第2巻 流動性リスク入門

― 信用金庫の流動性リスク管理担当のための実務テキスト

対象読者:信用金庫で初めて流動性リスク管理・預金流出モデルの担当になった方

ねらい:預金流出という現象を数字で捉え、規制(LCR/NSFR)という「ものさし」に照らし、自金庫のモデルに落とし込むまでを一本の筋で理解すること

このテキストの特徴:考え方の基礎 → 規制の標準 → Excel での実装 → 有事の計画(CFP)という順で、手を動かして確認できるところまで降ろします。初学者がつまずきやすい点は随所に 💡 ここでつまずきやすい の囲みで示しました

他巻との接続:業態の全体像と「4つの数字」は →第0巻。金利上昇で生じる含み損は →第1巻。調達手段の詳細は →第12巻。預金商品と粘着性は →第13巻。ALM の前提との整合性は →第7巻第9章。複合シナリオでの活用は →第19巻


全体マップ(この一枚で流れがつかめます)

flowchart TD
    R["「支払うべきお金が発生したときに、<br/>払えなくなるリスク」"]
    R --> A["①現象をどう捉えるか<br/>集中リスクの視点<br/>大数の法則と、その崩れ (第2章)"]
    R --> B["②規制はどう標準化したか<br/>LCR:30日のストレス<br/>NSFR:1年の調達構造<br/>マチュリティ・ラダー (第3章)"]
    R --> C["③自金庫でどう使うか<br/>セグメント別流出率<br/>モンテカルロ+相関(ρ)<br/>Excel実装 (第4〜6章)"]
    A --> D["④有事にどう動くか:CFP (第7章)<br/>⑤現代の論点:デジタルバンクラン (第8章)<br/>⑥信金特有の論点:系統預金・員外・地域集中 (第9章)"]
    B --> D
    C --> D
    style D fill:#fde,stroke:#c39

目次

第Ⅰ部 基礎編 ― 現象を数字で捉える

  1. 流動性リスクとは何か(1.1 誰がこのリスクを見ているか)
  2. 預金流出を数字で捉える ―「集中リスク」の視点

第Ⅱ部 規制編 ― 業界標準の「ものさし」

  1. LCR(流動性カバレッジ比率)の基礎/第一線準備・第二線準備(3.2.1)/NSFR/マチュリティ・ラダー

第Ⅲ部 モデル編 ― 自金庫への落とし込み

  1. 自金庫のモデルへの落とし込み方(ハイブリッド・アプローチ、相関、VaR)
  2. Excelシミュレーターの作り方
  3. モデルの高度化オプション(参考)

第Ⅳ部 実務編

  1. コンティンジェンシー・ファンディング・プラン(CFP)
  2. 現代的な論点:デジタル時代の取り付け騒ぎ
  3. 信用金庫特有の論点

第Ⅴ部 まとめ
つまずきやすいポイント総まとめ/用語集/参考文献


第1章 流動性リスクとは何か

流動性リスクとは、「支払うべきお金が発生したときに、手元の資金や換金可能な資産が足りずに支払えなくなるリスク」です。

信用金庫にとっての最大の流動性リスク要因は、預金の払い出し(引出し・解約)です。融資はすぐには回収できませんが、預金は預金者の都合でいつでも引き出される可能性があります。この「資産(貸出)は固定的、負債(預金)は流動的」というミスマッチが、銀行業の宿命的なリスクです。

2008年のリーマンショックでは、自己資本が十分にあった金融機関でさえ、短期の資金繰りに詰まって破綻に追い込まれるケースがありました。これを受けて、バーゼル委員会が導入したのが後述のLCR(流動性カバレッジ比率)です。

💡 ここでつまずきやすい:信用リスクとの混同

「この先は経営が危ないから貸すのをやめよう」というのは信用リスクの話です。一方、「経営は健全でも、たまたま今月払うお金が足りない」というのが流動性リスクです。実際、SVB(後述)のように、資産の質そのものより「一斉に引き出された結果、支払いが間に合わなかった」ことが直接の引き金になるケースは少なくありません。2つは別物ですが、実務では連鎖することが多い(信用不安→流動性危機)ため、混同しやすい概念です。

1.1 誰がこのリスクを見ているか(ガバナンスの概要)

多くの金融機関では、流動性リスクは以下のような体制で管理されます。信金によって呼称は異なりますが、考え方の骨格は共通です。

  • 資金証券部門(トレジャリー):日々の資金繰り実務を担当。実際に資金を調達・運用する現場。
  • リスク管理部門:資金証券部門から独立した立場で、リスク量を計測・モニタリングし、限度枠(リミット)の遵守を監視。
  • ALM委員会(Asset Liability Management、資産負債総合管理委員会):経営層が出席し、資産と負債のバランス、金利リスク・流動性リスクの方針を審議する会議体。

新任担当者は多くの場合リスク管理部門に所属し、「現場が過度なリスクを取っていないか、独立した目でチェックする」役割を担うことになります。


第2章 預金流出を数字で捉える — 「集中リスク」の視点

流動性リスク担当者としてまず持つべき直感は、次の視点です。

1億円預けている人が全額引き出すと1億円が動くが、300万円の人が全額引き出しても300万円しか動かない。

これは、融資の世界でいう信用集中リスク(concentration risk)と全く同じ構造です。

\[\text{預金者 } i \text{ の流出額} = \underbrace{d_i}_{\text{引出せば }1\text{、引出さなければ }0} \times \underbrace{\text{預入額}}_{\text{エクスポージャー}}\]

全体の流出額は、これを全預金者について足し合わせたものです。ポイントは次の2つです。

  • エクスポージャーが大きい預金者ほど、1件の行動がインパクトが大きい(大口リスク)
  • 多数の小口預金者は、個別には誤差程度だが、まとめて動くと大きくなる(統計的な集団の動き)

💡 ここでつまずきやすい:エクスポージャー(exposure)

直訳すると「さらされている度合い」。ここでは単純に「その預金者が引き出す可能性のある金額(=預入額)」と考えて問題ありません。融資の世界では「貸出残高」がエクスポージャーにあたります。

2.1 なぜ小口預金は「まとめて」扱えるのか

小口預金者が数千人いる場合、一人ひとりの行動を個別に予測するのは非現実的です。しかし、大数の法則により、独立した多数の主体の平均的な行動は、個々のブレが打ち消し合って安定した値に収束します。これが、小口先を「セグメントとしてプールし、平均流出率を掛ける」という統計的アプローチが成立する理論的な根拠です。

ただし、これはあくまで「預金者同士がバラバラに動く(独立している)」ことが前提です。次の点が、モデル構築で最も見落とされやすい落とし穴です。

💡 ここでつまずきやすい:独立の前提が壊れる場面

平常時は個々の預金者がバラバラの理由(引越し、結婚、事業資金需要など)で預金を動かすため、大数の法則が働きます。しかし、取り付け騒ぎ(バンクラン)のように「不安」という共通の引き金で全員が同時に動き出すと、独立の前提が崩れ、単純な平均値モデルは実際の流出額を大きく過小評価します。この「同時に動く度合い」を表現するのが、第4章で扱う相関の概念です。


