたのは、電話だったか、帰ってきたときだったか、はっきりしない。
私は「来年の会合が終わったら」と答えた。
翌年も、同じ会合があった。年に一度あるものだから、当たり前である。当たり前のことを、私はそのとき指摘しなかったし、向こうもしなかった。
◇
十月の第一週、沢口さんの席が空いた。
空いた席は、二週間そのままにしておいて、それから、部の共用のノートパソコンを置く場所になった。誰が決めたわけでもない。誰も座らない席には、物が置かれる。
私はその席を通るたび、特に何も思わなかった。思わなかったというのは書きすぎで、正確には、通っていた。
十月の第二週の金曜、沢口さんからメールが来た。件名は「ご報告」ではなく「例のフォルダの件」だった。休みに入った人間が、休みに入って十日で仕事のメールを送ってくるのは、よくない。
私は返事を書いた。
「ありがとうございます。権限は移してあります。次にご連絡いただくのは、産まれた後で結構です。それから、この返信に返信しないでください。私が最後に送ったことにしたいので」
三分後に、返信が来た。
「わかりました」
私は、それには返さなかった。
◇
十月の第三週の火曜に、青柳課長と、部下の評価の話をした。
会議室ではなく、自販機の前だった。
「沢口さん、休みに入る前の評価、どうする」
「通常どおりでいいと思います」
「通常どおり」
「はい。半期の成果で見て、十月以降は在籍月数で按分します。それが規程です」
「規程はそうなんだけどね」と青柳さんは言った。「規程どおりにやると、たまに、変なことになる」
「変なこと」
「休みに入る人に高い評価をつけると、来年、戻ってきたときに、その評価と比べられる」
私は、コーヒーのボタンを押した。出てくるまでに、少し考えた。
「それは、比べる人の問題です」
「そうだけど」
「私は、規程どおりにつけます」と私は言った。「規程どおりにつけて、来年比べられたら、そのときに私が説明します。私がいれば説明します。いなかったら、記録が説明します。だから、評価の理由を長めに書いておきます」
青柳さんは、自分のコーヒーを取り出して、少し笑った。
「鵜飼さん、そういうところ、役所だね」
「役所です」
「悪い意味じゃなくてね」
「わかってます」と私は言った。「あそこは、人がいなくなる前提で仕組みが出来ています。二年で全員入れ替わるので。だから、記録が本体になります」
「うちは、人がいる前提だ」
「そうですね。だから、うちのほうが、いい会社です」と私は言った。「人がいなくなったときに、少し困りますけど」
◇
三十一の冬に、二人で鍋をした夜のことを、書いておく。
あの人が、二週間だけ帰ってきていた時期である。
給湯器が壊れた週だった。風呂は近所の銭湯に行っていた。台所の湯は出た。出るところと出ないところがあるのが、あの型の壊れ方らしい。修理は月曜で、その日は土曜だった。
鍋は、鶏にした。もも肉を二枚で六百八十円。白菜が四分の一で百二十円。ねぎと、豆腐と、しめじ。ポン酢は買い置きがあった。土鍋は、人からもらったやつで、蓋の縁が一か所欠けている。欠けたところから、湯気が細く出る。
テレビはつけていなかった。あの人はつけない人で、私はつける人だった。その日はつけなかった。理由は覚えていない。
白菜がなくなったころに、あの人が「あのさ」と言った。
私は「うん」と言って、それから、二月の当番の話をした。順番が入れ替わって、三週目が私になったという話である。二、三分、喋った。
あの人は聞いていた。聞き終わって、「そっか」と言った。
雑炊にした。卵を二つ落として、蓋をして、火を止めて、三十秒待つ。三十秒は、私が数えた。
食べ終わって、私が洗って、あの人が拭いた。拭きながら、あの人はもう一度「あのさ」と言った。
私は換気扇を回した。土鍋の匂いが残る日は、回してから寝る。換気扇の音は、大きい。
「なに」と私は言った。
「いや」と、あの人は言った。「いい」
土鍋は、拭かずに、伏せて置いた。翌朝も、伏せたままだった。
◇
三十のときの、あの会話の続きを、少しだけ書いておく。
「来年の会合が終わったら」と私が答えたとき、向こうは何も言わなかった。
何も言わないというのは、あの人の場合、了解ではない。あの人は、言葉が遅い人だった。遅いというのは、頭が遅いのではなく、口に出すまでの距離が長い。私はその距離が短い人間で、短いことで仕事をしてきた。
だから、私は、その沈黙を、待たなかった。
待たずに、次の話をした。次の話が何だったかは覚えていない。たぶん、母のことか、家賃のことか、そういうものである。
あの人は、私が次の話をはじめると、必ずそっちに乗った。乗ってくれる人だった。乗ってくれる人と八年暮らすと、こちらは、自分がいつも話題を決めていることに気づかない。
一度も喧嘩をしなかったのは、そのせいかもしれない、と考えたことは、ある。
考えて、それ以上は進まなかった。進まないところで止めるのは、私の得意な技術のうちの一つである。
第八項 書式が正しすぎる
十月に、NGOから照会が来た。
内容は、うちが進めているアンモニア混焼の実証についてだった。石炭を燃やすところに、アンモニアを混ぜて燃やす。混ぜた分だけ二酸化炭素が減る。減り方の計算と、アンモニアをどこから持ってくるか、それを作るときに出る分をどう見るか。論点はそこである。
照会状は、四ページ。質問が九つ。
私はそれを読んで、三十秒で、書いた人のおおよその年次がわかった。
書式が正しすぎるのである。宛名の書き方、前文、質問の番号の振り方、回答期限の切り方、「なお、本照会及び貴社のご回答は、当団体のウェブサイトにて公表を予定しております」という一文の位置。全部、正しい。正しさというのは、この種の文書では、こちらに読ませるための技術である。
九つの質問のうち、七つは、公表資料で答えられる。
二つは、答えられない。答えられないというのは、情報がないのではなく、答えると別のことが決まってしまうからである。彼らはそれをわかって二つ入れている。
私は回答案を三日で書いた。
書きながら、自分の手が速すぎることに気づいた。速いのは、この文書の構造を、両側から知っているからである。私はかつて、この形の照会に答える側の官庁にいて、その前に、この形の照会を出す側の資料も読んでいた。どちらの側にいる人が、何を欲しくて、何を恐れているかを、私は知っている。
だから、答えられる。
七つには、正面から、資料をつけて答えた。過剰なほどつけた。過剰につけると、相手はそれを読まなければならなくなる。それは意地悪ではなく、誠実である。誠実であることと、相手の手間を増やすことは、この世界では両立する。
二つには、答えなかった。
答えないことを、答えないと書かずに済ませる技術を、私は持っている。二百字を六人で七時間かけて作っていたころに覚えたやつである。
書き上げて、二晩置いた。二晩置いて、読み返して、その二つの回答のところで、手が止まった。
止まって、何もしなかった。そのまま出した。
社内の決裁は、一週間で下りた。法務が二か所直した。直したところは、どちらも私が意図して曖昧にしていた箇所ではなく、単なる言葉の精度の問題だった。法務の人はよく見ていた。
回答は、十一月の頭に出た。二週間後、先方のウェブサイトに、うちの回答が全文で載った。載せ方は公正だった。抜粋も、要約もされていない。
そのページの下に、他社の回答も並んでいた。全部で八社。八社のうち、二社は回答していない。一社は「回答を差し控える」とだけ書いていた。残りの五社のうち、四社の回答は短かった。
うちのがいちばん長かった。
長いのがいい回答だとは、私は思っていない。
◇
その週の日曜に、綾の家に行った。
十月の終わりで、庭の鉢のしそは終わっていて、代わりに小さいのが二つ増えていた。名前を聞いた。忘れた。
出てきたのは、きのこの炊き込みご飯と、鶏団子の汁と、大根と柿の膾だった。柿を膾に入れるという発想が、私にはない。入れると、甘さが酢の角を取る。
「これ、なんで柿なん」
「余ってたから」
「そういう理由で入れるんや」
「入れる」
