第28巻 預金はどこへ流れるか

― ネット銀行・経済圏・信託銀行・NISAへの資金シフトを読む

対象読者:信用金庫の企画・リテール企画・資金証券・リスク管理部門の担当者。および、営業店で「最近、預金が伸びない」という実感を数字で説明したい役席の方。

ねらい:①預金の流出を「金利の問題」に矮小化せず、4つの動機に分解して読めるようになること。②主な流出先(ネット銀行、総合金融サービス型、信託銀行、証券・NISA、決済アプリ)のビジネスモデルを理解し、なぜ資金が向かうのかを説明できること。③流出を額・率・質の3つの物差しで測り、ALM・流動性・収益への効き方を数字で示せること。④対抗策を選ぶとき、やってはいけないことを先に知っておくこと。

このテキストの特徴:「デジタル化で預金が流出している」という一般論では、何も決められません。本巻は、誰が、いくら、どこへ、なぜ動いているのかを分解する道具を提供します。とくに重視するのは、額よりも質です。同じ100億円の流出でも、誰が出ていったかで意味がまったく違います。

他巻との接続:流動性リスクと預金流出の数理は →第2巻。預金を負債として管理する視点は →第13巻。コア預金と金利リスクは →第7巻第8〜9章。個人預金の実務と生活口座は →第24巻。決済インフラとチャネルは →第25巻。個人ローンは →第26巻。営業店の目標設計は →第27巻第10章。ストレステストへの反映は →第19巻。

本巻で扱わないこと:投資信託・保険の商品性そのものは扱いません(→第9巻)。個別の金融機関のサービス仕様も、陳腐化が早いため深追いしません。類型として何が起きているかに絞ります。


全体マップ(この一枚で流れがつかめます)

flowchart TD
    S["信用金庫の個人預金"]
    S --> M1["【動機①】金利<br/>もっと高い利息がほしい"]
    S --> M2["【動機②】利便性<br/>手続きが面倒でなくなった"]
    S --> M3["【動機③】経済圏<br/>ポイント・優遇の束ね売り"]
    S --> M4["【動機④】資産形成<br/>預金では増えない"]
    M1 --> D1["ネット銀行<br/>(第4章)"]
    M2 --> D1
    M2 --> D5["決済アプリ<br/>(第8章)"]
    M3 --> D2["総合金融サービス型<br/>(第5章)"]
    M4 --> D4["証券・NISA<br/>(第7章)"]
    S --> E["【最大の単発イベント】<br/>相続 → 信託銀行・都市部の子世代へ<br/>(第6章)"]
    D1 --> R["【金庫への効き方】<br/>収益・ALM・流動性<br/>(第Ⅲ部)"]
    D2 --> R
    D4 --> R
    D5 --> R
    E --> R
    style E fill:#fde,stroke:#c39
    style R fill:#def,stroke:#39c

この図の読みどころは2つあります。

第一に、動機は4つあり、金利はそのうちの1つにすぎないこと。金利だけを見ていると、金利を上げるという対抗策しか出てきません。しかし②〜④の動機で出ていく資金には、金利は効きません。

第二に、右側の「相続」だけが、動機の列を経由せずに直接つながっていること。相続は顧客の選択ではなく、必ず起きる出来事です。そして、地方の高齢者の資産が都市部の子世代へ移るとき、資金は地区の外へ出ます。信用金庫にとって最大の構造的な流出要因であり、第6章で扱います。


目次

第Ⅰ部 基礎編 ― 流出をどう捉えるか

  1. なぜ「流出」を1巻かけて扱うのか
  2. 流出の4つの動機(2-2 4つに入らない第5の要因 ― 相続)
  3. 流出を測る3つの物差し ― 額・率・質

第Ⅱ部 流出先の類型

  1. ネット銀行 ― 店舗を持たないことの経済学
  2. 総合金融サービス型 ― ポイントと束ね売り
  3. 信託銀行 ― 相続と資産承継という入口(6-4 富裕層取引はどこへ行っているか)
  4. 証券・NISA ― 「貯蓄から投資へ」が意味すること
  5. 決済アプリ ― 少額だが件数が多い

第Ⅲ部 分析編

  1. 【設例】流出は収益をどう削るのか
  2. 流出の「質」を分解する
  3. ALM・流動性への効き方 ― コア預金の再推計

第Ⅳ部 対応編

  1. 対抗の選択肢 ― 4つの動機に1つずつ答える
  2. やってはいけないこと ― 金利競争の罠
  3. 何を守り、何を諦めるか(14-2 【設例】「若年層に力を入れない」という経営判断は持続するか)

第Ⅴ部 比較編

  1. 地域銀行ならどうか/国際的な位置づけ

第Ⅵ部 まとめ

  1. 実務での留意点
  2. つまずきやすいポイント総まとめ/セルフチェック/用語集/参考文献

第Ⅰ部 基礎編 ― 流出をどう捉えるか

1. なぜ「流出」を1巻かけて扱うのか

第2巻では、危機時の預金流出を扱いました(→第2巻)。突然の信用不安によって、短期間に大量の預金が引き出される事態です。本巻が扱うのは、それとは違います。

平時に、静かに、しかし継続的に起きる流出。

こちらのほうが、多くの信用金庫にとっては現実的な問題です。理由は3つあります。

第一に、気づきにくい。 危機時の流出は誰の目にも明らかですが、平時の流出は「今年は預金が少し伸び悩んだ」という形でしか現れません。しかも、地区の人口減少や高齢化による自然減と混ざるため、何が起きているのかが分からないまま数年が過ぎます。

第二に、戻らない。 危機時の流出は、信用が回復すれば戻ることがあります。しかし、生活口座を他行に移した顧客は戻りません。口座振替を移し替える手間を、二度は払わないからです(→第24巻第10章)。

第三に、質の悪い順に出ていく ― とは限らない。 ここが最も厄介です。直感的には「金利に敏感な資金から出ていく」と思いがちですが、実際には若く、収入があり、金融リテラシーが高い層が先に動きます。つまり、将来の主要顧客から先に失うのです。

⭐ポイント⭐:「危機の流出は音を立てて起き、平時の流出は音もなく積み上がる」。

担当者の心得:預金残高の前年比だけを見ていても、流出は見えません。見るべきは、①口座数の増減、②年齢階層別の残高の推移、③新規口座の稼働率、④解約の理由です。とくに③と④は、意識してデータを取らなければ手元に残りません。取っていないデータは、分析できません。

2. 流出の4つの動機

「なぜ預金が出ていくのか」を、4つに分解します。この分解が本巻の骨格です。

動機 顧客の言い分 主な行き先 金利で対抗できるか
①金利 「あちらのほうが利息がつく」 ネット銀行、他行のキャンペーン できる(ただし高くつく。→第13章)
②利便性 「アプリで全部できる」「窓口に行かなくていい」 ネット銀行、決済アプリ できない
③経済圏 「ポイントがたまる」「まとめると優遇される」 総合金融サービス型 できない
④資産形成 「預金では増えない」 証券、NISA、投信 できない(そもそも預金に留める話ではない)