第3章 LCR(流動性カバレッジ比率)の基礎

この章の歩き方:本章は、流動性を測る「ものさし」を4つ、素朴なものから順に並べています。①第一線・第二線準備(3.2.1)― 日本の金融機関が昔から使ってきた、預金残高に対する構成比の物差し。②LCR(3.1〜3.5)― 30日のストレスで出ていく額を賄えるかを見る国際基準の物差し。③NSFR(3.6〜3.8)― 1年の調達構造の安定度を見る物差し。④マチュリティ・ラダー(3.9)― 期間帯ごとに資金の出入りを並べる、日常の実務で最もよく使う道具。まず 3.1〜3.2 で LCR の分子を押さえ、3.2.1 で「その考え方が実は日本の準備率と同じである」ことを確認してから、3.3 の本題(流出率)に進んでください。

LCRは、「30日間、深刻なストレス(取り付け騒ぎ・市場混乱)が起きても資金繰りが持つか」を測る、バーゼルⅢの国際規制指標です。信金に直接適用される規制ではありませんが、流出率の考え方は業界標準の「ものさし」として広く参考にされています。

なぜ信金には適用されないのか:LCR/NSFR は、海外営業拠点を持つ国際統一基準行を対象とする規制です。国境を越えた資金の引き揚げがシステム全体に波及することを防ぐという目的から、国際的に共通の指標で横並びに測る必要があるためです。業務が国内・地域に限定された国内基準行・信用金庫は、破綻しても国際金融システムへの直接の波及が小さいとされ、直接適用の対象になっていません(この線引きの理屈の全体像は →第0巻第13章、→第5巻第2章)。ただし「適用されない=無関係」ではありません。 本章の流出率テーブルがそうであるように、国際規制の考え方は業界標準の"ものさし"として、自金庫の内部モデルにも当局のモニタリングにも入り込んでいます。

3.1 基本式

\[\text{LCR} = \frac{\text{適格流動資産(HQLA)}}{\text{30日間の純資金流出額}} \ge 100\%\]

分子(すぐ現金化できる資産)が、分母(1ヶ月で出ていく可能性のあるお金)を上回っていれば合格、というシンプルな発想です。

3.2 分子:適格流動資産(HQLA)

「危機時でも値崩れせず、すぐ現金化できる資産」だけがカウントされます。質が低い資産ほど掛け目(算入率)が下がります。

資産区分 主な内容 掛け目
レベル1 現金、日銀預け金、国債 100%
レベル2A 高格付け社債・カバードボンド等 85%
レベル2B 上場株式、A+〜BBB-社債等(上限あり) 50〜75%

💡 ここでつまずきやすい:「掛け目」とは

掛け目(かけめ)とは、資産の額面のうち「危機時にも確実にアテにできる割合」のことです。例えば額面100万円のレベル2A資産(掛け目85%)は、LCR計算上85万円としてしかカウントされません。これは「いざ売ろうとしたら値崩れするかもしれない」というリスクを保守的に見込むためです。担保の「掛け目」や不動産融資の「担保掛け目」と同じ発想です。

3.2.1 第一線準備・第二線準備 ― HQLA より前からある、日本の物差し

ここで、LCR より前から日本の金融機関が使ってきた、より素朴で実務的な物差しを押さえておきます。第一線準備と第二線準備です。実は、いま見た HQLA のレベル分けと発想がほとんど同じです。

考え方はただ1つ、「支払いまでの距離」で資産を並べることです。

区分 主な中身 支払いまでの距離 利回り
第一線準備(一次準備) 現金、日本銀行預け金、他行・系統への要求払い預け金 その場で使える(ゼロ距離) ほぼゼロ
第二線準備(二次準備) 国債等の債券、コールローン、譲渡性預金など、短期間で確実に換金できる資産 売却または担保化を挟む(数日) 一定の利回りがある
(それ以外の資産) 貸出金、長期・低流動性の有価証券、固定資産 距離が遠い/資金化できない ―

比率にすると、次のようになります。

\[\text{第一線準備率} = \frac{\text{第一線準備}}{\text{預金等}} \qquad \text{第二線準備率} = \frac{\text{第二線準備}}{\text{預金等}}\]

両者を合わせて「流動性準備率」と呼ぶこともあります。

区分の名称・範囲・分母の取り方は、金庫や資料によって異なります。(信金中金への預け金を第一線に入れるか第二線に入れるか、分母を「預金等」とするか「総資産」とするかなど。)必ず自金庫の定義を確認してから、他行比較や時系列比較をしてください。

【設例】自金庫の準備を並べてみる(単純化した仮の数字、単位:億円)

区分 内訳 金額
第一線準備 現金 20 + 日銀預け金 40 + 系統への要求払い預け金 20 80
第二線準備 国債等 150 + コールローン 20 170
預金等 1,000
\[\text{第一線準備率} = \frac{80}{1{,}000} = 8\% \qquad \text{第二線準備率} = \frac{170}{1{,}000} = 17\%\]

この数字をどう読むか。 第2章の考え方で、流出額と並べます。

流出額 何で吸収するか
50 第一線準備(80)の範囲内。支店の窓口対応で完結し、本部は動かなくてよい
120 第一線を使い切り、第二線を取り崩す。国債の売却または担保差入れが必要になる
300 第一線+第二線(250)でも足りない。貸出の回収か、系統・日銀からの調達に踏み込む(→第7章)

つまり、第一線準備率は「本部が動かずに済む流出の大きさ」を、第二線準備率は「市場に出ていかずに済む流出の大きさ」を示しています。 この2段構えを持っておくと、CFP(→第7章)の発動水準を決めるときの目安になります。

そして、ここに本シリーズを貫く論点が現れます。

💡 ここでつまずきやすい:「第二線準備があるから安心」

誤解:国債を150億円持っているのだから、いつでも売って資金化できる。

正しい理解:「売れる」ことと「売りたい」ことは別です。金利上昇局面では、その国債に含み損があります。売れば損失が実現し、業務純益と自己資本比率を直撃します(→第1巻、→第3巻第8章)。その結果、「資金化できるのに、売りたくないので売らない」という状態が生まれます。

2023年の SVB(シリコンバレー銀行)の破綻は、まさにこの構図でした(→第8章)。保有債券は換金可能でしたが、売却によって損失を認識せざるを得ず、それが信認の低下を招き、流出を加速させました。第二線準備は、含み損の大きさによって"実質的に薄くなる" ― この認識が、流動性リスクと市場リスクを結ぶ結び目です。

だから第二線準備は、①売却による資金化 ②担保差入れによる資金化(日銀オペ・レポ。→第12巻)の2つの経路で見る必要があります。担保として使えば、売らずに資金化できるので、含み損を実現させずに済みます。 「担保余力」を別枠で把握しておくべき理由が、ここにあります。