私はよく喋った。その週にあったこと。NGOの照会。九つの質問。七つと二つに分けたこと。自分が両側の書式を知っていること。
「両方知ってると、書けてまうねん」と私は言った。「書けてまうから、書くんやけど、書いたあとに、この技術、なんのために身につけたんやろって思うわ」
「なんのため?」
「いや、なんのためでもないよ。仕事やし」と私は言って、それから、続けた。
「私、結局そういうことしかできひんねん。喋るのと、書くのと、その場でうまいこと言うのと。中身がないねん。中身のある人が作ったもんを、上手に運ぶだけの仕事を十二年やってきて、それが上手になっただけで。だから、綾みたいに、ちゃんと自分の手で何か作ってる人を見ると、あー、私は何も——」
綾が、箸を置いた。
音はしなかった。置いただけである。
「やめて」
私は、口を閉じた。
「なに」
「それ、やめて」と綾は言った。
短かった。声も普通だった。怒鳴られたのではない。綾は怒鳴ったことがない。二十歳から十四年、一度もない。
「え、なんで」
「なんでもええから」
「私、なんか変なこと言うた?」
綾は、少しのあいだ、私の顔を見た。それから、汁の椀を持って、一口飲んで、置いた。
「柿、もっと入れたらよかったな」と綾は言った。
「入れたらよかったな」
「うん」
それで終わりだった。
私は膾を食べた。柿が三切れ入っていて、三切れとも食べた。
その後は、普通に喋った。綾の夫が来月出張で二週間いない話と、駅前のパン屋が値上げした話と、判子屋が相変わらず閉まっている話。綾は普通に返事をした。私も普通に返事をした。
帰りの中央線で、考えた。
私は何を言ったか。自分を低く言った。低く言うのは、私の癖である。癖であることも知っている。人前で自分を低く言うのは、たいてい、そのほうが場が楽になるからで、実際、たいていの場では楽になる。
綾は楽にならなかった。
その理由が、二駅ぶん考えてもわからなかった。四ツ谷で乗り換えて、また考えて、わからなかった。
わからないまま、家に着いた。冷蔵庫に、綾が持たせてくれた膾の残りが入っていた。タッパーごともらった。翌日の朝に食べた。一日置いた膾は、柿がふやけて、酢が全体に回って、日曜より、うまかった。
◇
十一月の第一週の平日の夜に、一人で映画を観た。
会社から歩いて七分の映画館で、七時二十分の回。観たのは、何かの賞を取った外国の映画で、内容は、家族の話だった。よくできていた。よくできていたが、途中で二回、時計を見た。
映画を観にいくと、私は必ず時計を見る。見る自分が嫌なのではなくて、二時間、他人の速度に合わせるのが、たぶん、あまり得意ではない。本は自分の速度で読める。料理は自分の速度で作れる。映画だけが、向こうの速度で進む。
終わって、ロビーに出たら、九時半だった。
ロビーのソファに、若い二人が座って、いま観た映画の話をしていた。片方が「あそこ、泣いた」と言って、もう片方が「どこ」と言った。「最後の、車のとこ」「ああ」
私は、最後の車のところで、泣いていない。泣かなかったことについて、何も思わなかった。
外に出て、コンビニで、ハーゲンダッツを買った。バニラ。三百五十四円。家まで持って帰ると溶けるので、店の前で食べた。十一月の夜に、外でアイスを食べている三十四歳が一人。悪くなかった。
家に着いて、風呂に入って、寝た。
◇
十一月の第二週に、綾からメールが来た。用件は、年末に集まるかどうかの話だった。学生のときの、五人くらいのやつ。私は「行く」と返した。
その最後に、綾が一行だけ書いていた。
「この前のごはん、汁が薄かったやろ。ごめん」
薄くなかった。私はそう返した。返してから、これは私が返すべき返事だったのかを、少しだけ考えた。
◇
十一月の第三週に、社内で、あの回答について訊かれた。
訊いたのは、広報の部長である。エレベーターホールで会って、「あの回答、うち、出しすぎじゃない?」と言われた。
「出しすぎというのは」
「他社、あんなに書いてないでしょう」
「書いていません」
「じゃあ、なんでうちだけ」
「書ける範囲を書いたら、あの量になりました」と私は言った。「書ける範囲を狭くすることもできましたが、狭くすると、次に訊かれます」
「次?」
「あの団体は、来年も出します。毎年出しています。今年短く答えた会社は、来年、去年より踏み込んだ質問を受けます」
部長は、少し考えて、「詳しいね」と言った。
「昔、出される側にいたので」
「ああ、そうか。役所か」
「はい」
エレベーターが来た。二人で乗って、彼は三階で降りた。降りるときに、「まあ、鵜飼さんがそう言うならいいや」と言った。
私は、七階まで上がった。上がりながら、いまの会話の中で、私が使った技術のことを考えた。「来年、去年より踏み込んだ質問を受けます」という一文である。あれは、事実であり、同時に、相手を黙らせるために選んだ形をしている。事実だけを使って相手を黙らせるのは、嘘をつくより、たちが悪いときがある。
七階で降りて、席に戻って、その考えを続けなかった。
◇
十一月の第四週の火曜に、綾から電話がかかってきた。
電話は珍しい。綾はいつもメールである。
「はるか、いま平気?」
「平気。どしたん」
「あんな、この前の、うちが言うたやつ」
「どれ」
「やめて、って言うたやつ」
私は、台所に立っていた。豆腐を出したところだった。
「ああ、あれか」
「あれ、なんで言うたか、うち、自分でようわかってへんかってん」と綾は言った。「ずっと考えてて」
「考えてくれてたん」
「考えてた。でも、やっぱりようわからんかった」
「ほな、ええやん」
「よくないやろ」
「よくない?」
「よくない」と綾は言った。「はるか、ああいう言い方、これからもすると思うねん。うちの前で」
「するやろな」
「するやろ。ほんで、うち、また止めると思う」
「止めてええよ」
「ええの?」
「ええよ」と私は言った。「理由は要らんし」
電話の向こうで、綾が何か動く音がした。台所か、居間か。水の音がした。
「はるか」
「なに」
「ごはん、また食べに来て」
「行く」
「うん」
それで切れた。
私は、電話を置いて、豆腐を皿に出して、キムチを乗せて、胡麻油をかけた。
食べながら、綾が「ずっと考えてて」と言ったことについて考えた。綾は、たぶん、三週間考えていた。三週間かけて、答えが出なくて、それでも電話をかけてきた。
私なら、三週間は考えない。三日で言葉を作って、その言葉で片付ける。片付けた場所は、後から掘り返せない。
胡麻油の匂いが、部屋に残った。
第九項 麦茶を持っていく
十一月の下旬に、会議に行った。
行くと決まったのは十月で、決めたのは私ではない。うちの会社は、この種の国際会議に、業界団体の枠でオブザーバーを出している。今年は三人。うちの部門から一人、燃料調達から一人、広報から一人。経営企画の一人が私になった理由は、説明されなかった。説明されなくてもわかる理由というのは、たいてい、言うと角が立つ種類のものである。
登録は、業界団体を通じて行う。オブザーバーの区分は、政府代表団とは別である。バッジの色が違う。入れる部屋が違う。会議場の、どの扉から入れるかが違う。
私は六年ぶりに、その色の違いを、外側から見た。
会場は、前とは別の街だった。建物の作りは似ている。この種の施設は世界中で似ていて、天井が高く、床が固く、椅子が足りない。廊下に人が座り込んでいて、その横を代表団が通っていく。売店のサンドイッチのパンが乾いている。値段だけが上がっていて、九ユーロが十一ユーロになっていた。
初日は、うちの三人で分担を決めた。誰がどのセッションに入って、何を持ち帰るか。燃料調達の人は市場の話に、広報の人は各国のメッセージの出方に、私は制度の詰めのところに入ることになった。
分担を決めているとき、広報の人が「鵜飼さん、こういうの慣れてますね」と言った。
「まあ、地図の読み方は同じなので」
「前も来てたんですか」
「昔、少し」
それ以上は訊かれなかった。この会社の人は、訊かないほうがいいところで訊かない。これは能力である。
◇
二日目の午前、私は本会議場の傍聴席にいた。
傍聴席は、二階である。手すりの向こうに、下の平場が見える。国名のプレートが並んでいて、席が三つずつある。うしろに補助の椅子が二列。