4つのうち、金利で対抗できるのは1つだけです。 これが本巻の出発点です。

2-1. 動機は重なる

実務では、この4つは独立ではなく重なって現れます。

flowchart LR
    A["きっかけ:<br/>①金利の高さ<br/>(ネット銀行の口座を作る)"] --> B["②利便性を知る<br/>アプリが使いやすい"]
    B --> C["③その経済圏に入る<br/>ポイント・優遇"]
    C --> D["④その中で投資も始める<br/>証券口座の連携"]
    D --> E["【結果】<br/>生活口座が移る<br/>= 戻らない流出"]
    style E fill:#fde,stroke:#c39

入口は金利でも、出口は生活口座の喪失です。 「金利につられて少額を動かしただけ」と軽く見ていると、数年後に給与振込ごと失うことになります。第24巻で見たとおり、生活口座かどうかで1口座あたりの収益は黒字と赤字を行き来します(→第24巻第7章)。

💡 ここでつまずきやすい:「流出額」だけを見ると、この連鎖が見えない

誤解:去年の流出は3億円だった。金庫全体の預金3,000億円からすれば0.1%であり、心配するほどではない。

正しい理解:3億円が「若年層の生活口座の移行の初期段階」であれば、その3億円は将来の数十億円の喪失の先行指標です。逆に、3億円が「高齢者が定期の満期に金利の高い他行へ一時的に移した」ものであれば、意味はまったく違います。同じ3億円でも、誰がどういう動機で動かしたかで、将来の意味が変わる ― これが第3章の「質」の話です。

2-2. 4つに入らない、第5の要因 ― 相続

ただし、この4つには入らない、5つめの要因があります。

要因 顧客の言い分 主な行き先 金利で対抗できるか
⑤相続・資産承継 (顧客に言い分はない) 相続人の取引金融機関、信託銀行 できない

①〜④が顧客の選択であるのに対し、⑤は顧客が選んだ結果ではありません。誰も金庫に不満を持っていなくても、必ず起きます。そして、信用金庫にとっては金額として最大の流出要因になりえます(→第6章)。

本巻が4つの動機を骨格に置きながら、第6章で相続を独立して扱うのは、この性格の違いによります。①〜④は「選ばれ続けるための努力」の問題であり、⑤は「必ず起きることへの備え」の問題です。対抗策の議論(第Ⅳ部)でも、この2つは分けて考えてください。

3. 流出を測る3つの物差し ― 額・率・質

流出を測る物差しは3つあり、この順に重要度が上がります。

物差し 何を見るか 分かること 限界
①額 減った金額 規模感 自然減(人口・高齢化)と区別できない
②率 残高に対する流出の割合。層別の流出率 層ごとの比較ができる なぜ出たかは分からない
③質 誰が、どういう取引を、どこへ 将来の意味、打ち手 意識してデータを取らないと分からない

3-1. 質を測るための3つの切り口

切り口 何を見るか 読み方
年齢階層 どの世代が動いているか 若年層の流出は額は小さいが将来の損失は大きい。高齢層の流出は額が大きいが一過性のこともある
残高階層 大口か小口か 大口の流出は流動性に効く(→第2巻第3章)。小口の多数の流出は顧客基盤の侵食
取引種類 定期の満期解約か、生活口座ごとの移行か 給与振込・口座振替が一緒に消えた口座は、戻らない(→第24巻第10章)

とくに3つ目が決定的です。次の2つを区別してください。

流出の型 内容 戻るか
資金の移動 定期の満期に、より高い金利の他行へ資金だけを移す。口座は残る 戻りうる(金利環境が変われば)
口座の移行 給与振込・口座振替ごと他行へ移す。自金庫の口座は未稼働になる ほぼ戻らない

⭐ポイント⭐:「資金は戻ることがあるが、生活は戻らない」。

担当者の心得:流出の分析で最初にやるべきは、「口座振替の本数が減った口座」を抽出することです。残高の減少より早く、この指標が動きます。口座振替が2本から0本になった口座は、残高がまだ残っていても、すでに失われつつある口座です。第24巻第12章のメイン化指標は、獲得のためだけでなく、流出の早期警戒にも使えます。

ここまでの筋(3行)

① 本巻が扱うのは危機時の流出ではなく、平時に静かに積み上がる流出である。気づきにくく、戻らず、質の良い層から先に動く。

② 流出の動機は4つ(金利・利便性・経済圏・資産形成)あり、金利で対抗できるのは1つだけである。さらに、顧客の選択によらない第5の要因として相続がある。

③ 測る物差しは額・率・質の3つ。最も重要なのは質であり、「資金の移動」と「口座の移行」を区別することが出発点になる。


第Ⅱ部 流出先の類型

4. ネット銀行 ― 店舗を持たないことの経済学

4-1. なぜ金利を高くできるのか

「ネット銀行は預金金利が高い」ことは誰でも知っていますが、なぜ高くできるのかを説明できる人は多くありません。答えは経費構造にあります。

店舗を持つ金融機関 ネット専業銀行
店舗 賃借料・警備・什器・現金 ほぼゼロ
ATM 自前で設置・維持(→第25巻第7章) 持たない。提携ATMの代行手数料を払う
人員 窓口・渉外・後方事務 少ない。顧客対応はコールセンターとチャットが中心
1口座あたりの経費 高い 低い
1顧客あたりの獲得コスト 渉外・店頭 広告・比較サイト経由

第24巻第7章で、1口座の年間維持コストを1,500円と置きました。ネット専業ならこれが大幅に低くなります。その差の一部を預金金利に回せば、店舗を持つ金融機関より高い金利を提示できます。 高い金利は気前の良さではなく、経費構造の差の分配です。

⭐ポイント⭐:「ネット銀行の金利は、店舗を持たないことの配当である」。

4-2. だから、金利で正面から戦うと必ず負ける

ここが重要な帰結です。構造的に経費率が違う相手と、金利で競争することはできません。

信用金庫 ネット専業
経費率(OHR) 高い(→第3巻第6章) 低い
金利を0.1%上げたときの負担 重い 軽い
さらに上げられるか 限界がある こちらが上げれば追随できる

金利競争は、経費率の低い側が必ず勝つゲームです。だから、信用金庫が取るべき戦略は「金利で勝つ」ではありません(→第13章)。

4-3. ネット銀行にできないこと

一方で、ネット専業には構造的にできないこともあります。ここが対抗の起点になります。

ネット専業が苦手なこと 理由
相続の手続き 対面での説明、書類の受渡し、家族との調整が必要(→第24巻第19章)
高齢者・判断能力に不安のある顧客への対応 意思確認、代理人、後見(→第24巻第21章)
事業性の与信 現地を見る、経営者と話す(→第21巻)
地域の情報 地区の実態、人のつながり
困ったときに人が出てくること 苦情、トラブル、複雑な相談(→第27巻第12章)