⭐ポイント⭐:「第一線準備は収益を捨てて買う安心、第二線準備は含み損とセットで持つ安心」。

LCR との関係を整理しておきます。 発想は同じですが、分母がまったく違います。

第一線・第二線準備率 LCR
分子 支払いまでの距離で区分した資産 HQLA(掛け目付き)
分母 預金等の残高 30日間のストレス流出見込額
意味 「預金の何%を手元に置いているか」 「想定した流出を賄えるか」
性格 構成比の指標。単純で日次でも追える 充足の指標。前提を置かないと計算できない

分母が残高か、流出見込額か ― ここが決定的です。準備率は誰が計算しても同じ数字になりますが、「いくら流出するか」は答えてくれません。LCR は流出の見積りまで踏み込みますが、その見積り(流出率)の置き方しだいで数字が動きます(→第4章)。

担当者の心得:両方を並べて見てください。 準備率だけでは「多いのか少ないのか」の判断基準がなく、LCR だけでは前提への依存が見えません。実務では、①第一線・第二線準備率(構成比の事実)→ ②自金庫の流出シナリオ(第4章)→ ③その流出を準備で賄えるか、という順で資料を作ると、経営に説明しやすくなります。事実から始めて、前提を置いた計算はその後 ― これは資料作りの一般則でもあります。

3.3 分母:純資金流出額 ← 今回の本題

\[\text{純資金流出額} = \text{資金流出見込み額} - \underbrace{\text{資金流入見込み額}}_{\text{算入に上限あり}}\]

流出見込み額は、預金・調達の種類ごとに「流出率(ランオフ率)」を掛けて積み上げます。この区分の考え方が、今回のモデル作りにそのまま使えます。

主な預金の流出率(30日間ストレス時)

区分 流出率
リテール安定預金(付保対象・給振口座等の強固な関係あり) 5%(要件を満たせば3%)
リテール準安定預金(それ以外の個人・中小企業) 10%
事業法人・政府等(預金保険で全額保護) 20%
事業法人・政府等(全額保護でない) 40%
金融機関からの調達 100%
オペレーショナル預金(決済目的・全額付保) 5%
オペレーショナル預金(付保対象外) 25%

出典:金融庁/日本銀行「流動性規制(流動性カバレッジ比率)に関するバーゼルⅢテキスト公表」2013年1月
https://www.fsa.go.jp/inter/bis/20130108-2/02.pdf

💡 ここでつまずきやすい:リテール と ホールセール

  • リテール:個人・中小企業向け。数が多く、一件あたりの金額が小さいのが典型。
  • ホールセール:大企業・金融機関・機関投資家向け。数は少ないが一件あたりの金額が大きく、資金の専門家が管理しているぶん動きが速い。
    「小口=リテール、大口=ホールセール」とほぼ対応すると考えれば直感的です。

💡 ここでつまずきやすい:「付保対象」とは

日本の預金保険制度では、金融機関が破綻した場合、1金融機関・1預金者あたり元本1,000万円までとその利息が保護されます。これを「付保」と言います。1,000万円を超える部分は「非付保」として、破綻時に全額戻ってこない可能性があります。だからこそ非付保部分を多く持つ大口預金者ほど、危機の気配を感じた瞬間に「1,000万円を超える分だけでも」と先回りして引き出す動機が強く、流出率が高く設定されているのです。

なお、日本には例外があります。無利息・要求払い・決済サービス提供という3条件を満たす「決済用預金」(当座預金など)は、金額の上限なく全額保護されます。これは1990年代後半の金融危機を教訓に導入された制度で、法人の決済機能を守るための仕組みです。

【設例】1つの口座が2つの区分にまたがる(単純化した仮の数字)

ある個人が、給与振込口座(普通預金)に 1,300万円 を預けているとします。この1口座を、そのまま「安定預金・流出率5%」として扱ってはいけません。預金保険の上限1,000万円を境に、口座を2つに割って判定します。

部分 金額 区分 流出率 想定流出額
付保範囲内(給振口座で関係が強固) 1,000万円 安定預金 5% 50万円
付保範囲を超える部分 300万円 準安定預金 10% 30万円
合計 1,300万円 (実効 6.2%) 80万円

一言まとめ:1口座を一括で5%と置けば流出額は65万円。分割すれば80万円。この設例では差は小さく見えますが、大口の個人預金が積み上がっている金庫では、この処理の有無が全体の流出見込みを大きく動かします。実効流出率が5%ではなく6.2%になっている点に注目してください。「安定預金だから5%」ではなく、「その口座のうち何円が安定預金なのか」が問われているのです。

担当者の心得:モデルを作るとき、「1口座=1行」で組んでしまうと、この分割ができません。設計段階で「1口座を保護対象内/対象外の2行に分ける」構造にしておいてください。後から作り直すのは、想像以上に手間がかかります(実装上の注意は第3.8節・第5章)。

💡 ここでつまずきやすい:オペレーショナル預金

クリアリング(送金・決済)、カストディ(証券の保管等)、キャッシュ・マネジメント(資金管理代行)といった業務上必要なために置かれている預金のことです。金利目的ではなく、業務の一部として動かせない残高、というイメージです。信用金庫特有の例では、系統預金(信金中央金庫への預け金)がこれに近い性質を持ちます。定義が細かく難解なので、最初は「決済業務に付随して、簡単には引き出せない預金」くらいの理解で十分です。

3.4 なぜこの区分が「足の速さ」の参考になるのか

この流出率テーブルは、世界中の金融危機のデータから「どの種類の預金者がどれだけ早く逃げるか」を規制当局が逆算し、固定値化したものです。

  • 個人・給振口座 → 動きが遅い(足が遅い) → 流出率5%程度
  • 一般法人・非付保 → 動きが速い(足が速い) → 流出率40%
  • 金融機関同士 → 一瞬で引き揚げられる → 流出率100%

「大口・法人ほど足が速く、小口・個人ほど足が遅い」という直感を、規制がすでに数値化してくれている、と理解すると使いやすくなります。

注意点:この数値は「30日間の深刻なストレスシナリオ」を前提にした、かなり保守的な数字です。信金の平常時モデルにそのまま使うと過大に出るため、第4章で述べるようにスケールダウンして使うのが実務的です。またLCRは国際基準行向けの規制であり、信金への直接適用義務はありません。あくまで「業界の目安」として参照する位置づけです。

3.5 預金ごとの判定フロー:LCR編

目の前の預金1件について、LCRの流出率を求めるには、次の順序で判定します。「一目でわかる」ように、判定の分岐をフローの形で示します。

flowchart TD
    S1{"Step1: リテール<br/>(個人・中小企業)か?"}
    S1 -->|リテール| S2{"Step2: 預金保険の<br/>保護範囲内か?<br/>(元本1,000万円まで)"}
    S1 -->|それ以外| S5{"Step5: オペレーショナル<br/>預金か?"}