日本のプレートのところに、人が入ってきた。
四人。先頭が課長級で、あとの三人が補佐。全員、私の知らない顔ではなかった。二人は知らない。二人は知っている。
そのうちの一人が、三崎悠人だった。
彼は入って、いちばん後ろの補助椅子に座って、パソコンを開いた。開いてすぐ、前の人に何か渡した。紙である。紙を渡して、また座って、画面を見た。
見ていて、私は一つのことに気づいた。
肩書きが同じである。
六年前、私が下の席にいたとき、日本の席にいたのは、課長級が一人と、補佐が三人だった。いまも同じである。人は入れ替わっている。数と、階級の構成が、同じ。
これは当たり前のことだった。当たり前のことは、当たり前だからこそ、外から見て初めて形が見える。
私は二時間、傍聴席にいた。議論は、私が六年前にいた論点の、四つ先の段階にあった。四つ先というのは、進んだという意味ではない。四つ横にずれたところで、同じ形の議論をしている。当時、括弧の中にあったものの一部は、括弧が取れて本文になっていた。取れなかったものは、もう文書のどこにもない。
昼に、傍聴席を出た。
出たところの廊下で、三崎に会った。
向こうが先に気づいた。「鵜飼さん」と言った。
「三崎くん」
「お久しぶりです」
「久しぶり」
彼は、六年前より少し痩せていた。それだけである。人は六年で、それほど変わらない。変わったところを探そうとすると、疲れる。
「オブザーバーですか」
「うん。業界団体の枠で」
「そうですか」
私たちは、廊下の、柱と柱のあいだのところに立っていた。人が通る。皆、早く歩く。この建物では、皆、常に少し遅れている。
「昼、食べた?」と私は訊いた。
「まだです。たぶん食べないです」
「そう」
「鵜飼さんは」
「食べる。私は食べる」
三崎は少し笑って、「そうでしたね」と言った。「昔も、鵜飼さん、会期中でも必ず食べてましたよね」
「あれは、食べないと私が使い物にならないからです」
「僕は、食べると眠くなるんです」
「じゃあ食べないほうがいい」
そういう話を、四分くらいした。
彼は、いま二つ目の課で補佐をしていて、いまの会議には去年から来ていて、去年は初日に体調を崩したという話をした。私は、いまの会社で紙が二十センチあるという話をした。彼は笑った。
「鵜飼さんの下だと、その紙、五センチになりますね」
「もうなってる」
「速い」
「速いのが取り柄なので」
会話に用件はなかった。用件のない会話が四分続くというのは、この建物では贅沢である。廊下の向こうで、誰かがスペイン語で大きな声を出していて、その声が天井に当たって、二重に聞こえていた。
三崎の携帯が鳴った。彼は画面を見て、「すみません」と言った。
「行って」
「はい」
彼は二歩、歩いて、それから止まって、振り返った。
「鵜飼さん」
「うん」
彼は、口を開けた。何か言おうとして、言葉が出る前に、少し目を伏せた。
「……いえ」
「なに」
「すみません、いいです」と三崎は言った。「お元気そうでよかったです」
「元気です。三崎くんも」
「はい」
彼は行った。歩いていく後ろ姿は、六年前に、私が資料を持って歩かせていたときと、同じ速さだった。
私は昼を食べに行った。
売店の、十一ユーロのサンドイッチ。中身はチーズとハムとレタスで、パンは乾いていた。乾いたパンは、噛む回数が増える。噛む回数が増えると、時間が経つ。私はそれを、廊下のいちばん端の、窓のところに立って食べた。
窓の外は、駐車場だった。バスが何台も停まっていて、そのうちの一台の運転手が、外に出て煙草を吸っていた。彼は吸い終わって、靴で消して、吸い殻を拾って、ポケットに入れた。それから、バスに戻った。
私はサンドイッチを食べ終えて、包み紙を丸めて、ゴミ箱に捨てた。
◇
三日目の朝、傍聴席で、隣に座った人に話しかけられた。
六年前に、同じ論点を担当していた国の、代表団の人だった。名前は覚えていた。向こうも覚えていた。あの部屋にいた人間の数は、そんなに多くない。
「Haruka? まだこの世界にいるの」
「別の入口から入ってる」と私は言った。「バッジ、見て」
彼女はバッジを見て、笑った。「賢明ね」
彼女は、いま自分の国の代表団の中で、六年前より二つ上の役職にいる。二つ上といっても、やっている仕事は同じだと言った。「同じ論点を、同じ部屋で、違う人と話してる」
「進んだ?」
「進んだと思う日と、思わない日がある」と彼女は言った。「今日は思わない日」
私たちは、二十分くらい話した。話の半分は、六年前の、あの会期の思い出話だった。売店のサンドイッチの値段が上がったこと。二階の作業部屋のプリンターが壊れていたこと。彼女は、日本の部屋に柿の種を貰いに来たことがあると言った。私は覚えていなかった。
「あなたたち、あのとき、最後の週に、ひとつ落としたでしょう」と彼女は言った。
私は、彼女の顔を見た。
「事務局の整理でね」と彼女は続けた。「うちも二つ落とした。あれは、そういう会期だった」
「そうだった?」
「そうよ。あの年の事務局は、文書を短くすることに賭けてた。短くしないと採択できないと思ってたから。実際、採択された」
「されたね」
「だから、正しかったんだと思う」と彼女は言った。「正しかったんだと思う、っていう言い方しか、私はできないけど」
彼女は、そこで自分の携帯を見て、「ごめん、行かなきゃ」と言った。
「またどこかで」
「どこかで」
彼女は行った。私は傍聴席に残って、下の平場を見た。日本のプレートのところで、三崎が、前の人に紙を渡していた。
◇
三日目の夜に、代表団の泊まっているホテルとは別の、街の中心のレストランで、業界団体の会食があった。日本から来ている企業の人が十四人。長いテーブル。前菜が出るのが遅くて、パンばかり食べた。
隣に座った他社の人が、「鵜飼さん、環境省だったんですよね」と言った。
「はい」
「じゃあ、こういう場所、懐かしいでしょう」
「バッジの色が違うので、別の建物みたいなものです」と私は言った。
その人は、意味を測りかねる顔をして、それから「なるほど」と言った。なるほど、と言われて済む言い方をしたのは、私である。
ワインが二杯出て、私は一杯だけ飲んだ。メインは肉で、付け合わせのじゃがいもが、異様にうまかった。皮つきで、外が硬くて、中が粉っぽくて、塩が強い。私はそれを全部食べて、隣の人の残したのも一つもらった。
「よく食べますね」
「これだけが取り柄で」
「取り柄が二つになっちゃいますよ」とその人は言った。悪気のない褒め方で、悪気のない褒め方は、返しにくい。私は笑って、水を飲んだ。
十時に散会した。ホテルまで歩いて二十分だったので、歩いた。
夜の街は、寒くて、石畳が濡れていた。途中に、まだ開いているケバブの店があって、店の前に若い人が四人並んでいた。並んでいる四人のうち一人が、大きなマフラーで顔の半分を隠していた。
ホテルに着いて、部屋に入って、上着を脱いで、椅子に座った。
冷蔵庫は開けなかった。持ってきた麦茶のティーバッグで、湯を沸かして、飲んだ。会期中に日本茶が飲めるようになったのは、この六年での唯一の進歩である。
シャワーを浴びて、髪を乾かして、十一時半に寝た。よく寝た。
朝の便で帰る日、空港で、その国にしかない味のチョコレートを六箱買った。塩キャラメルと、なんとかベリーのやつ。部に配ったら、川辺くんが「これはちょっと」と言った。
いる。どこにでも一人はいる。
◇
十二月の第一週の木曜に、部の中で、小さい揉め事があった。
揉め事といっても、原因は資料の一枚である。私の課が作った資料の中の、他部門の数字が、その部門の説明と食い違っていた。食い違っていたのは、集計の期間の取り方で、どちらも間違っていない。間違っていないものが二つあると、人は、どちらが正しいかを議論しはじめる。
会議が二時間になりかけた。
私は、一時間十分のところで、こう言った。
「この議論、結論が出ても、明日の意思決定は変わりません」
全員が、こちらを見た。
「変わらないので、両方載せます。両方載せて、期間の取り方を注に書きます。読む人は、自分の目的に合うほうを使います」