担当者の心得:ネット銀行との比較で「うちは金利で負けている」という議論が出たら、「では、どこで勝っているのか」を具体的に言えるかを問うてください。「地域密着」という言葉だけでは足りません。相続の手続きに何日で対応できるか、高齢の顧客に訪問できるか、事業のことを分かって話せるか ― 具体的な業務で答えられなければ、それは勝っていないということです。

5. 総合金融サービス型 ― ポイントと束ね売り

5-1. 何が起きているか

近年、大手銀行グループを中心に、銀行口座・クレジットカード・デビット・ポイント・証券・保険を1つのアプリとブランドに束ねたサービスが広がりました。三井住友銀行が2023年に開始した「Olive」は、その代表例として広く知られています。1つのアプリの中で、支払方法(クレジット/デビット/口座からの即時払い/ポイント払い)を切り替えられ、利用に応じてポイントが付き、グループの証券口座やカードと連携する、といった設計です。

個別のサービス仕様は変化が速いので、ここでは類型としての構造を押さえます。

flowchart TD
    A["1つのアプリ・1つのIDに束ねる"] --> B["銀行口座"]
    A --> C["クレジット/デビット"]
    A --> D["ポイント"]
    A --> E["証券・投資"]
    A --> F["保険・ローン"]
    B --> G["【顧客にとっての価値】<br/>①手間が減る<br/>②ポイントがたまる<br/>③まとめるほど優遇される"]
    C --> G
    D --> G
    E --> G
    F --> G
    G --> H["【提供者にとっての価値】<br/>決済が集まる<br/>= 口座が生活口座になる<br/>= 他へ移れなくなる"]
    style H fill:#fde,stroke:#c39

5-2. 本質は「金利」ではなく「囲い込み」

この類型の要点は、預金金利で顧客を引きつけているのではないということです。引きつけているのは、次の3つです。

引きつけるもの 内容
ポイント 決済に応じて還元される。実質的な値引きだが、現金の値引きより印象に残りやすい
束ねることの優遇 給与振込があれば、投資をしていれば、条件を満たすほど手数料が無料になる、還元率が上がる
手間の削減 1つのアプリで完結する。別々の金融機関を使う理由がなくなる

そして、いったん決済が集まると、その口座は生活口座になります。第24巻第10章で見たとおり、決済が通る口座には資金が滞留し、平均残高が積み上がります。ポイント経済圏の狙いは、預金金利を払わずに生活口座を獲得することにあります。

⭐ポイント⭐:「金利は毎年払い続けなければならないが、利便性は一度作れば効き続ける」。

5-3. 信用金庫にとっての意味

この類型に、信用金庫が同じ土俵で対抗することは現実的ではありません。理由は明確です。

必要なもの 信用金庫の状況
大規模なポイント原資 収益規模から見て困難
グループ内の証券・カード・保険 持たない(提携で補う。→第26巻第13-3節)
大規模なアプリ開発 共同システムの仕様に制約される(→第25巻第17-1節)
全国規模の加盟店網 持たない

したがって、同じことをやろうとしてはいけません。ただし、この類型から学ぶべき原理はあります。「決済が集まる口座は動かない」という原理です。これは規模を問わず成り立ちます。信用金庫にできるのは、ポイントではなく、口座振替・給与振込・年金受取という古典的な手段で同じ状態を作ることです(→第24巻第Ⅲ部)。

担当者の心得:経済圏型のサービスと比べて「うちにはポイントがない」と嘆く前に、自金庫の顧客のうち、口座振替が3本以上付いている口座がどれだけあるかを数えてください。ポイントの目的は決済を集めることであり、決済が集まっているなら、目的はすでに達成されています。手段の不足を嘆く前に、目的の達成度を測る。

6. 信託銀行 ― 相続と資産承継という入口

6-1. なぜ信託銀行が流出先になるのか

信託銀行は、預金金利で顧客を集めているわけではありません。入口は相続と資産承継です。

信託銀行が提供するもの 内容
遺言信託 遺言書の作成の助言、保管、遺言執行
遺産整理業務 相続手続きの一切を代行する
贈与に関する信託 生前贈与を計画的に行うための仕組み
判断能力の低下に備える信託 本人の判断能力が低下した後の財産管理
資産運用・不動産 承継後の資産の運用、不動産の処分・活用

これらは、高齢の資産家が「相続をどうするか」を考え始めたときに必要になるサービスです。そして、この相談を受けた金融機関に、相続の前後を通じて資産が集まります。

6-2. 相続は、信用金庫にとって最大の構造的な流出要因

第24巻第19章で、相続の実務を扱いました。ここでは、資金の流れとして相続を見ます。

flowchart TD
    A["地区に住む高齢の預金者<br/>(信用金庫のメイン顧客層)"] --> B["相続の発生"]
    B --> C["相続人 = 子世代<br/>多くは都市部に居住<br/>すでに他の金融機関と取引がある"]
    C --> D["相続した資金は<br/>子世代の取引金融機関へ<br/>= 地区の外へ出る"]
    B --> E["生前に相談していた場合<br/>信託銀行・大手行に<br/>資産が集約されている"]
    E --> D
    style D fill:#fde,stroke:#c39

これは顧客の不満によって起きる流出ではありません。 誰も金庫に不満を持っていなくても、確実に起きます。しかも、信用金庫の顧客層は高齢者に偏っているため、金額としては最大級の流出要因になります。

さらに厳しいのは、この流出には地区の制約が直接に効くことです。相続人が都市部に住んでいれば、信用金庫は地区外のその人と取引を続けることが原則としてできません(→第16巻第10章)。地域銀行なら追える顧客を、信用金庫は追えないのです。

6-3. それでも打てる手はある

打ち手 内容
生前に接点を持つ 相続が起きてからでは遅い。元気なうちに相談を受ける(→第24巻第21章の代理人届・後見の案内はその入口)
相続の手続きで信頼される 手続きが丁寧で早ければ、相続人は「この金庫は良かった」と記憶する。次の接点の可能性が残る
地区内の相続人を確実に押さえる 相続人全員が地区外とは限らない。地区内に住む相続人との関係を作る
提携でサービスを補う 遺言信託等を自ら提供できなくても、信託銀行等との業務提携で対応する例がある

💡 ここでつまずきやすい:相続の手続きの丁寧さは「事務品質」ではなく「営業」である

誤解:相続手続きは事務部門の仕事であり、丁寧にやるべきなのは事故防止のためだ。

正しい理解:相続手続きは、遺族が複数の金融機関を同時に比較する数少ない機会です。ある金庫は書類の説明が明確で1回の来店で済み、別の銀行は何度も呼び出される ― 遺族はこの差を鮮明に覚えます。相続手続きの品質は、そのまま次の取引の可能性を決めます(→第24巻第20章の法定相続情報一覧図の案内は、その具体的な一手です)。