    S2 -->|保護範囲内| S3{"Step3: 銀行との関係が<br/>強固か?<br/>(給振口座・決済口座等)"}
    S2 -->|保護範囲外| R2["準安定預金<br/>流出率10%"]

    S3 -->|強固| R3a["安定預金<br/>流出率5%(要件次第で3%)"]
    S3 -->|強固でない| R3b["準安定預金<br/>流出率10%"]

    R3a --> S4{"Step4(定期預金のみ):<br/>残存30日超かつ<br/>中途解約権なし/実質ペナルティ?"}
    R3b --> S4
    S4 -->|Yes| R4a["流出率0%<br/>(30日以内には出ていけない)"]
    S4 -->|No| R4b["Step2・3の判定結果を<br/>そのまま適用"]

    S5 -->|Yes・全額付保| R5a["流出率5%"]
    S5 -->|Yes・付保対象外| R5b["流出率25%"]
    S5 -->|No 通常の法人預金等| S6{"Step6: 預金保険の<br/>保護範囲内か?"}

    S6 -->|保護範囲内| R6a["流出率20%"]
    S6 -->|保護範囲外/金融機関からの預金| R6b["流出率40%<br/>(金融機関からの預金は100%)"]

💡 ここでつまずきやすい:「残存期間」と「実効残存期間」

残存期間とは、「今日から満期日までの日数」のことです。LCRでは基本的に「契約上の残存期間」を見ますが、預金者が違約金なしでいつでも解約できる場合は、契約上の満期に関わらず「今日にも出ていく可能性がある」とみなされ、要求払い預金と同じ扱いになります(Step4の分岐)。この「契約上の満期ではなく、実質的にいつ出ていけるか」という考え方を実効残存期間と呼びます。

💡 ここでつまずきやすい:「要求払い」とは

預金者が請求すればいつでも(その場で)払い戻される預金のことです。普通預金がその典型で、対義語は「据置(すえおき)」や「定期」です。LCR・NSFRの世界では、「要求払いかどうか」が判定の重要な分岐点になります。

💡 ここでつまずきやすい:「中途解約権」とペナルティの意味

定期預金で「中途解約権がない」というのは、契約上、満期前に払い戻しを請求する権利自体がないこと(そもそも解約できないこと)を指します。仮に解約自体は可能でも、受け取れる利息が大幅に減るなど「実質的なペナルティ」が課される設計であれば、LCR上は同様に「動きにくい預金」として扱われます。逆に、ペナルティなしでいつでも解約できる定期預金は、名前は「定期」でも中身は要求払いと同じ扱いです。

3.6 NSFRの基礎:算入率(ASF)という考え方

NSFRは「向こう1年、銀行の調達構造がどれだけ安定しているか」を測る指標です。

\[\text{NSFR} = \frac{\text{利用可能な安定調達額(ASF)}}{\text{所要安定調達額(RSF)}} \ge 100\%\]

「短期のとがった資金繰り」を見るLCRに対し、NSFRは「長期的な調達構造の歪み」を見る指標、と役割分担していると理解してください。

預金は分子側、つまりASF(Available Stable Funding、利用可能な安定調達額)の計算に登場します。LCRの「掛け目」と同じように、預金の種類ごとに算入率が決まっていて、それを預金額に掛けて積み上げます。

💡 ここでつまずきやすい:ASFとRSFはどちらが預金の話か

  • ASF(調達側):銀行が「どこからお金を調達しているか」。預金・資本・市場性調達などが該当します。ここに預金の算入率が登場します。
  • RSF(運用側、所要安定調達額):銀行が「そのお金を何に使っているか」。貸出金や保有有価証券などが該当し、預金そのものはここには出てきません。
    「預金の話をしているなら、必ずASF側」と覚えておけば、2つを混同しにくくなります。

預金のASF算入率

区分 算入率(ASF)
残存期間1年以上の預金(種類を問わず) 100%
リテール安定預金(1年未満) 95%
リテール準安定預金(1年未満) 90%
事業法人・オペレーショナル預金・政府等(1年未満) 50%
金融機関からの調達(6ヶ月未満) 0%

出典:金融庁/日本銀行「安定調達比率(Net Stable Funding Ratio:NSFR)最終規則の概要」2015年2月
https://www.fsa.go.jp/inter/bis/20141105-1/02.pdf

💡 ここでつまずきやすい:LCRの掛け目と「向きが逆」に感じる理由

LCRの流出率は「値が高いほど危険(出ていきやすい)」という意味でした。NSFRのASF算入率は逆に「値が高いほど安全(調達として長く居座ってくれる)」という意味です。同じ「安定リテール預金」でも、LCRでは流出率5%(低いから安全)、NSFRでは算入率95%(高いから安全)と、数字の向きが逆になる点に注意してください。

3.7 預金ごとの判定フロー:NSFR編

flowchart TD
    N1{"Step1: 残存期間は<br/>1年以上か?"}
    N1 -->|Yes| R1["算入率100%<br/>(種類を問わず判定終了)"]
    N1 -->|No 1年未満/要求払い| N2{"Step2: リテール<br/>(個人・中小企業)か?"}

    N2 -->|リテール| N3{"Step3: LCRのStep3と同じ基準で<br/>「安定/準安定」を判定"}
    N2 -->|それ以外| N4{"Step4: 金融機関からの<br/>調達か?"}

    N3 -->|安定| R3a["算入率95%"]
    N3 -->|準安定| R3b["算入率90%"]

    N4 -->|Yes・残存6ヶ月未満| R4a["算入率0%"]
    N4 -->|Yes・残存6ヶ月〜1年未満| R4b["算入率50%"]
    N4 -->|No 事業法人・オペレーショナル預金等| R4c["算入率50%"]

💡 ここでつまずきやすい:LCRとNSFRで「判定の入り口」が違う

LCRはまず「誰の預金か(預金者の属性)」から判定を始めますが、NSFRはまず「残存期間が1年以上か」から判定を始めます。1年以上の定期預金であれば、個人だろうと法人だろうと一律100%というのがNSFRの特徴です。「NSFRはまず満期を見る、LCRはまず預金者を見る」と覚えると、2つの指標を混同しにくくなります。

💡 ここでつまずきやすい:LCRの「3%」区分はNSFRにはない

第3.3節で説明した「追加要件を満たせば3%」という区分は、LCR特有の細分化です。NSFRの算入率テーブルには95%/90%の2区分しかなく、3%に相当するさらに有利な区分はありません。両方の指標を一緒に扱うときに、「LCRで3%だからNSFRでも何か特別扱いがあるはず」と考えてしまうのが典型的な誤解です。