「それは、逃げじゃないか」と、誰かが言った。
「逃げです」と私は言った。「ただ、逃げると、この二時間が来年発生しません。来年、同じ会議をやる人が、この注を読んで、五分で済みます」
会議は、その十分後に終わった。
終わったあと、川辺くんが「あれ、鵜飼さん、怒られると思いました」と言った。
「怒られるかもしれないですね」
「怒られてないですよね」
「今日は怒られてないです」と私は言った。「ああいうときは、逃げますと言ってから逃げると、怒られにくいです。黙って逃げると、後で怒られます」
「そういうものですか」
「そういうものです。人が怒るのは、逃げられたからじゃなくて、逃げられたことに後で気づいたときなので」
これも、役所で覚えたことである。あそこでは、逃げ方に作法があった。作法のある逃げ方は、逃げたことが記録に残る。記録に残る逃げ方をした人は、後で責められない。
私は、そういうものをたくさん覚えて、いまも使っている。使うたびに、便利だと思う。便利だと思うだけで、ほかには何も思わない。
◇
十二月の第一週の日曜に、コートを買った。
四年着たのが、袖口が擦れていた。擦れているのは自分にしか見えないが、自分に見えるものは、そのうち他人にも見える。
売り場で、店員の人が「よくお似合いです」と言った。
「これ、どっちがいいと思いますか」と私は訊いた。紺と、灰色である。
「お客様のお顔立ちだと、紺かと」
「顔立ちの話は、私にはわからないので、着回しで言うとどっちですか」
店員の人は、少し笑って、「灰色です」と言った。「紺は、中に何を着るかを選びます」
灰色にした。九万八千円だった。
高いと思った。高いと思ったが、四年着るなら、一年二万四千五百円で、月に二千円である。月に二千円で毎日着るものが手に入るなら、それは、たぶん、私が昼に食べているものより安い。
そう計算して、買った。
計算して買ったものは、たいてい、長く使う。計算しないで買ったものは、二回着て、しまう。二十代のとき、私は計算しないで買っていた。あのころ何を着ていたかを、私はほとんど覚えていない。写真は、たぶんどこかにある。
第十項 十二月の水曜に飲む
十二月は、数字の月である。
次年度の計画を作るために、前提を確定させる。燃料の価格、為替、稼働率、需要、それから制度の側の変数。前提が決まらないと、下の部門が積み上げられない。積み上がらないと、二月の役員会に出せない。
前提は、五十六個あった。
五十六個のうち、四十一個は、去年の数字を微調整すれば済む。十二個は、議論が要る。三個は、誰も答えを持っていない。
私は十二月の第一週から第三週まで、その十二個と三個をやった。
やり方は、単純である。関係する部署に行って、机の横に立って、五分で話を聞く。会議にすると、二時間かかって、決まらない。机の横に立つと、五分で、その人が本当は何を根拠にしているかがわかる。
わかったことを、私は一枚の紙にした。前提の一覧である。数字と、その数字の出所と、誰が決めたか。
誰が決めたかを書く欄を作ったのは、私である。黒木さんの時代には、その欄はなかった。
青柳課長は、その欄を見て、少し黙って、「これ、書く?」と言った。
「書きます」
「揉めない?」
「揉めるとしたら、来年です」と私は言った。「来年、この数字が外れたときに、誰が決めたかを探す作業に、たぶん二週間かかります。それを今のうちに二時間で済ませておきます」
「それは、そのとおりだけど」
「それに、この欄がある前提は、決める人が本気で決めます」
青柳さんは、「役所ってそういうことするの」と訊いた。
「役所は、もっと徹底してます」と私は言った。「あそこは、誰が決めたかが必ず紙に残ります。残るから、皆、慎重になります。慎重になりすぎて動かないこともあります。両方あります」
「じゃあ、うちは、まだ動くほうだ」
「動くほうです」
一枚の紙は、十二月の第三週に確定した。五十六個のうち、三個は「未確定」と書いたまま出した。未確定と書けるのは、書ける人がいるからで、書けない組織では、そこに嘘の数字が入る。
◇
十二月の第二週の水曜に、戸田咲と飲んだ。
咲は同期である。同じ年に入って、同じ研修を受けて、最初の配属が隣の課だった。いまも役所にいる。課長にはなっていない。三十四で課長になる人は、あの世界にはいない。
店は、新橋の、地下の魚のところだった。咲が選んだ。咲はいつも店を選ぶ。選ぶ店が毎回わずかに安すぎるのが、咲のいいところである。
「うかい、ちょっと痩せた?」
「母親と同じこと言う」
「ほんまに痩せてるって」
「咲は関西ちゃうやん」
「うつったんよ」と咲は言った。咲は福岡の人である。
刺身の盛り合わせと、白子ポン酢と、鯖の炙りと、卵焼き。日本酒を頼んだ。私は二合、咲は三合半。
「で、どうなん。会社」
「おもろいよ」
「ほんまに?」
「ほんま。ようやく、判子を押す人の顔が見えるとこにおるから」
「うわ、それ、いい言い方」と咲は言って、それからすぐに、役所の話をはじめた。
役所の話は、六年前と同じ調子だった。誰がどこの課に出て、誰が出向から戻ってきて、誰が体を壊して、誰が急に出世して、誰が思ったより出世しなかった。名前が二十個くらい出た。そのうち十四個を、私は知っていた。
「あ、そういえば、うかいの四つ下の、あの子。あの、名前なんやったっけ」
「三崎くん?」
「そう、三崎くん。あの子いま、二課の補佐やって」
「知ってる。先月、会議で会うた」
「え、会うたん」
「オブザーバーで行っててん。廊下で」
「なんか言うてた?」
「元気そうでよかったですって」
「なにそれ」と咲は笑った。「あの子、うかいのこと、けっこう」
「けっこう、なに」
「いや、まあ、ええわ」と咲は言って、白子を食べた。
咲はこういう止め方をする。二十二のときからする。私はその止め方を、追わない。追わないでいると、咲は三年後くらいに、忘れたころに続きを言う。今回も、たぶんそうなる。
「うかい、あんた、戻る気ないん」
「ない」
「即答やん」
「即答やもん」
「もったいないってみんな言うてるで。あんた、次、企画官やったのに」
「言うてるだけやろ」
「まあ、言うてるだけやけど」と咲は言って、酒を注いだ。「うち、あと十年、ここにおるんやろか」
「おるんちゃう」
「そうやんな」
咲は、そこで少し黙った。黙ったあと、「卵焼き、もう一個頼んでええ?」と言った。
「頼も」
「二個」
「二個頼も」
卵焼きは二人で二個食べた。あの店の卵焼きは、出汁が多くて、崩れる。崩れるのを箸で追いかけて食べる。追いかけているあいだは、話が止まる。
十一時前に出た。咲は虎ノ門のほうへ、私は反対のほうへ歩いた。
別れ際、咲が「また来月」と言った。
「来月?」
「新年会」
「まだ十二月やで」
「予約はもうしてん」と咲は言った。「一月十六日、金曜。空けとき」
私は手帳に書いた。手帳に書きながら、この人は六年間、こうやって私を呼び続けてきたのだと思った。呼ばれるほうは、呼ばれ続けている事実を、あまり考えない。考えないでいられるのは、呼んでいる側が何も言わないからである。
◇
十二月の第三週の日曜、綾の家に行った。
年末の集まりの、下相談ということになっていた。実際には、二人で店を決めるだけの用事で、それは十分で済んだ。
出てきたのは、蕪と鶏の煮たのと、焼いた鮭と、ぬか漬けだった。ぬか床は、去年の秋から始めたと言った。
「毎日混ぜてるん?」
「毎日」
「旅行のときは」
「冷蔵庫に入れる」
「そんなん、私は無理やわ」
「無理やろな」と綾は言った。
蕪は、皮を厚めに剥いてあって、煮崩れていなかった。私は蕪の煮たのが好きで、好きなのに自分では作らない。作らない理由は、鍋の見張りが要るからである。
食べ終わって、茶を淹れてもらって、二人で座っていた。窓の外は、四時前でもう暗くなりかけていた。
そのとき、綾が言った。
「はるか、うち、辞めたときの話、したことあったっけ」
私は、湯呑みを持ったまま、綾を見た。
「出版社の?」
「うん」
「体が動かんようになったって、それだけ聞いた」
「それだけしか言うてへんかったな」と綾は言った。「あんとき、ほんまは、四か月あってん」
「四か月」