6-4. 相続を待たずに出ていく ― 富裕層取引はどこへ行っているか

第6-2節は「相続が起きたときに出ていく」話でした。しかし実務では、相続よりずっと手前で、資産の大きい先が静かに移っているという現象があります。ここは、流出の議論で最も見落とされる部分です。

何が起きているか。 資産規模が一定を超えた個人 ― 地区の地主、医療法人の理事長、事業を承継させようとしている経営者 ― は、ある時期から預金の置き場所ではなく、資産全体の相談相手を探し始めます。そして、その相談は信託銀行・大手行・証券会社の資産管理部門(いわゆるプライベートバンキング/ウェルスマネジメント)に持ち込まれることが多い。

なぜ、信用金庫ではなく、そちらへ行くのか。 顧客の側に不満があるからではありません。求めている相談の中身が、金庫の商品ラインナップの外にあるからです。

顧客が相談したいこと 信用金庫で完結するか
相続税がいくらかかり、どう減らせるか 税務は専門外。税理士との連携が要る
不動産をどう組み替えるか、資産管理会社を作るべきか 不動産・法務の専門知識が要る
自社株の承継、後継者がいない場合のM&A 事業承継の専門部署の有無による(→第22巻第15章)
遺言をどう残し、誰が執行するか 遺言信託・遺産整理は信託業務。自ら提供できるとは限らない
金融資産をどう分散して運用するか 取扱商品の幅が限られる(→第9巻)

そして、相談の受け皿になった先に、預金も集まります。 これが「相続を待たずに出ていく」の中身です。しかも出ていく1件あたりの金額が大きいため、額としては効きます。

さらに厄介なのは、この層が抜けると、残高の集中度が変わることです。大口の預金者が減れば、預金の集中リスクは下がる方向にも見えますが、実際には残った大口先への依存度が上がることのほうが多い(→第2巻第3章、第13巻第10章)。流動性の観点からも、富裕層の動向は追う価値があります。

それでも打てる手はあります。 ここでの現実的な線引きは、第22巻第15章の本業支援と同じです。

できること 内容
相談の入口を取る 商品を売る前に、「今どういうことをお考えですか」を先に聞く。相談は、先に聞いた側に集まります
専門家につなぐ 税理士・弁護士・信託銀行等との提携。自ら提供できないことを、つなぐ形で提供する
法人取引と切り離さない 事業性取引の主力先の経営者は、そのまま富裕層です。法人の担当者と個人の担当者が別々に動いていることが、最大の取りこぼしの原因になります
何を諦めるかを決める 高度な資産運用で大手と競うことは現実的でない。競わない領域を決めることも戦略です(→第14章)

💡 ここでつまずきやすい:「富裕層向けの取組みは、規模の大きい金融機関の話だ」

誤解:プライベートバンキングのような世界は、信用金庫には縁がない。

正しい理解:縁がないのは商品であって、顧客ではありません。 その富裕層は、いま自金庫の取引先の経営者であり、地区に住む地主です。すでに取引はあるのです。問題は、取引はあるのに、資産全体の相談相手にはなれていないという点にあります。

そして相談相手の座を失う瞬間は、たいてい「相続対策のご相談はありませんか」と聞かなかった数年間の積み重ねです。商品がないことより、聞いていないことのほうが、失う理由として大きい。

担当者の心得:自金庫の預金を年齢階層別に集計してみてください。多くの信用金庫では、70歳以上が過半を占めます。その残高の相当部分は、今後10〜20年のあいだに、相続を通じて必ず動きます。これは予測ではなく、避けられない事実です。この事実を前提に置かない中期計画は、現実的ではありません。

7. 証券・NISA ― 「貯蓄から投資へ」が意味すること

7-1. 何が起きたか

長く「貯蓄から投資へ」が政策目標として掲げられてきましたが、制度の拡充とともに、実際に個人の資金が投資へ動く流れが強まりました。少額投資非課税制度(NISA)の恒久化・拡充がその中心にあります。

信用金庫にとって、これは2つの意味を持ちます。

意味 内容
①預金からの流出 投資に回った資金は、預金から出ていく
②手数料収益の機会 自金庫で投信を扱えば、役務取引等収益になる(→第9巻、第3巻第4章)

つまり、流出でもあり機会でもあるという両義的な現象です。ここが他の流出先と違う点です。

7-2. しかし、機会になるとは限らない

問題は、投資の受け皿として選ばれるのがネット証券であることが多いことです。

対面の金融機関 ネット証券
取扱商品 限られる 圧倒的に多い
手数料 相対的に高い 極めて低い、または無料
情報 担当者からの説明 自分で調べる
顧客層 相談したい層 自分で決める層(若年・現役世代が多い)

第26巻・第27巻で見た構造がここにも現れます。自分で決められる顧客は、コストの低いほうへ行きます。 そして、自分で決められる顧客ほど、資産形成の額も大きくなりがちです。

さらに厄介なのは、証券口座への入金経路です。ネット証券への入金は、多くの場合、ネット銀行との連携で行われます。すると、投資を始めた顧客が、その入金のためにネット銀行の口座を作り、やがて生活口座がそちらへ移る ― 第2-1節で見た連鎖が起きます。

⭐ポイント⭐:「投資への流出は、投資だけの流出では終わらない」。

7-3. 信用金庫はどう向き合うか

ここでの規律は、第9巻・第27巻で述べたことと同じです。

やるべきこと やってはいけないこと
相談したい層に、丁寧に説明して提供する 販売額を目標にする(回転売買を招く。→第27巻第10章)
顧客の年齢・資金の性格に照らして適合性を判断する 定期預金の満期資金を、生活資金かどうか確認せずに投信へ誘導する
コスト(信託報酬等)を分かるように示す(→第9巻第3-1節) 手数料の高い商品を優先する
預かり資産残高とその増減で評価する 販売額だけで評価する

担当者の心得:「投信を売れば流出を収益に変えられる」という発想は、半分正しく、半分危険です。正しいのは、顧客が投資を望んでいるなら、自金庫で対応するほうがよいという点。危険なのは、流出を止める手段として投信販売を推進するという発想です。後者は、目標の設計を通じて必ず顧客本位から離れます(→第27巻第11章)。

8. 決済アプリ ― 少額だが件数が多い

最後に、金額としては小さいが、接触頻度としては最大の流出先を扱います。

コード決済などのスマホ決済アプリは、①銀行口座からのチャージ、②クレジットカード経由、③後払いなどによって資金を取り込みます。①の場合、チャージされた資金は預金口座から出て、決済事業者の側に滞留します(資金移動業者等の枠組みについては →第25巻第8-1節)。