3.8 早見表:預金タイプ別 LCR流出率 × NSFR算入率

第3.5節・第3.7節の判定フローを、具体的な預金の例に当てはめると次のようになります。信金の実務で登場しやすい代表的なパターンに絞っています。

具体例 LCR流出率 NSFR算入率(1年未満) NSFR算入率(1年以上)
給振口座の普通預金(個人、1,000万円以内) 5%(要件次第で3%) 95% ―(要求払いのため通常該当なし)
ネット専業口座の普通預金(個人) 10% 90% ―
個人の定期預金、1,000万円以内、中途解約可 5%(給振等と関係が強固な場合)/10%(それ以外) 95%/90% 100%
個人の定期預金、中途解約権なし・残存30日超 0% 95%(1年未満の場合) 100%
個人預金のうち1,000万円超過部分 10% 90% 100%(1年以上の部分)
一般事業法人の普通預金(非付保) 40% 50% 100%
一般事業法人の預金(預金保険で全額保護) 20% 50% 100%
決済代行等のオペレーショナル預金(全額付保) 5% 50% ―
決済代行等のオペレーショナル預金(付保対象外) 25% 50% ―
他の金融機関からの預け金(短期) 100% 0%(6ヶ月未満)/50%(6ヶ月〜1年未満) 100%

💡 ここでつまずきやすい:1つの預金が複数の区分にまたがる場合

第3.3節で扱った「1,300万円を給振口座に預けている個人」の例のように、1つの預金口座でも、預金保険の上限額(1,000万円)を境に、口座の中身を2つに割って別々の区分を適用することがあります(1,000万円部分は安定預金、残り300万円は準安定預金)。Excelでモデルを作る際は、「1口座=1行」ではなく、「1口座を保護対象内/対象外の2行に分けて計算する」処理が必要になる場合がある、という点を覚えておいてください。

3.9 マチュリティ・ラダー(満期ギャップ分析)

LCRやNSFRが「1点のスコア」で全体を要約するのに対し、マチュリティ・ラダーは実務で日常的に使う手法で、資金の出入りを期間帯(バケット)ごとに並べて可視化します。

期間 資金流入予定 資金流出予定 差引ギャップ 累積ギャップ
翌日物 … … … …
1週間以内 … … … …
1ヶ月以内 … … … …
3ヶ月以内 … … … …
1年以内 … … … …

LCRが「1ヶ月」という1つの断面だけを見るのに対し、マチュリティ・ラダーは「いつ、どれだけ資金が足りなくなりそうか」を時系列で把握できるため、日々の資金繰り管理の主力ツールとして使われます。実務では、こちらの方がLCRよりも日常的に触れる機会が多いかもしれません。


第4章 自金庫のモデルへの落とし込み方

4.1 ハイブリッド・アプローチ

実務では、大口先と小口先を別々の方法で扱うのが定石です。

  • 大口(上位N先):個社別に、取引背景や信用力をふまえてシナリオ分析で扱う(「この先が抜けたら/抜けなかったら」を個別に検証)
  • 小口(その他多数):LCR的なセグメント別流出率を、自金庫の実態に合わせて調整した上で、統計的にプールして扱う(大数の法則で分散が効く)

4.2 セグメント別流出率の作り方(たたき台)

LCRの数字をベースに、平常時は大きく割り引き、ストレス時はLCRに近い水準を使う、という2シナリオ構成がわかりやすいです。

区分 平常時(年間目安) ストレス時(3ヶ月目安)
普通預金・個人 5% 15%
普通預金・法人 10% 30%
定期預金・個人(満期前) 1% 5%
定期預金・法人 3% 20%

定期預金は中途解約にペナルティがあるため、普通預金より流出率を低く見積もるのが一般的です。この数字はあくまで初期仮説であり、自金庫の過去の解約実績データが蓄積され次第、随時見直すべきものです。

担当者の心得:ALM の前提と矛盾していないか確認する

ここで置いた流出率は、ALM(資産負債総合管理)で置く「コア預金」の前提と表裏の関係にあります。ALM では、普通預金のうち長期間滞留する部分を「コア預金」として長期の固定金利負債とみなし、それによって金利リスク量(ΔEVE)を小さく計測します(→第7巻第8〜9章)。ところが本章では、同じ普通預金について「ストレス時には○%流出する」と置いています。同じ預金について、2つの部署が正反対の前提を置いているという状態が、実務では本当に起こります。流出率の見直しをしたら、必ず ALM 側のコア預金の前提と突き合わせてください。両者の整合性は、検査・考査でも問われる論点です。

💡 ここでつまずきやすい:「平常時」と「ストレス時」は別モデル

初心者がよくやる誤りは、1つの流出率だけを使い回してしまうことです。実際には「平時の資金繰り管理」と「危機シナリオでの耐久力チェック」は目的が違うため、シナリオごとに別の流出率セットを用意するのが基本です。LCRの数字はあくまで「ストレス時」用の参考値であることを忘れないでください。

4.3 ストレスシナリオの設計:何が引き金になるか

「ストレス時」と一言でいっても、引き金の種類によって流出パターンは変わります。一般的に、ストレスシナリオは次の3種類に分類して検討します。

  • アイディオシンクラティック・ストレス(自行固有):自金庫特有の風評被害、不祥事報道、格下げなど。他行には波及しにくいが、自行への信頼が急速に失われる。
  • 市場全体のストレス:金利急騰、地域経済の悪化、金融システム不安など。同業他行も同時に影響を受ける。
  • 複合ストレス:自行固有の問題が、市場全体の不安と重なって増幅するケース。最も深刻な被害を想定するシナリオ。

信金の場合、特定地域への貸出・預金の集中度が高いため、「地域経済の悪化」という市場ストレスが自行固有のストレスと連動しやすい、という構造的な特徴があります。この点は全国型の大手行のシナリオ設計をそのまま借用するのではなく、自金庫の地盤に合わせて調整すべきポイントです。

4.4 相関(同時流出)の考え方 ― ここから発展

読み方の目安:4.4 と 4.5、および第5.3節・第5.4節は、統計の道具を使う発展的な内容です。 初めてこの分野を担当する段階では、4.3 までの「セグメント別に流出率を掛けて積み上げる」考え方と、第5.2節の期待値ベースの計算ができれば、実務の入口としては十分です。以下は「なぜ危機時には期待値の計算では足りないのか」を理屈で押さえるための節ですので、式の導出よりも、太字の結論と 💡 の囲みだけを拾って先に進んでかまいません。必要になったときに戻ってきてください。

平常時とストレス時で決定的に違うのは、預金者同士の動きの連動性です。単一ファクターモデルの考え方を使うと、これを簡易的に表現できます。

\[Z_i = \sqrt{\rho}\, M + \sqrt{1-\rho}\, \varepsilon_i\]

ここで \(M\) は全員に共通して効くショック(金融不安・金利上昇・風評リスクなど)、\(\varepsilon_i\) は預金者 \(i\) 固有の事情、\(\rho\) は両者の効き方の配分(相関)です。

ρ(相関係数)を0(独立・平常時)〜0.5程度(強い連動・危機時)で切り替えることで、「平常時はバラバラに抜けるが、ストレス時は一斉に抜ける」という取り付け騒ぎ特有の現象を表現できます。