「辞めてから、四か月。なんもしてへん時期が」
私は、頷いた。頷いて、次の言葉を、探していた。
「なんもしてへんかったっていうか、覚えてへんねん、そのあいだのこと。ほんまに。朝起きて、夜寝て、その間に何してたかが、思い出されへん」
「そうなんや」
「二回だけ覚えてるとこがあって」と綾は言った。「一回は、スーパー行って、レジで、財布出せへんかったとき。手が動かへんくて。うしろに人おって。それで結局、置いて帰った」
「置いて」
「かごごと。店員さんに、すみませんて言うて」
私は、湯呑みを置いた。
「もう一回は?」
「もう一回は、はるかが来た日」
私は、記憶をたぐった。たぐって、出てこなかった。
「私、行った?」
「行った」
「いつ」
「十一月。夜。急に来た」と綾は言った。「なんも言わんと、コンビニの袋持って、入ってきて、勝手に鍋出して、うどん作って、食べて、帰った」
「覚えてへん」
「知ってる。はるか、あんとき、仕事の話ずっとしてた。一時間くらい。自分の話ばっかり。ほんで、帰った」
私は、何か言おうとした。
言おうとして、言葉が出てくる感じがあった。いつもの、あの感じである。私の口には、こういうときに出てくる言葉がいくつも入っていて、それは正確で、速くて、場を整える。
「ごめん」と言いかけた。
言いかけて、それは違うとわかった。違うとわかったのに、次が出てこなかった。
「そんなん、私、なんも」
「うん」
「なんも、してへんやん」
「そうやで」と綾は言った。「なんもしてへん。うどん作って、自分の話して、帰っただけ」
「それやのに」
「それやから覚えてんねん」
私は、綾の顔を見た。綾は、湯呑みを両手で持って、窓のほうを見ていた。外はもう暗くて、窓には部屋の中が映っていた。
「あんとき、なんか言われてたら、たぶん、しんどかったと思う」と綾は言った。「大丈夫? とか、どうするん? とか。あんたそれ、一個も言わへんかった」
「言うてへんかったっけ」
「言うてへん」
私は、そこで、何か言うべきだった。
言うべき何かがあることは、わかっていた。この十四年、私は言葉で場をどうにかしてきて、そのやり方で、たいていのことをどうにかしてきた。
その日は、出てこなかった。
私は、「そうか」と言った。
それだけ言った。
綾は、頷いた。それから立ち上がって、「みかん食べる?」と言った。
「食べる」
みかんが二つ出てきた。私は一つ剥いて、白い筋を全部取ってから食べた。綾は筋ごと食べる。二十歳のときからそうである。
「はるか、それ、いつもやるな」
「筋、口に残るやん」
「そんな残らへん」
「残る」
「残らへん」
そういう話を、二十分した。
◇
帰りの電車で、私は窓に映った自分の顔を見なかった。座って、目を閉じて、寝なかった。
家に着いたのが七時で、何も作らずに、餅を焼いた。
正月用に買った切り餅を、フライパンで、蓋をして、弱火で。膨らんで、割れて、そこが少し焦げる。醤油をつけて、海苔で巻いた。二個食べた。三個目を焼こうかと思って、やめた。
翌日から、また五十六個の数字の仕事に戻った。
十二月の二十六日、フロアの人がほとんど帰った夜、私は一人で残っていた。
残ってやっていたのは、仕事ではなかった。
会議で使う予定のない資料を、原文で読んでいた。英語の、二百四十ページの報告書で、うちの会社の来年の計画には、一行も関係しない。
九時から、十一時半まで読んだ。最後まで読んだ。
読んだ。
◇
十二月の第四週に、遠山くんが「来年、異動あると思いますか」と訊いてきた。
「あなたの?」
「はい」
「わからないです。この会社の人事は、私はまだ二回しか見ていないので」
「役所は、どうでしたか」
「二年で動きます。原則」
「二年」
「二年です。長くて三年」と私は言った。「だから、あそこの人は、二年で終わる形に仕事を切ります。切れないものは、切れる形に組み替えます。組み替えられないものは、たいてい、二年目の終わりに誰かが徹夜します」
「それ、いいんですか」
「よくないです。でも、それで十一年回っていました」
「鵜飼さんは、何回動いたんですか」
私は、指で数えた。数えられた。
「五回です」
「五回」
「最初が三年、あとは二年ずつ、途中で一年、外に出ています」
「外」
「留学です。国のお金で」
「へえ」と遠山くんは言った。「楽しかったですか」
私は、それに、すぐ答えた。
「めちゃくちゃ楽しかったです」
自分の声が、思ったより大きかった。
「めちゃくちゃ、ですか」
「めちゃくちゃです。人生で、あの一年がいちばん楽しかったです」と私は言った。「授業はきついんですけどね。読む量が、日本の三倍あって。でも、台所が共同で、六人いて、ギリシャの子が毎晩何か作ってて。あの子、鍋を必ず焦がすんですよ。焦げたところをスプーンで剥がして、これがうまいって言って食べるんです」
「食べたんですか」
「食べました。うまかったです」
「そんな話、初めて聞きました」
「訊かれなかったので」
遠山くんは、笑って、自分の席に戻った。
私は、その日の夜、家に帰って、棚の上の箱を下ろした。中に、あの一年の書類が入っている。修了証と、成績表と、部屋の契約書と、なぜか取ってある電気代の請求書が三枚。
写真は、二十枚くらいあった。
海の写真がある。灰色の海と、灰色の空と、手前にベンチが写っている。ベンチには誰も座っていない。撮ったのは、論文を出した日である。カモメは写っていない。
大学の丘の写真もあった。上がりきったところから撮ったやつで、下の街が見える。曇っている。
その一枚に、人が写っていた。
私は、その写真を、少し離して見た。写っているのは、後ろ姿である。背中と、上着と、上着の肩のところに、雨のあとがある。
私は、上着の肩を見ていた。それから、その向こうの、街のほうを見た。街には、教会の塔が一つと、赤いレンガの建物がいくつかと、駐車場が見えた。駐車場に、車が四台停まっている。二台が白で、一台が赤で、一台が色がわからない。
写真を箱に戻して、蓋をして、棚の上に上げた。
上げるときに、少し腕が届かなくて、椅子を持ってきた。
第十一項 四枚にまとめる(第三項の更新)
一月の第二週に、審議会の中間の取りまとめが出た。
五月に始まった議論の、八か月分である。分量は六十四ページ。うち、算定方法の各論が三十ページ。
私は、それを金曜の夜に読んだ。会社で読んだ。フロアには、まだ七人いた。誰も私が何を読んでいるかを知らない。皆、自分の画面を見ている。
三十ページのうち、私が知りたかったのは、十九ページ目からの三ページだった。
新しい算定方法の中で、ある種の技術による削減を、事業者の係数にどう反映するか。反映できる場合と、できない場合。その線引きの根拠。
根拠のところに、二つの参照が置かれていた。一つは国内法令。もう一つは、国際的な合意文書の、特定の段落である。
段落番号を見た。
指が、マウスから離れていた。画面のその一行を、私は声に出さずに読んだ。二度読んだ。二度目は、指を戻さないまま読んだ。
その番号を、私は知っている。
六年前、木曜の夜に、事務局の整理案で、私たちの一文が吸収された先の段落だった。
私は、パソコンの画面から目を離さずに、その三ページを、もう一度、頭から読んだ。
書いてあることは、正しかった。国内制度の設計として、筋が通っている。その段落を根拠にすれば、線引きはそこに引かざるを得ない。引かざるを得ないところに引いてある。書いた人は、丁寧に仕事をしている。丁寧に仕事をした人ほど、その根拠より手前に何があったかを、調べない。調べる必要がないからである。
もし、あの一文が残っていたら。
線は、別のところに引けた。引けたというのは、引かれたという意味ではない。可能性が一つ多かった、というだけである。多かった可能性が、実際に使われたかどうかは、誰にもわからない。使われないまま十年経つ条文は、いくらでもある。
そういうことを、私は三十秒くらい考えた。
それから、画面を閉じた。
九時十五分だった。フロアには、まだ五人いた。私は鞄を持って、コートを着て、エレベーターに乗って、外に出た。
有楽町の駅前は、一月の金曜の九時である。人がいる。皆、酒を飲んだ帰りか、これから飲むところである。