論点 内容
金額 1回あたりは数千円。滞留額も小さい
件数と頻度 極めて多い。日常のあらゆる支払いに使われる
顧客の意識 「決済といえばこのアプリ」という状態が生まれる
金庫への影響 直接の残高流出は小さいが、決済が自金庫の口座を通らなくなる

第24巻第10章の設例を思い出してください。平均残高を作っていたのは、決済のために滞留する資金でした。決済がアプリを経由するようになると、その滞留が細ります。金額の小さな流出が、平均残高という形で効いてくるわけです。

一方で、対抗の手がかりもあります。チャージの原資は、結局どこかの銀行口座から出ています。チャージ元の口座であり続けること、そして少額送金の手段を提供すること(→第25巻第6章のことら送金)は、現実的な打ち手です。

担当者の心得:決済アプリを「敵」と見るか「経路」と見るかで、打ち手が変わります。チャージ元口座として選ばれ続けるなら、資金は自金庫を経由し続けます。すべてを自金庫で完結させることを目指すのではなく、経路のどこかに必ずいるという発想のほうが、規模の小さい金融機関には現実的です。

ここまでの筋(3行)

① ネット銀行の高い金利は経費構造の差の分配であり、金利競争は経費率の低い側が必ず勝つ。対抗の起点は、ネット専業にできないこと(相続・高齢者対応・事業性・地域)にある。

② 総合金融サービス型の本質は金利ではなく囲い込みであり、狙いは「金利を払わずに生活口座を得ること」。同じ土俵に乗る必要はないが、決済が集まる口座は動かないという原理は規模を問わず使える。

③ 相続は顧客の不満によらず必ず起き、地区の制約により信用金庫は相続人を追えない。最大の構造的流出要因であり、生前の接点と手続きの品質が唯一の打ち手である。


第Ⅲ部 分析編

9. 【設例】流出は収益をどう削るのか

「預金が減ると困る」ことは分かっていても、いくら困るのかを計算した経験のある人は多くありません。手を動かします。すべて単純化した仮の数字です。

前提:設例金庫

本シリーズで共通に用いている設例金庫(→第5巻第11章、第19巻)の姿を、預金の側から描きます。

項目 金額
総資産 5,000億円
預金残高 4,500億円(うち個人預金 3,000億円)
貸出金 2,000億円(事業法人向け1,000億円、住宅ローン1,000億円)
有価証券 2,000億円(うち国債1,500億円。平均利回り 1.2%)
日銀当座預金・信金中金への預け金など 800億円(平均利回り 0.1%)
コア資本 160億円
リスクアセット 2,400億円
自己資本比率 6.67%
個人預金の平均コスト 0.05%
実効税率 30%

注:総資産・貸出金・有価証券・コア資本・リスクアセット・自己資本比率は、第5巻第11章以降でシリーズ共通に用いている設例金庫の数値です(→第5巻第11章、第19巻)。本巻ではこれに、預金の内訳(個人預金3,000億円)と調達コストを補って使います。

シナリオ:個人預金の2%にあたる60億円が、1年間で流出した。流出したのは流動性預金(コスト0.02%)とし、埋め方の違いによる比較を見やすくするため、ケースA〜Cでは平均コスト0.05%で、ケースDでは実際の0.02%で計算します(この前提の置き方自体が結論に効く点は、後の読みどころで扱います)。

この60億円を「何で埋めるか」で、痛みがまったく変わる

ケースA:余裕資金(日銀当座預金・預け金)を取り崩す

項目 計算 金額
失う運用収益 60億円 × 0.1% ▲600万円
減る預金利息 60億円 × 0.05% +300万円
税引前の減益 ▲300万円
税引後 ▲210万円

痛みは驚くほど小さい。 余裕資金があるうちは、流出は損益にほとんど現れません。これが、流出への対応が遅れる最大の理由です。

ケースB:余裕がなくなり、有価証券を売却して充当する

項目 計算 金額
失う運用収益 60億円 × 1.2% ▲7,200万円
減る預金利息 60億円 × 0.05% +300万円
税引前の減益 ▲6,900万円
税引後 ▲4,830万円

さらに、売却する債券に含み損があれば、売却損が実現します(→第1巻)。含み損率を2%とすると、

項目 計算 金額
売却損 60億円 × 2% 1億2,000万円
税引後のコア資本の減少 1億2,000万円 × (1−30%) 8,400万円
コア資本 160億円 → 159億1,600万円
自己資本比率 159.16億円 ÷ 2,400億円 6.63%(▲0.04ポイント)

この計算の前提:ここではリスクアセットを2,400億円のまま据え置いています。売却する有価証券のリスクウェイトを0%(国債等)と仮定しているためです。もし売却するのが社債やファンドであれば、資産が減った分だけリスクアセットも減り、分母の減少が分子の減少を一部打ち消します(→第5巻第9章、第9巻第9〜10章)。「含み損のある資産を売ると自己資本比率が必ず下がる」とは限らない ― 分子と分母の両方が動くことを忘れないでください。この非対称は第1巻の損切りの議論そのものです(→第1巻第22章)。

ケースC:市場調達(信金中金からの借入、コール等)で埋める

項目 計算 金額
追加の調達コスト 60億円 × (0.6% − 0.05%) ▲3,300万円
税引後 ▲2,310万円

損益への影響は中間ですが、調達構造は悪化します。市場性調達は個人預金より粘着性が低く、危機時には真っ先に細ります(→第12巻第5章、第2巻)。

ケースD:金利を上げて預金を集め直す(最も見落とされる)

流出した60億円は、コスト0.02%の流動性預金でした。これを埋めるため、金利0.5%のキャンペーン定期で60億円を集めたとします。

項目 計算 金額
失った流動性預金の利息 60億円 × 0.02% +120万円
新たに集めた定期の利息 60億円 × 0.5% ▲3,000万円
税引前の減益 ▲2,880万円
税引後 ▲2,016万円
預金残高 4,500億円 → 4,500億円 変わらない

まとめ

ケース 埋め方 税引後の減益 残高の見え方
A 余裕資金を取り崩す ▲210万円 減る
B 有価証券を売る ▲4,830万円(+コア資本▲8,400万円) 減る
C 市場調達で埋める ▲2,310万円 減らない(負債の中身が変わる)
D 金利を上げて集め直す ▲2,016万円 1円も減らない

読みどころ

論点 読み方
痛みは流出額ではなく「何で埋めたか」で決まる 同じ60億円の流出でも、AとBでは減益額が23倍違う
余裕があるうちは痛くない。だから気づかない ケースAで数年が過ぎ、余裕が尽きた年に突然ケースBになる。痛みが階段状に来る
ケースDは残高では検出できない 「預金は減っていません」という報告の裏で、調達コストだけが上がっている。残高だけを見る管理では見えない
含み損のある局面では、流出は自己資本にも効く ケースBの経路は、第19巻の複合シナリオ(金利上昇 × 流出 × 含み損)そのもの(→第19巻第5章)
前提の置き方が結論に効く 「出ていった預金のコストをいくらと見るか」で減益額は変わる。安い流動性預金が出て高い定期で埋めたのがケースDであり、同じ額の流出でも、出た預金と入れた預金のコスト差こそが損失の実体である