💡 ここでつまずきやすい:数式のZ_iやρが何を表しているか

統計に不慣れだと、この式は記号の羅列に見えてしまいます。噛み砕くと以下の通りです。

  • M(共通ショック):全預金者に共通して影響する「世の中の空気」。これが悪化すると全員が同時に不安になる。
  • 個別要因:その人固有の事情(引越し、事業資金需要など)。他の人には関係ない。
  • ρ(相関係数、0〜1の値):「世の中の空気」にどれだけ引きずられやすいかの度合い。0なら完全に個人の事情だけで動く(独立)、1なら全員が同じ理由で一斉に動く。
  • Z_i:上記2つを合成した、その人の「引き出したくなる度合い」を表す指標。これが一定のしきい値を超えたら引き出す、と判定します。
    このモデル自体は、融資ポートフォリオの信用リスク計測(バーゼル規制のIRB方式で使われるVasicekモデル)と同じ発想を借用したものです。

💡 ここでつまずきやすい:ρはどう決めればよいか

正直に言うと、これは非常に難しい問題です。理論的に「正しいρ」を導く方法はなく、実務では次のような割り切りが一般的です。

  • 過去に自金庫または同業他行で実際に取り付け騒ぎに近い事象があれば、そのときの実績データから逆算する
  • データがなければ、専門家の経験則や他行事例を参考に「保守的な値」を仮置きする(例:平常時ρ=0.05〜0.1、ストレス時ρ=0.3〜0.5など)
  • 複数のρで試算し、結果がどれだけ変わるかを見る「感度分析」を行い、ρの不確実性そのものをリスクとして経営に説明する
    「唯一の正解」を探すのではなく、「悲観シナリオではどこまで悪化しうるか」を把握する目的で使う、という位置づけが実務的です。

4.5 VaR(バリュー・アット・リスク)という物差し

モンテカルロ・シミュレーションの結果(流出額の分布)が得られたら、それを1つの数字に要約する際によく使われるのがVaRです。

VaR(95%)= 「95%の確率では、この金額を超える流出は起きない」という金額

例えば1,000回のシミュレーションで流出額を計算し、大きい順に上位5%(50回分)の最小値を取れば、それが95%VaRです。信用リスクの世界で使われる概念をそのまま流動性リスクに応用したものですが、「絶対にこれ以上は流出しない」という保証ではなく、あくまで「これくらいの確率でこれくらい」という統計的な目安である点に注意してください。


第5章 Excelシミュレーターの作り方

5.1 シート構成(3シート構成)

  1. 前提シート:第4章のようなセグメント別流出率のマトリクス
  2. 預金者別データシート:実際の預金者一覧に、前提シートの流出率をXLOOKUP等で紐付け、期待流出額を計算
  3. シミュレーションシート:乱数を使い、実際に「今回はいくら流出するか」を試算

5.2 期待値ベースの計算(最初の一歩)

預金者別データシートの各行に、以下を計算します。

\[\text{期待流出額} = \text{預入額} \times \text{適用流出率}\]

これをセグメント別・全体で集計すれば、「平常時・ストレス時それぞれで、どのくらいの流出が見込まれるか」の目安が出ます。

5.3 モンテカルロ・シミュレーション(発展)

期待値だけでなくばらつき(最悪ケース)も見たい場合、各預金者の行に以下の式を入れます。

=IF(RAND() < 適用流出率, 預入額, 0)

F9キーで再計算するたびに「今回の乱数では、誰が引き出したか」がランダムに決まり、合計流出額が変わります。これをデータテーブル機能やVBAで1,000回程度繰り返し、ヒストグラムを作ると、流出額の分布(最悪シナリオ・VaR的な指標)が見えるようになります。

5.4 同時流出(相関)を組み込む場合

第4.4節の単一ファクターモデルをExcelで再現するには、次のような式を使います。

共通ショック   = NORM.S.INV(RAND())
個別要因_i     = NORM.S.INV(RAND())
Z_i            = SQRT(ρ)×共通ショック + SQRT(1-ρ)×個別要因_i
流出判定       = IF(NORM.S.DIST(Z_i, TRUE) < 適用流出率, 預入額, 0)

ρを大きくするほど、大口先が同時に動く「テールリスク」が太くなる様子を確認できます。

💡 ここでつまずきやすい:Excelでの実務的な落とし穴

  • RAND()はシートを再計算するたびに値が変わってしまうため、1,000回分のシミュレーション結果を保存したい場合は、都度「値として貼り付け」で固定するか、データテーブル機能を使う必要があります。
  • 預金者数が数千件を超えると、行ごとに乱数式を入れる方式は重くなりがちです。件数が多い場合はセグメント単位でモデル化する、または集計をPythonなどに移す選択肢も検討してください。
  • NORM.S.INV(RAND())は標準正規分布に従う乱数を作る式です。NORM.S.DIST(Z_i, TRUE)は、Z_iを「0〜1の確率」に変換し直す式です。この往復変換によって、相関を持たせた上で最終的に「流出率と比較できる形」に戻しています。

第6章 モデルの高度化オプション(参考・将来の学習用)

データが蓄積され、モデルを精緻化したくなった段階で検討する選択肢です。今すぐ必要なものではありません。

  • 単一ファクターモデル(Vasicekモデル):第4.4節・第5.4節で扱った考え方の理論的な裏付け。融資ポートフォリオのリスク計測(バーゼルⅡ・Ⅲの内部格付手法の基礎式)と同じ数学的構造を持ちます。
  • CreditRisk+的アプローチ:ポアソン分布(まれにしか起きない事象の発生件数を表す確率分布)を使い、解析的(乱数シミュレーションなしで数式のみ)に損失分布を求める手法。計算が軽く、大量データでも高速に動く利点があります。
  • HHI(ハーフィンダール・ハーシュマン指数):預金構成の集中度を測る補助指標。
\[\text{HHI} = \sum_i s_i^{\,2} \qquad (s_i = \text{預金者 } i \text{ の預金シェア})\]

上位少数の預金者にシェアが偏っているほどHHIは大きくなり、逆に多数の預金者に分散しているほど小さくなります(理論上の下限は預金者数の逆数に近づく)。「モデルを回すまでもなく、まず自金庫がどれだけ大口に依存しているか」を素早く把握する一次スクリーニングとして有用です。


第7章 実際の危機にどう備えるか:コンティンジェンシー・ファンディング・プラン(CFP)

モデルで流出額を試算するだけでなく、「実際に流出が始まったらどう動くか」をあらかじめ定めておく計画をコンティンジェンシー・ファンディング・プラン(CFP、資金繰り危機対応計画)と呼びます。流動性リスク管理は、モデル構築(平時の備え)とCFP(有事の対応)の両輪で成り立っています。

CFPには一般に以下の要素が含まれます。

  • 早期警戒指標(Early Warning Indicators):預金残高の急減、格付け動向、市場での資金調達コストの上昇など、危機の予兆を捉えるモニタリング指標
  • エスカレーション基準:どの指標がどの水準を超えたら、誰に報告し、どの会議体で意思決定するか
  • 資金調達の手段リスト:日銀借入、他金融機関からのコール調達、保有有価証券の売却・担保差入れなど、実際に資金を確保する手段とその優先順位
  • 役割分担:危機時に誰が何を担当するか(平時の担当と異なる体制になることが多い)