私は駅に入らずに、ガード下の、あの餃子の店に入った。
焼き餃子を一人前と、瓶ビールを一本。餃子は六個で四百二十円のままだった。値上げしていない。この店は、たぶん、何かを別のところで削っている。
酢と胡椒だけで食べた。
一個目を食べて、ビールを飲んだ。二個目を食べた。三個目のときに、隣の席の男の人が、店員に「にんにく抜きって、できます?」と訊いた。店員は「できないです」と言った。男の人は「じゃあいいです」と言って、そのまま普通に頼んだ。
六個食べて、ビールを半分残して、出た。
家に帰って、風呂に入って、髪を乾かして、十一時に寝た。
◇
その金曜の夜、髪を乾かしているあいだ、一つの言葉が戻ってきた。
「所期の目的は概ね達成」
六年前に、私が電文に書いた一行である。あれは、私が作った言い回しではない。あの役所で使われている定型で、誰が最初に使ったかは誰も知らない。私はそれを借りて、自分の報告に使った。
借り物だから、便利だった。便利なものは、使うと、その場が片付く。片付いた場所は、後から掘り返せない。
いま、あの一行は、どこかの書庫に残っている。紙か、電子か。残っていて、誰も読まない。読まれるとしたら、それは、二十年後に誰かが経緯を調べるときで、そのときその人が読むのは、あの一行と、その前後の事務的な記述だけである。
そこから、あの木曜の夜は、復元できない。
復元できないように書いたのは、私である。
私は歯を磨いて、寝た。
◇
その次の水曜に、社内の会議があった。
来年度の、制度対応の方針である。出席は十四人。私は説明の側だった。
資料は八枚。中間の取りまとめの内容と、うちの事業への影響と、対応の選択肢。
私は説明した。
「十九ページからの三ページが、今回の実質です。ここで、削減の反映の可否の線が引かれます。うちの実証は、いまの書きぶりだと、線の向こう側です。向こう側というのは、当面、係数には反映されないという意味です」
「それは、変わりうるのか」と役員の一人が訊いた。
「変わりうるのは、この線の根拠になっている国際的な合意の側が動いた場合です。国内の議論だけでは、この線は動きません」
「動く見込みは」
「短期的には低いです」と私は言った。「合意文書の当該段落は、一般的な書き方になっていて、そこから具体的な道筋を引き出すには、新しい決定が要ります。新しい決定を作るには、何年かかかります」
「何年」
「五年から十年です」
会議室が、少し静かになった。
「じゃあ、うちの実証は」
「実証の意味は、係数の反映だけではありません」と私は言った。「そこは分けて考えたほうがいいと思います。反映されない前提で、それでもやる理由を、うちが説明できるかどうかです。説明できるなら続けるべきだし、できないなら、規模を考え直すべきです」
「鵜飼さんは、どっちだと思う」
「私は、続けるべきだと思います」と私は言った。「ただ、それは私の意見なので、資料には書いていません」
役員は、少し笑って、「書いてくれてもいいけどね」と言った。
「書くと、方針に見えるので」
会議は、五十分で終わった。
終わって、資料を集めて、会議室を出た。廊下の窓から、日比谷のほうが見えた。一月の緑は、緑ではない。落ちきった木の枝が、細い線になって並んでいる。あの木は、四月になると、また同じ形に葉をつける。
席に戻った。三時十分だった。
遠山くんが来て、「あの説明、すごくわかりやすかったです」と言った。
「ありがとうございます」
「あの、五年から十年ってところ、あそこで場が静かになりましたよね」
「なりましたね」
「あれ、鵜飼さん、わざとですか」
私は、少し考えて、「わざとではないです」と言った。「あそこは、本当にそれくらいかかるので」
「そうですか」
「わざとやるときは、もっと短く言います」と私は言った。「わざとやる人は、数字を丸めるので」
遠山くんは、それをメモした。彼はよくメモを取る。取ったメモを、彼は三年後くらいに読み返すことになる。読み返して、意味がわかるものと、わからないものに分かれる。分かれることを、私は言わない。
◇
一月十六日の新年会は、二次会まで行った。
咲と、同期があと三人。役所の人が三人と、辞めた人が一人。辞めた人は私である。
話題は、去年と同じだった。誰がどこに出て、誰が戻ってきて、誰が体を壊した。名前が二十個くらい出て、そのうち十二個を私は知っていた。去年より二つ減った。
二次会は、カラオケだった。誰も歌わなかった。四人で、部屋を取って、二時間、喋っていた。ドリンクバーのウーロン茶が、薄い。
一時前に解散した。
タクシーで帰った。運転手が、ラジオをつけていて、深夜の番組で、誰かが誰かの相談に答えていた。相談の内容は聞こえなくて、答えのほうだけ聞こえた。「まあ、それはもう、しゃあないですよ」と言っていた。
家に着いて、水を二杯飲んで、化粧を落として、寝た。
◇
二月の第一週に、三崎から連絡が来た。
メールだった。件名は「ご無沙汰しております」。
本文は、七行あった。会議で会えて嬉しかったこと。いま二課で、来年度、少し大きな案件を持つことになりそうなこと。それから、こう書いてあった。
「もし差し支えなければ、一度、お時間をいただけないでしょうか。ご相談というほどのことでもないのですが、お聞きしたいことがあります」
私は、その七行を三回読んだ。
相談なのか、報告なのか、判別できなかった。判別できない文書を書く人は、たいてい、書いている時点で自分でも判別できていない。
私は返事を書いた。
「こちらこそ、お会いできてよかったです。三月なら、平日の夜はだいたい空いています。日を三つくらい挙げていただければ、こちらで合わせます。おいしい店を知っているので、そこにしましょう」
送信した。
送信して、三十分くらい、別の仕事をして、それから、もう一度、自分の送った文面を見た。
見て、そのまま閉じた。
返事は、その週のうちに来た。三月十二日の木曜になった。店は、私が選んだ。虎ノ門の、地下の、小さいところである。あそこの穴子は、かなりいい。
◇
二月の第二週に、沢口さんから写真が来た。
産まれたのは一月の終わりだったと、そこで初めて知った。メールには、写真が一枚と、三行。
「ご報告が遅くなりました。おかげさまで、無事に産まれました。しばらく寝ていません。四月からの復帰の相談は、また改めてご連絡します」
私は、その写真を見た。
写っているのは、白い布に包まれた赤ん坊と、その向こうの、病室の壁である。壁は薄い黄緑で、コンセントの位置が低い。窓のところにブラインドがあって、羽根が半分開いている。時刻は、たぶん昼過ぎだと思う。光の入り方が、そういう角度だった。
私は返事を書いた。
「おめでとうございます。写真、ありがとうございます。寝てください。復帰の相談は、あなたが寝てから、あなたの都合のいい日にしましょう。こちらの都合はあとで合わせます。四月からと決まっているわけでもないので、そこも含めて考えてください」
送って、それから、フロアを見た。
彼女の席は、共用のノートパソコンの置き場所になっていた。四月からは、また彼女の席になる。なるかもしれないし、ならないかもしれない。私は、その席の配置図を、三月に作り直すことになる。
作り直す作業は、十五分で終わる。十五分で終わる作業に、この会社は、たぶん、いろいろなものを載せている。
私は、席に戻って、次の仕事をした。
◇
二月の第三週に、咲からメールが来た。
「うかい、三月、飲める?」
「飲める」
「三月十二日は?」
「その日だけあかん」
「なんで」
「後輩と飯」
「三崎くん?」
私は、返信を書きかけて、消して、書き直した。
「なんでわかるん」
「わかるわ、そんなん」
それきり、咲はその話をしなかった。三月は、別の日に飲んだ。店は咲が選んだ。新橋の、地下の、前と違う店で、そこの煮込みがやたらとうまかった。
咲は、その夜、四合飲んで、帰り際に「うち、来年、出るかもしれん」と言った。
「どこに」
「まだ言えへん」
「言えへんのに言うんや」
「言いたかってん」と咲は言った。
「ほな聞いた」
「聞いた?」
「聞いた」と私は言った。