⭐ポイント⭐:「預金が減ったことより、預金を何で埋めたかを見る」。

担当者の心得:預金の月次報告に、残高だけでなく「平均調達コスト」を必ず併記してください。ケースDは、この2つを並べて初めて見えます。残高が横ばいでコストが上がっているなら、それは流出が起きていて、金利で埋めているという信号です。

10. 流出の「質」を分解する

第3章で述べた「質」を、具体的な集計の形にします。すべて単純化した仮の数字です。第9章の60億円の流出を、年齢階層で分解します。

前提

第24巻第7章で、生活口座になった個人口座の年間収益を税引後1,428円、生活口座でない口座を税引後▲252円と計算しました。その差1,680円が、1口座を失うことによる年間の逸失利益です。ここでは保守的に、生活口座を失った場合の逸失利益を年1,428円として計算します。

年齢階層 流出額 流出した口座数 うち生活口座の喪失を伴うもの 想定される残りの取引年数
20〜30代 6億円 300口座 80%(240口座) 30年
40〜50代 14億円 200口座 50%(100口座) 20年
60代以上 40億円 150口座 20%(30口座) 10年
合計 60億円 650口座 370口座 ―

将来の逸失利益(税引後、単純累計)

年齢階層 計算 逸失利益
20〜30代 240口座 × 1,428円 × 30年 1,028万円
40〜50代 100口座 × 1,428円 × 20年 286万円
60代以上 30口座 × 1,428円 × 10年 43万円
合計 1,357万円

額と将来価値の対比

年齢階層 流出額のシェア 将来の逸失利益のシェア
20〜30代 10% 76%
40〜50代 23% 21%
60代以上 67% 3%

読みどころ

金額では60代以上が3分の2を占めるのに、将来価値の喪失では20〜30代が4分の3を占めます。 額だけを見ていれば、対策は高齢層に向かいます。将来価値を見れば、対策は若年層に向かうべきだという結論になります。

論点 読み方
額と質は逆を向くことがある 「どこから多く流出したか」と「どこを守るべきか」は同じではない
高齢層の流出は多くが一過性または相続 金利で一時的に移った資金は戻りうる。相続は止められない(→第6章)
若年層の流出は口座の移行を伴う ほぼ戻らない。しかも取引年数が長いため、逸失利益が積み上がる
将来価値の計算には仮定が多い 1,428円という単価も、30年という期間も仮定。だからこそ、仮定を明示して議論する

この計算の前提:逸失利益は現在価値に割り引かない単純累計です。30年分を割り引かずに足しているため、20〜30代の金額は過大に出ます。ただし本表の目的は絶対額ではなく階層間の比較にあり、割引率を一律に当てれば長期の層ほど強く割り引かれる一方、それでも20〜30代のシェアは最大のままです(取引年数を30年ではなく15年としても順位は変わりません)。割引を入れるべきなのは、この数字を投資判断の金額として使うときです。同じ扱いは →第24巻第15章、→第26巻第6章 でも用いています。

💡 ここでつまずきやすい:将来価値の計算は「精密な予測」ではない

この種の計算に対して、「30年後のことは分からない」「1,428円という前提が恣意的だ」という批判が必ず出ます。もっともです。しかしこの計算の目的は、将来を正確に予測することではありません。「額の大きい順に対策を打つ」という直感を、いったん疑わせることです。

仮定を変えて計算し直せば、結論の頑健さも分かります。仮に取引年数を30年ではなく15年としても、20〜30代のシェアは依然として最大です。結論が仮定に対して頑健かどうかを確かめる ― これは第19巻のストレステストの作法(→第19巻第3章)と同じです。

担当者の心得:流出の分析資料には、必ず年齢階層別の集計を入れてください。多くの金庫の預金統計は、残高階層別か商品別で作られており、年齢別になっていません。しかし、年齢は将来の取引年数の代理変数であり、質を測るうえで最も重要な軸です。集計軸を1つ追加するだけで、議論の質が変わります。

11. ALM・流動性への効き方 ― コア預金の再推計

11-1. モデルは過去の摩擦を前提にしている

第7巻で扱ったコア預金モデルは、過去の残高の推移から「引き出されずに滞留する部分」を推計します(→第7巻第8〜9章)。第24巻第11章で述べたとおり、この推計には根本的な限界があります。

過去のデータは、過去の摩擦を前提にしている。

かつて口座を移すには、窓口へ行き、印鑑を押し、口座振替の変更届を何枚も書く必要がありました。その摩擦が、預金を動かなくしていた部分は決して小さくありません。いまはスマホで口座が開き、Web受付で口座振替が切り替わり(→第24巻第8-1節)、24時間いつでも振込ができます(→第25巻第4-1節)。

摩擦が減れば、粘着性は下がります。 ところが、過去のデータで推計したモデルは、この変化を織り込みません。流出が始まってから、モデルが追いつくという順序になります。

11-2. どう対応するか

対応 内容
①口座属性をモデルに入れる 残高の推移だけでなく、口座振替の本数・給与振込の有無・年齢を説明変数として使う。なぜ動かないのかの理由が入ったモデルは、どこが壊れるかも教えてくれる
②推計期間の見直し 摩擦が大きかった時代のデータを長く含めていないか。期間の取り方が結論を左右する
③保守的なシナリオの併用 中心的な推計とは別に、粘着性が大きく低下したケースを置く(→第19巻第4章)
④早期警戒指標の設定 残高より早く動く指標を監視する。口座振替の本数が減った口座の件数、若年層の口座数、新規口座の稼働率(→第3-1節)

11-3. 流動性リスクへの接続

第2巻で扱った流出率の想定(→第2巻第3章)にも、同じ論点が及びます。個人預金は、①ほぼ全額が付保の範囲内で、②生活に結びついている ― という理由で、最も低い流出率が当てられます。この理由づけ自体は正しく、国際的にも同じ整理です(→第24巻第24-2節)。

しかし、「低い」の中身が変わりうるという点は、注記されるべきです。とくに、

  • 若年層の預金は、生活に結びついているとは限らず、動かす手段も持っている
  • 付保の範囲内であっても、金利差が広がれば動く(危機ではなく損得で動く)

これらを、層別の流出率として扱えるかどうかが、流動性管理の精度を分けます。

担当者の心得:ALM委員会に「コア預金比率を引き下げるべきではないか」と提起するのは、勇気の要ることです。引き下げれば金利リスク量(ΔEVE)が増え、リミットに近づくからです(→第7巻第10章)。しかし、現実の粘着性が下がっているのに、モデルだけが高い比率を維持している状態は、リスクを小さく見せているだけです。第7巻でも述べたとおり、同じ預金に都合よく別の前提を置いていないかを点検してください(→第7巻第13章)。