新任担当者としては、まず「自金庫のCFPがどこにあり、何が書かれているか」を確認するところから始めるとよいでしょう。モデルはあくまで「どれだけの規模の危機を想定すべきか」を示すインプットであり、CFPは「実際に起きたときにどう動くか」のアウトプットにあたります。


第8章 現代的な論点:デジタル時代の取り付け騒ぎ

従来の取り付け騒ぎは、預金者が窓口やATMに列を作るまでに数日〜数週間かかるものでした。しかし近年は、モデルの前提そのものを見直す必要がある事例が出てきています。

2023年3月に経営破綻した米シリコンバレー銀行(SVB)の事例が象徴的です。格付け引き下げ等の発表をきっかけに信用不安がSNS上で急速に拡散し、報道によれば同行ではわずか1日程度の間に420億ドル(当時のレートで5兆円超)の預金が流出したとされています。従来型の取り付け騒ぎが「窓口に並ぶ」という物理的な制約で自然にブレーキがかかっていたのに対し、スマートフォンでの送金操作は数タップで完了するため、危機の進行速度が桁違いに速くなった点が特徴です。

💡 ここでつまずきやすい:LCRの「30日」という前提は今も妥当か

LCRは「30日間で耐えられるか」を測る指標ですが、SVBのケースは実質的に1〜2日で致命的な流出が起きています。これは規制当局・実務家の間でも議論になっている論点で、「デジタル化時代には、より短い期間(数日単位)での耐久力も別途見ておくべきではないか」という問題提起がなされています。唯一の正解があるわけではありませんが、モデルを作る際は「30日間の合計流出額」だけでなく、「最初の数日でどれだけ急速に流出しうるか」も併せて意識しておくと、より実態に即した設計になります。

SVBの事例からは、次の点も読み取れます。

  • 預金者が創業者・投資家など密なネットワークで繋がっている(SVBの場合はスタートアップ業界)ほど、情報伝播が速く、流出も速い
  • 非付保(預金保険の対象外)の大口預金者ほど、真っ先に動く傾向がある(前述の「足の速さ」の裏付け)
  • 平常時のセグメント区分(個人・法人など)だけでなく、「預金者同士のつながりの強さ」も将来的なモデルの高度化テーマになりうる

信金の場合、顧客基盤は個人中心で地域に根差していることが多く、SVBのような業界特化型の集中リスクとは性質が異なります。ただし「SNSでの風評が一気に広がるリスク」自体は業態を問わず存在するため、CFPの早期警戒指標にSNS・風評モニタリングを組み込む金融機関が増えている点は、参考にする価値があります。


第9章 信用金庫特有の論点

大手行向けの教科書的な説明をそのまま当てはめると見落としがちな、協同組織金融機関ならではの論点を挙げておきます。

  • 系統預金:信用金庫は、余裕資金を信金中央金庫に預け入れる「系統預金」という仕組みを持っています。これは会員間の相互扶助を目的とした内部の資金融通システムであり、有事の際の資金調達手段としても機能します。自金庫の流動性モデルを作る際は、外部市場からの調達だけでなく、この系統内の資金繰り支援の枠組みも選択肢として考慮に入れる必要があります。地域銀行にはこの系統中央機関がなく、市場調達と日本銀行・預金保険が頼りであるという違いは、流動性リスクの設計思想そのものに影響します(信金中金の機能の詳細は →第17巻、短期金融市場での調達手段は →第12巻)。
  • 員外預金規制:信用金庫は会員(組合員)以外からの預金受入れに一定の制限があります。これは大手行と比べて預金者の裾野の作られ方が異なることを意味し、地域内での預金者の同質性(似た経済状況・似た情報源を持つ人が多い)が、良くも悪くも流出行動の連動性に影響しうる点は意識しておくとよいでしょう。
  • 地域集中リスク:個人向け中心とはいえ、特定地域の基幹産業(製造業の工場城下町、観光業など)が悪化すると、地域全体の預金者が同時にダメージを受け、平常時には見えなかった相関が一気に顕在化する可能性があります。第4.3節の「市場全体のストレス」シナリオを設計する際は、全国的な金融不安だけでなく、自金庫の地盤特有の経済ショックも別途想定することが重要です。

つまずきやすいポイント総まとめ

このテキスト全体で出てきた、初心者がつまずきやすい概念を一覧にしました。読み返す際のインデックスとして使ってください。

用語・概念 章 一言で言うと
信用リスクと流動性リスクの違い 第1章 「返ってくるお金か」対「タイミングよく払えるか」
エクスポージャー 第2章 引き出される可能性のある金額(≒預入額)
独立の前提が壊れる場面 第2章 危機時は皆が同じ理由で同時に動く
掛け目 第3章 資産のうち危機時にアテにできる割合
リテール/ホールセール 第3章 小口・個人 対 大口・法人・金融機関
付保対象/決済用預金 第3章 1,000万円までの保護、決済用は全額保護
オペレーショナル預金 第3章 決済業務に付随し簡単には引き出せない預金
実効残存期間・要求払い・中途解約権 第3章 契約上の満期でなく「実質いつ出ていけるか」で判定
ASFとRSF 第3章 預金の話は必ずASF(調達側)、RSFは運用側(貸出等)
LCRとNSFRの判定の入り口の違い 第3章 LCRは預金者の属性から、NSFRは残存期間から判定開始
マチュリティラダー 第3章 資金の出入りを期間帯ごとに並べる日常ツール
ρ(相関係数)とZ_i 第4章 「世の中の空気」にどれだけ引きずられるか
VaR 第4章 ○%の確率でこれを超えない、という金額
CFP 第7章 モデルの先にある「実際どう動くか」の計画
デジタルバンクラン 第8章 SNS時代は取り付け騒ぎが数時間〜1日で進む
第一線準備・第二線準備 3.2.1 支払いまでの距離で資産を並べる、LCRより古い物差し
「第二線準備があるから安心」 3.2.1 含み損があると「売れるが売りたくない」。SVBの構図
準備率とLCRは分母が違う 3.2.1 準備率は預金残高が分母(構成比)、LCRは流出見込額が分母(充足)