咲は、それで満足したらしく、手を振って、虎ノ門のほうへ歩いていった。
第十二項 カウンターが八席
三月十二日の夜、三崎と食べた。
虎ノ門の店は、カウンターが八席しかない。予約が取りにくいが、木曜の早い時間なら取れる。三崎は五分前に来た。彼は昔から五分前に来る。
お通しが、白魚だった。それから、刺身が三種。三崎はビールを一杯だけ飲んで、あとは水にした。
「相談って、なに」
「あ、いや、相談っていうほどでは」
「そう書いてあった」
「書きました」と彼は言って、少し笑った。
彼が話したのは、来年度に持つことになる案件の話だった。制度の設計を、ほぼ一から作る仕事である。関係する部署が多くて、外の人も多い。前例がない。
「僕、あの、こういうの、初めてで」
「初めてでしょうね」
「鵜飼さんは、補佐のとき、これに近いのをやってましたよね」
「やってた」
「どうやってましたか」
私は、穴子が来るのを待ちながら、少し考えた。
「最初の三か月は、誰も味方じゃないと思ったほうがいいです」と私は言った。「敵でもない。ただ、誰も自分の仕事だと思っていない。だから、最初の三か月は、自分の仕事だと思ってもらう作業だけをする」
「具体的には」
「その人のところに行って、五分だけ話す。会議はしない。会議にすると、皆、自分の部署の立場を喋りに来るので」
「五分」
「五分です。十五分だと、向こうが構えます」
三崎は、それをメモしなかった。彼はメモを取らない。取らないで覚える人である。
「あと、一つだけ」と私は言った。「最後の紙は、自分で書いてください」
「最後の紙?」
「その仕事が終わるときに、いちばん短くなるやつです。二枚とか、一枚とか。あれを自分で書けたかどうかで、その仕事が自分のものだったかどうかが決まります」
「書けなかったら」
「書けなくても、仕事は終わります」と私は言った。「終わりますけど、後で、思い出す量が減ります」
穴子が来た。焼いたやつと、煮たやつを一つずつ。三崎は煮たほうを先に食べて、「これはすごいですね」と言った。
「でしょう」
「鵜飼さん、こういう店、よく知ってますよね」
「これだけが取り柄です」
「またそれ言う」と三崎は言った。
食べ終わって、九時前に出た。虎ノ門の交差点まで一緒に歩いた。
「今日、ありがとうございました」
「聞いただけです」
「鵜飼さん」と彼は言った。
私は、止まった。
彼は、一瞬、口を開けて、それから、少し笑った。
「いえ。ごちそうさまでした」
「割り勘だったけど」
「そうでした」
彼は地下鉄のほうへ、私は反対のほうへ歩いた。三十歩くらい歩いて、振り返らなかった。
交差点の信号を、二回待った。一回目は、渡れたのに渡らなかった。二回目で渡った。渡ってから、鞄の中を探して、さっきのレシートを出した。折って、内側のポケットに入れた。
◇
三月の第二週に、年度の総括の紙を作った。
一年間で、うちの課がやったことを、二枚にまとめる。役員会に出す紙ではない。部の中に残すだけの紙である。黒木さんの時代には、この紙はなかった。作ろうと言ったのは私で、理由は、来年、誰かがこの部署に来たときに、二十センチではなく二枚を先に読めるようにするためである。
書いていて、制度対応のところで、手が止まった。
書きかけていたのは、こういう文だった。
「排出係数の算定方法に係る国内制度対応については、当社の意見が全て反映されたものではないが、所期の目的は概ね——」
私は、その行を、後ろから消した。
消して、書き直した。
「排出係数の算定方法に係る国内制度対応については、当社が求めた取扱いは認められなかった。理由は、根拠となる国際的な枠組みの側にある。当該枠組みが動かない限り、この結論は変わらない」
書き直して、読み返した。
長くなった。二行が三行になった。三行のほうが、正確だった。
青柳課長は、その紙を読んで、「ここ、はっきり書くんだ」と言った。
「はっきり書きます」
「怒られない?」
「怒られたら、直します」と私は言った。「ただ、直すときには、誰が直せと言ったかを書きます」
「ずるいなあ」と青柳さんは言って、判子を押した。
◇
三月の第三週の日曜の朝に、連絡が来た。
年に一度くらい、来る。用件はない。
写真が一枚と、二行。写真は、川である。茶色い、幅の広い川で、対岸に建物が並んでいる。手前に船がいくつも浮かんでいて、そのうちの一つに、人が七人か八人乗っている。空は白い。
二行は、こう書いてあった。
「こっちは乾季が終わりそうです。元気ですか」
私は、写真をしばらく見た。
見ていたのは、対岸の建物である。四階建てか五階建てで、屋上に何か載っている。給水のタンクだと思う。壁の色は、もとは白かったはずのものが、雨と埃で、灰色と茶色の中間になっている。あの色は、湿気の多いところの建物の色である。
その左に、工事中の建物があった。鉄骨が組んであって、シートがかかっている。シートは緑だった。工事の現場のシートは、どこの国でも、緑か青である。誰がそう決めたわけでもないのに、そうなっている。
船の上の人の顔は、小さくて、見えなかった。
私は、返事を書いた。
「こちらは桜がまだです。元気です」
送った。それだけである。
送ってから、湯を沸かした。
日曜の朝で、まだ八時前だった。前の日に買ってきたパンがあって、それを切って、焼いた。バターを塗って、あとは、卵を二つ、フライパンで。塩と胡椒。コーヒーは、豆を挽くやつをやめて、去年から粉のを買っている。挽くのは、五分かかる。五分あれば、卵が焼ける。
食べながら、窓の外を見た。三月の、まだ薄い光が、ベランダの手すりのところまで来ていた。
台所に立っていた。
夜だった。あの人が何か言いはじめた。
私は、言い終わる前に——
私は、立ち上がった。
皿を、流しに持っていった。水を出して、洗った。フライパンも洗った。フライパンは、洗って、火にかけて、水気を飛ばす。飛ばしているあいだ、換気扇の音がしていた。
洗い終わって、布巾で手を拭いて、それから、洗濯機を回した。
洗濯物を干して、掃除機をかけて、シーツを替えた。シーツを替えるのは月に二度で、その日は替える日ではなかったが、替えた。
昼に、外に出た。
近所を歩いた。有栖川の公園まで行って、池のところを回って、坂を上がって、戻ってきた。桜は、まだだった。蕾が、枝の先で、まだ固い。あと十日くらいだと思った。
途中の店で、いちごを買った。一パック、五百八十円。歩きながら、家に着くまでのあいだ、二回、袋を持ち替えた。
家に帰って、洗って、そのまま食べた。
洗ってすぐのいちごは、水が残っている。その水ごと食べた。
九個入っていた。全部食べた。
◇
三月の第四週の水曜に、四月からの座席の配置図を作った。
十五分で終わる作業である。実際には、四十分かかった。
沢口さんが五月から復帰することになって、その席をどこにするかで、少し手が止まった。前と同じ席にするか、窓際にするか。窓際は、いま川辺くんがいる。
前と同じにした。理由は、彼女が前と同じ席のほうが、荷物の位置を覚え直さなくていいからである。
その理由を、私は誰にも説明しなかった。説明する場所がない。座席の配置図には、理由の欄がない。
四十分のうち、二十五分は、その理由を、配置図のどこかに書けないかを考えていた時間である。書けなかった。
◇
年度の最後の週に、黒木さんからメールが来た。
九州の事業所からである。件名は「ご無沙汰しております」。中身は、四月からまた異動になること、行き先は本社ではないこと、それから、こう書いてあった。
「あの紙の束、まだありますか」
私は返事を書いた。
「九センチになりました。捨てたのは七センチで、電子にしたのが四センチです。下の十センチのうち、八センチは、開けたら、やはり要りませんでした。残りの二センチは、要りました。二センチのほうは、いまも紙で持っています」
返事は、翌日に来た。
「二センチ、どれでしたか」
私は、その二センチが何であるかを、三行で書いて送った。
黒木さんからは、それきり返事が来なかった。来なくていい種類のやり取りだった。
◇
三月の最終週に、次年度の担当領域の整理をした。
去年、黒木さんが私に渡した紙の束は、いま、私の机の脇にある。二十センチが、九センチになっている。