ここまでの筋(3行)

① 流出の痛みは額ではなく何で埋めたかで決まる。余裕資金があるうちは痛くないため、対応が遅れて階段状に痛みが来る。

② 金利を上げて集め直すケースは、残高が1円も減らないまま減益になる。残高と平均調達コストを併記して初めて見える。

③ 額では高齢層が大半でも、将来価値の喪失では若年層が大半を占めうる。額の大きい順に対策を打つ直感を疑う。


第Ⅳ部 対応編

12. 対抗の選択肢 ― 4つの動機に1つずつ答える

第2章の4つの動機に、1つずつ答えを対応させます。動機ごとに有効な手段が違うというのが、本章の主張です。

動機 有効な手段 有効でない手段
①金利 対象を絞った条件付きの優遇(年金受取指定、給与振込、取引年数)。→第24巻第15章 一律の金利引上げ(→第13章)
②利便性 アプリ、Web口座振替受付、eKYC、少額送金への参加(→第25巻第6章・第9章) 金利。研修。精神論
③経済圏 口座振替・給与振込・年金受取という古典的な手段で、同じ状態を作る(→第24巻第Ⅲ部) ポイント制度の模倣
④資産形成 相談したい層に、顧客本位で提供する(→第9巻、第27巻第11章) 販売額を目標にした推進
(相続) 生前の接点と手続きの品質(→第6-3節、第24巻第Ⅴ部) 相続発生後の対応だけ

12-1. ①金利には「条件」を付ける

金利で対抗する場合、無条件に上げてはいけません。上げるなら、取引の状態と結びつけます。

条件 意味
年金受取の指定 長期の関係を得る(→第24巻第15章の設例で回収年数を計算した)
給与振込の指定 生活口座化の入口(→第24巻第9章)
口座振替◯本以上 決済が通る状態を作る(→第24巻第10章)
取引年数 既存顧客の維持

条件を付ける理由は、カニバリゼーション(自金庫内の付け替え)を避け、獲得コストを回収可能にするためです。無条件の優遇は、既存の顧客にも払ってしまいます(→第13章の設例)。

12-2. ②利便性は「土俵から降りないための投資」

利便性への投資は、収益を生みません。アプリを改善しても、少額送金に参加しても、直接の収益はほとんど増えません(→第25巻第6-2節)。

判断すべきは、「やらなかったら何を失うか」です。

やらなかった場合に起きること
若年層にとって、口座を作る理由がなくなる
生活口座になる前に、他行へ移る
30年後の顧客基盤が失われる(→第10章の将来価値)

⭐ポイント⭐:「利便性への投資は攻めではなく、土俵から降りないための会費である」。

12-3. ③経済圏には、原理で対抗する

第5-3節で述べたとおり、ポイント経済圏に同じ土俵で対抗することはできません。しかし、その狙い ― 決済を集めて口座を動かなくすること ― は、信用金庫にも実行できます。手段が違うだけです。

大手の手段 信用金庫の手段
ポイント還元 口座振替・給与振込・年金受取の獲得
アプリでの一元管理 渉外・窓口での接点、家族ぐるみの取引
グループ内の商品の束ね売り 事業性取引を通じた従業員の給与振込(→第24巻第9章)

手段は古典的ですが、目的は同じであり、効果も同じです。 第24巻第10章の設例で見たとおり、口座振替が揃った口座の平均残高は、そうでない口座の2倍以上になりました。

12-4. ④資産形成と(相続)は、第Ⅱ部で述べたとおり

繰り返しませんが、要点だけ。資産形成は「流出を止める手段」として推進してはいけません(→第7-3節)。相続は、発生してからでは遅く、生前の接点がすべてです(→第6-3節)。

13. やってはいけないこと ― 金利競争の罠

対抗策を考えるとき、先に「やってはいけないこと」を知っておくほうが安全です。ここでは最大の落とし穴である一律の金利引上げを、数字で確認します。

13-1. 【設例】一律の金利引上げは、何を守り、いくらかかるか

第9章の設例金庫で、個人預金の金利を一律に0.05%から0.15%へ引き上げる(+0.10%)としましょう。すべて単純化した仮の数字です。

費用

項目 計算 金額
対象 個人預金 3,000億円の全額
追加の金利負担 3,000億円 × 0.10% 年3億円
税引後 × (1−30%) 年2億1,000万円

効果

これによって、第9章で見た60億円の流出を完全に防げたとします(かなり楽観的な想定です)。

項目 計算 金額
守った資金 60億円
その資金が生む運用収益(有価証券利回り1.2%で運用) 60億円 × 1.2% 年7,200万円
税引後 × (1−30%) 年5,040万円

差引

項目 金額
費用(税引後) ▲2億1,000万円
効果(税引後) +5,040万円
差引 ▲1億5,960万円

13-2. なぜこうなるのか ― カバレッジの問題

原因は明快です。金利は3,000億円の全額に払い、守れるのは60億円だけだからです。

金額 全体に対する比率
金利を払う対象 3,000億円 100%
守りたい対象 60億円 2%

98%は、出ていく気のなかった顧客に払っています。 これは第24巻第15章で見たカニバリゼーションと同じ構造です。

さらに悪いことが2つ起きます。

副作用 内容
①ネット銀行は追随できる 経費率が低いので、こちらが上げれば向こうも上げられる。追いつけない(→第4-2節)
②集まる預金の質が悪い 金利で集まった預金は、金利で去る。粘着性が低く、コア預金として扱えない(→第13巻第2章)

⭐ポイント⭐:「一律の金利引上げは、98%に払って2%を守る施策である」。

13-3. その他の「やってはいけない」

やってはいけないこと なぜ
期末の数字合わせ 翌月には流出する。事務を増やして収益を生まない(→第27巻第2-3節)
流出を止めるための商品推進 投信・保険を「預金を留めるため」に売れば、顧客本位から外れる(→第7-3節、第27巻第11章)
指標を目標にする 口座数、アプリのダウンロード数、口座振替の本数。指標だけが達成される(→第27巻第10章)
「地域密着」で思考停止する 具体的な業務(相続、高齢者対応、事業性)で答えられなければ、勝っていない(→第4-3節)
流出を「一時的なもの」として様子を見る ケースAで痛みが小さいうちに手を打たないと、階段状に痛みが来る(→第9章)

担当者の心得:金利引上げの提案が出たら、必ず「対象を絞れないか」を検討してください。一律3,000億円に0.10%を払うのと、条件を満たす300億円に0.30%を払うのとでは、費用は3億円と9,000万円で3倍以上違います。しかも後者は、払う相手を選べます。「金利で対抗するか否か」ではなく、「誰に、どういう条件で払うか」が実務の問いです。