まとめとセルフチェック

一枚でわかる全体像

  1. 流動性リスクは「返ってくるお金か(信用リスク)」ではなく「タイミングよく払えるか」の問題。健全な金融機関でも詰まる。
  2. 預金流出は「引き出すか(0/1)× 預入額」の積み上げ。大口は1件の行動が効き、小口は集団として効く。
  3. 小口をセグメントでまとめて扱えるのは大数の法則が働くから。危機時は独立の前提が壊れ、単純な平均値モデルは流出を過小評価する。
  4. LCR は30日のストレス、NSFR は1年の調達構造。信金に直接適用はないが、流出率テーブルは業界標準の"ものさし"として参照される。
  5. NSFR はまず満期を見る、LCR はまず預金者を見る。判定の入り口が違う。
  6. 1口座でも、付保上限を境に2つの区分に割って判定する必要がある(第3.3節の設例)。
  7. 自金庫のモデルはハイブリッド。大口は個社別シナリオ、小口はセグメント別流出率。平常時とストレス時は別モデル。
  8. 同時流出は ρ(相関)で表現する。正解のρはないので、複数の値で感度分析を行い、不確実性そのものを経営に説明する。
  9. 流出率の前提は、ALM のコア預金の前提と表裏。同じ預金に2つの部署が正反対の前提を置いていないか点検する(→第7巻第9章)。
  10. モデルは「どれだけの危機を想定するか」のインプット、CFP は「実際に起きたらどう動くか」のアウトプット。両輪で成り立つ。
  11. SVB はデジタル時代の速度を示した。30日の合計だけでなく、最初の数日の急速な流出も見ておく。
  12. 信金には系統(信金中金)というセーフティネットがある一方、地域集中により預金者の相関が高くなりやすいという構造がある。

セルフチェック(説明できますか?)

  • 第一線準備と第二線準備の違いを「支払いまでの距離」で説明できる

  • 自金庫の第一線準備率・第二線準備率を計算し、流出額と並べて読める

  • 「第二線準備があるから安心」がなぜ不正確か、含み損と結びつけて説明できる

  • 第二線準備を「売却」と「担保差入れ」の2経路で見るべき理由を説明できる

  • 準備率とLCRの分母の違いを説明できる

  • 信用リスクと流動性リスクの違いを、具体例で説明できる

  • 「大口預金者ほどリスクが大きい」ことを、集中リスクの構造として説明できる

  • 小口預金をセグメントでまとめて扱える理論的根拠と、その前提が壊れる場面を説明できる

  • LCR の基本式 \(\text{HQLA} \div \text{純資金流出額}\) を書き、分子・分母が何かを言える

  • LCR の「掛け目」と NSFR の「算入率」で、数字の向きが逆になる理由を説明できる

  • 給振口座の個人預金・非付保の法人預金・金融機関からの調達で、流出率が大きく違う理由を説明できる

  • 1,300万円の給振口座を、2つの区分に分けて流出額を計算できる

  • 「NSFR はまず満期を見る、LCR はまず預金者を見る」の意味を説明できる

  • LCR が信金に直接適用されない理由と、それでも参照する理由の両方を説明できる

  • 平常時とストレス時で別の流出率セットを使うべき理由を説明できる

  • ρ(相関係数)が何を表し、なぜ「正しいρ」が決められないのかを説明できる

  • 自金庫の流出率の前提が、ALM のコア預金の前提と矛盾していないか点検する手順を言える

  • VaR が「絶対にこれを超えない保証」ではないことを説明できる

  • CFP に含まれるべき要素を4つ挙げられる

  • SVB の事例が LCR の「30日」という前提に投げかけた問題を説明できる

  • 信用金庫特有の論点(系統預金・員外規制・地域集中)を、流動性リスクの文脈で説明できる


用語集

用語 意味
第一線準備(一次準備) 現金・日銀預け金・要求払い預け金など、その場で支払いに充てられる資産
第二線準備(二次準備) 国債等・コールローンなど、短期間で確実に換金できる資産
第一線準備率 \(\text{第一線準備} \div \text{預金等}\)
第二線準備率 \(\text{第二線準備} \div \text{預金等}\)
担保余力 日銀・市場に差し入れて資金化できる担保の余裕。売らずに資金化する経路(→第12巻)
LCR 流動性カバレッジ比率。30日間のストレス下で資金繰りが持つかを測る規制指標
NSFR 安定調達比率。1年間の視点で調達構造の安定性を測る規制指標
HQLA 適格流動資産。危機時でもすぐ現金化できる資産
掛け目 資産や担保の額面のうち、評価上カウントできる割合
ランオフ率(runoff rate) 一定期間に預金・調達がどれだけ流出するかを示す率(流出率)
リテール預金 個人・中小企業の預金
ホールセール調達 事業法人・金融機関からの調達・預金
付保預金 預金保険制度により(元本1,000万円+利息まで)保護される預金
決済用預金 無利息・要求払い・決済機能を持つ、全額保護対象の預金
オペレーショナル預金 クリアリング・カストディ・キャッシュマネジメント目的の預金
実効残存期間 契約上の満期ではなく、実質的にいつ出ていけるかを表す期間の考え方
要求払い 預金者が請求すればその場で払い戻される預金(普通預金が典型)
中途解約権 満期前に払い戻しを請求できる契約上の権利。これがない/ペナルティが重い定期預金は動きにくい預金として扱われる
算入率 ASF・RSFの計算で、負債・資産の額面のうちカウントできる割合(NSFR版の「掛け目」)
ASF(Available Stable Funding) NSFRの分子。利用可能な安定調達額。預金はここに登場する
RSF(Required Stable Funding) NSFRの分母。所要安定調達額。貸出金や保有有価証券等、運用側の資産が該当する
系統預金 信用金庫が信金中央金庫に預け入れる、系統内の資金融通の仕組み
エクスポージャー リスクにさらされている金額(ここでは預入額)
集中リスク 少数の大口先に依存することで生じるリスク
単一ファクターモデル 個々の動きを「共通要因+個別要因」に分解し、相関を表現するモデル
相関係数(ρ) 個々の動きが共通要因にどれだけ引きずられるかを表す0〜1の値
大数の法則 独立した多数の主体の平均的行動は、個々のブレが打ち消し合い安定するという統計法則
モンテカルロ・シミュレーション 乱数を使って多数回試行し、結果の分布を推定する手法
VaR(バリュー・アット・リスク) 一定の確率でこれを超えて損失(流出)しない、という金額の目安
CreditRisk+ ポアソン分布を用い、解析的に損失分布を求める信用リスクモデル
HHI ハーフィンダール・ハーシュマン指数。市場・預金構成の集中度を表す指標
コンティンジェンシー・ファンディング・プラン(CFP) 資金繰り危機発生時の対応手順・体制をあらかじめ定めた計画
ALM Asset Liability Management。資産負債総合管理
アイディオシンクラティック・ストレス 自行固有の要因で生じる危機(他行には波及しにくい)
デジタルバンクラン SNSやモバイルバンキングの普及により、従来より急速に進行する取り付け騒ぎ

参考文献・出典


本テキストは制度理解のための教育用資料です。本文中の流出率・相関係数・金額はすべて設例用に単純化した仮の数字であり、自金庫にそのまま当てはめられるものではありません。LCR・NSFR の掛け目・算入率、預金保険の取扱い、流動性リスク管理態勢に係る監督上の着眼は、個別事情や最新の法令・監督指針により異なります。実際のモデル構築・リスク管理方針・規制対応にあたっては、自金庫のリスク管理/資金証券部門および監査法人・当局公表資料で必ずご確認ください。

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