代わりに、新しい紙が増えている。
私は、次年度に自分の課が持つ領域を、一枚にまとめた。
項目を書き出した。
一、中期経営計画に係る担当領域。二、国際エネルギー動向調査。三、排出係数の算定方法に関する国内制度動向。四、サプライチェーン与信区分。五、夏季及び冬季の電力需給に係る対外説明。六、設備投資計画の前提整理。七、人事関連。八、アンモニア混焼実証に係る対外対応。九、国際会議等への出席。十、次年度予算に係る前提条件。十一、社内制度対応の横断整理。十二、部門間協議の事務局。
十二だった。
去年、黒木さんから引き継いだときの表は、十二項目だった。同じ数である。中身は、四つ入れ替わっている。
私は、その紙を見て、それから、下に一行足した。
十三、次年度に発生する事項。
書いてから、これは項目ではないと思った。項目ではないものを表に入れるのは、行儀が悪い。行儀の悪い表を作る人は、たいてい、去年その欄がなくて困った人である。
私は消さなかった。
紙を印刷した。共用のプリンターは、フロアの反対側の端にある。片道二十歩ある。刷り上がった紙を取って、その場で、上から下まで、もう一度見た。
十二までは、去年の表と同じ体裁で並んでいる。十三のところだけ、上との行間が空いている。行を一つ足すと、そこだけ空く。詰めることはできた。
詰めなかった。
青柳課長のところへ持っていった。
青柳さんは、上から下まで見て、十三のところで止まって、「これ、なに」と言った。
「去年、これがなかったので」
「去年、なんかあった?」
「ありました」と私は言った。「四月から三月まで、ずっとありました」
青柳さんは、少し笑って、「じゃあ、いいや」と言った。
「いいですか」
「いいよ。書いといて」
私は席に戻って、その紙をファイルの一枚目に入れた。
ファイルは、去年、黒木さんが使っていたのと同じ型のやつである。文具の申請をすると、この型が来る。背表紙の紙が厚くて、指で押すと、少し戻る。
三月三十一日は、火曜だった。
その日は、普通に働いた。夕方に、川辺くんが四月からの体制の話をしに来て、遠山くんが仕様書の最終版を持ってきた。仕様書は、去年より三ページ短くなっていた。短くなった分、定義が二つ増えていた。
七時に会社を出た。
有楽町から地下鉄に乗って、広尾で降りて、駅の上のスーパーに寄った。
菜の花が出ていた。一束、百六十八円。去年と同じ値段だった。
買った。
家に帰って、鍋に湯を沸かして、塩を入れて、茎のほうを先に入れた。それから葉を入れた。全部で一分半。
上げて、水に取って、絞って、辛子と醤油で和えた。
食べた。
硬いところが、硬いまま残っていた。
付録
付録一・人物
年齢は、本文の一年(四月から翌年三月まで)の時点のものである。
東洋電力エナジー株式会社 経営企画部門 企画一課
- 鵜飼 遥(うかい・はるか) 三十四歳。語り手。京都府宇治市の出。東京大学法学部から環境省へ入り、地球環境局を中心に十一年。入省五年目に国費で英国の大学院へ一年、帰国して二年目に課長補佐。補佐五年目で退職し、この会社へ移った。現在は課長代理、部下三名。転職一年目。言葉を選ぶのが速い。食べることと、値段のことをよく書く。
- 青柳(あおやぎ) 五十四歳。企画一課長。重要度の低い話を会議室でし、重要な話を自販機の前でする。規程どおりにやると、たまに変なことになる、と言う。
- 沢口 千夏(さわぐち・ちなつ) 二十九歳。課内でいちばん仕事が速い。年度の途中から産休に入る。引き継ぎの整理が事務的で、うまい。
- 川辺(かわべ) 三十四歳。遥と同い年で、そのことを気にしていないふりが非常にうまい。この会社に十二年、燃料調達に八年、経営企画に四年。社内の地理を知っている。
- 遠山(とおやま) 二十六歳。まだ何もかもが手続きに見えている時期にいる。仕様書の直しを十四か所持ってくる。六月に一度失敗する。よくメモを取る。
- 黒木 恒彦(くろき・つねひこ) 五十一歳。遥の前任。この会社に二十九年、うち八年を経営企画。三日で八年を引き継ぎ、二十センチの紙の束を置いていった。四月一日の午後の便で福岡へ発つ。
環境省
- 三崎 悠人(みさき・ゆうと) 三十歳。課長補佐。遥の後輩。第九項の国際会議の会場で再会する。廊下で、用のない話をして、別れ際に言いかけて、やめる。
- 戸田 咲(とだ・さき) 三十四歳。同期。同じ年に入り、同じ研修を受け、最初の配属が隣の課だった。いまも役所にいる。六年前と同じ調子で連絡してくる。飲みに行くと、よく喋る。
そのほか
- 日下部 綾(くさかべ・あや) 三十四歳。学生時代からの友人。大学一年の語学クラスで隣だった。出版社を二十九で辞めている。いまは自宅の近くの書店とカフェで週四日。夫と二人暮らし。料理を作り、植物を育てる。菜の花は一分半、と教えたのはこの人である。遥の話を、聞くだけでは終わらせない。
- 遥の母 六十代。宇治で一人。電話は用件から始まらない。この人と話すときだけ、遥の言葉が関西のものに戻る。
- 元の夫 国際機関の職員。人道支援。学生時代からの知り合いで、当時は付き合っていない。赴任地はナイロビ、ジュネーブ、いまはダッカ。年に一度、用件のない連絡が来る。遥は短く返す。本文の地の文に、名も、顔も、出てこない。
付録二・用語
本文に出てくる仕事の言葉のうち、説明しないまま置いてあるものを、遥がその場で持っていた理解の範囲で補う。厳密な定義ではなく、制度の解説でもない。
役所の側
- 課長補佐 決めない仕事である。決めるのは課長で、その上に審議官と局長がいる。補佐がやるのは、決められる形にすること——選択肢を二つか三つにして、それぞれの帰結を書き、どれを選んでもよいように書き、そのうえで自分の推す案が選ばれるように書くこと。この二つは矛盾しない。
- 企画官 補佐の次のポスト。総合職の年次では四十前後になる。三十四はまだ補佐であり、同期も後輩も、そこにいる。
- 関係府省協議 一つの案について、関係する府省の意見を先に潰しておく手続き。負けても死なない。文書に残り、来年また同じ論点が出て、そのとき担当が代わっている。だから譲るときの譲り方に作法がある。会社側の「関係部署協議」とは、六文字のうち二文字だけが違う。
- 会期 国際交渉の会合が開かれている期間。本文では二週間。一週目は交渉ではなく地ならしで、廊下やコーヒーのところで、立ったまま五分か十分の説明を重ねる。最終日の全体会合は深夜まで延びる。
- 電文 現地の代表団から本国へ送る報告。定型の書きぶりがあり、結びに置かれる言い回しは、書いた人の感想ではない。
- オブザーバー登録 政府代表団とは別の区分で会議に入ること。業界団体の枠を通して行う。バッジの色が違い、入れる部屋が違う。発言はできない。
会社の側
- 中期経営計画 三年から五年の会社の計画。社内向けの説明資料は、よくできているほど、書いた人が何を書かなかったかを読む人に見せない。
- 排出係数 一キロワット時あたり、二酸化炭素が何キログラム出ているか。事業者が決める数字ではなく、算定の方法が国内の制度で決まっている。方法が変われば、同じ発電から出る数字が変わる。第三項と第十一項は、この方法の動きを社内向けに整理したものである。
- 与信区分 取引先ごとに、どこまでの取引を、どの条件で認めるかの区分。見直すと金が動き、動いた金には責任者がつく。だから、決まった後のことを考えて発言する人が増え、その人たちは決まる前に無口である。
- アンモニア混焼 石炭を燃やすところにアンモニアを混ぜて燃やし、その分だけ石炭を減らす取り組み。実証の段階にあるものについて、対外の照会に何をどこまで書くかが第八項の論点になる。
- 需給の突合 月末に、見込んでいた電力の需給と実績を突き合わせる作業。前任者から部下へ渡っていたもので、渡した側も受けた側も、それが何のための数字かを説明できないまま回っていた。
- たたき台 うちで書いたものは、うちの案である。反対していただかないと、うちの案がそのまま通ってしまう。そのまま通る会社は、たぶん、三年後に困る。