14. 何を守り、何を諦めるか

対応編の最後は、最も言いにくいことです。すべてを守ることはできません。

第25巻でオペレーショナル・レジリエンスの発想を扱いました(→第25巻第17-2節)。「守るべき重要業務を特定し、そこに資源を集中する」という考え方です。預金の防衛にも、同じ発想が要ります。

守るべきもの 理由
生活口座 平均残高・コア預金の実体。失えば戻らない(→第24巻第11章)
地区内の現役世代 将来価値が最も大きい(→第10章)
事業性取引に付随するリテール 取引先の従業員の給与振込。信用金庫が最も安く獲れる基盤(→第24巻第9章)
相続の接点 最大の構造的流出要因への唯一の打ち手(→第6-3節)
付保上限を超える大口の個人預金 流動性への影響が大きい(→第2巻第3章)
諦めてよいもの 理由
純粋な金利選好層の余資 金利で来た資金は金利で去る。追えば経費率の低い相手に負ける
地区外の顧客 そもそも追えない(→第16巻第10章)
比較サイト経由の獲得 継続性がなく、獲得コストに見合わない
少額の決済アプリへのチャージ 止められない。チャージ元の口座であり続けることを狙う(→第8章)

💡 ここでつまずきやすい:「諦める」は「何もしない」ではない

誤解:諦めるというのは、その分野を放棄するということだ。

正しい理解:「そこで勝とうとしない」ということです。金利選好層の余資を諦めるのは、預金を集めないという意味ではありません。その層のために全体の金利を上げないという意味です。地区外の顧客を諦めるのは、地区内の関係により多くの資源を割くという意味です。限られた資源をどこに集中するかを決めること ― それが戦略です。すべてを守ろうとする計画は、第25巻で述べたとおり、何も守れません。

担当者の心得:経営会議に流出の分析を上げるとき、「守る対象」と「守らない対象」を明示してください。守らない対象を書かない資料は、「全部やります」と言っているのと同じであり、資源配分の議論になりません。書きにくいことを書くのが企画部門の仕事です。

14-2. 【設例】「若年層に力を入れない」という経営判断は、持続するか

上の表で「地区内の現役世代」を守るべきものに挙げました。しかし実務では、これと正反対の経営判断が現に採られていることがあります。

「若年層は残高が小さく、獲得コストに見合わない。限られた人員は、残高の大きい高齢層と事業性取引に向ける。」

この判断は、短期の指標で測る限り、正しい。 第24巻第1-2節で見たとおり、20代以下は口座数の15%を占めながら残高では2%であり、1口座あたりでは赤字になりえます。3年で投資回収を測れば、若年層向けの施策はまず合格しません。

だからこそ、この判断が長期に何を意味するのかを、数字で確かめておく必要があります。 予測ではありません。いまいる顧客が20年ぶん歳を取るだけの、機械的な計算です。

前提(すべて単純化した仮の数字)

第24巻第1-2節の年齢構成をそのまま使い、預金量を1,000とします。

年齢階層 現在の残高 20年後、この層はどうなるか
20代以下 20 40〜50代へ。収入のピークに向かう
30〜40代 100 50〜60代へ。収入のピーク+退職金
50〜60代 280 70〜80代へ。まだ相続の手前
70代以上 600 大部分が相続を迎える
合計 1,000

ここで、2つの案を比べます。どちらも「高齢層向けの施策は現状どおり続ける」点は同じです。違うのは、現役層・若年層の生活口座化に資源を割くかどうかだけです。

  • A案:若年層には力を入れない(現状維持)
  • B案:現役層の生活口座化(給与振込・口座振替・住宅ローン。→第24巻第9-3節)に資源を割く

20年後の預金量

現在の層 現在 A案 B案 差がつく理由
70代以上 600 180 180 相続で地区外へ。ここは両案とも同じ(→第6章)
50〜60代 280 280 280 20年後に70代以上へ。ここも差はつかない
30〜40代 100 150 250 収入のピークを迎える。その増加分が自金庫に置かれるかは、生活口座かどうかで決まる
20代以下 20 40 100 同上
20年後の新規の若年層 ― 10 30 獲得の仕組みがあるかどうか
合計 1,000 660 840

この表の読みどころは3つあります。

第一に、上の2行では差がつきません。 70代以上の600が相続を通じて出ていくこと(残るのは地区内の相続人と手続きで信頼された分だけと置いて180)は、いま何をしても変えられません。流出の最大部分は、すでに確定しているのです。

第二に、B案でも預金量は減ります。 1,000 → 840。若年層への投資は「増やす施策」ではなく、「減り方を緩める施策」です。ここを取り違えると、「投資したのに増えないではないか」という評価になり、施策は3年で止まります。

第三に、差は20年で180、比率にして▲34%と▲16%の違いです。 これは「成長するかどうか」の差ではなく、「どの程度縮むか」の差です。

では、なぜそれが致命的になりうるのか ― 経費は同じ速さで減らない

預金量が減ること自体は、それだけなら経営の危機ではありません。問題は、経費が同じ速さでは減らないことです(→第25巻第12章:システム費用の大半は固定費と準固定費)。

資金利益 = 預金量 × 利鞘 とし、利鞘を0.5%、経費は20年かけて店舗統廃合等により 4.5 → 4.0 まで削減できたものとします。

現在 A案(20年後) B案(20年後)
預金量 1,000 660 840
資金利益(×0.5%) 5.0 3.3 4.2
経費 4.5 4.0 4.0
差引 +0.5 ▲0.7 +0.2

A案は、20年かけて経費を削っても赤字に転じます。 B案でも黒字幅は縮みます。若年層への投資は、収益を伸ばす施策ではなく、赤字転落までの距離を延ばす施策である ― これが、この2つの表が言っていることです。

⭐ポイント⭐:「若年層の獲得は、増やすための投資ではなく、減り方を選ぶための投資である」。

この経営判断が成り立つ条件、成り立たない条件

以上を踏まえると、「若年層に力を入れない」という判断は、次の条件が満たされるなら、経営判断として成り立ちます。

成り立つ条件 内容
固定費を、預金量の減少と同じ速さで落とせる 店舗・人員・システム。ただしシステム費用は階段状であり、区分をまたがない限り減りません(→第25巻第12〜13章)
貸出で資金の使い道を維持できる 預金量が制約にならないなら、縮小そのものは問題になりにくい
20年以内の再編を、選択肢として織り込んでいる 自金庫が単独で存続することを前提にしない、という判断はありえます

逆に、次のいずれかに当てはまるなら、この判断は持続しません。

成り立たない条件 内容
固定費が階段状で落ちない 実際にはこちらが通例です(→第25巻第13章の設例)
必要になってから始めればよい、と考えている 若年層の獲得は効果が出るまで10年単位かかります。減り始めてから着手しても間に合いません。この施策は不可逆です
単独での存続を前提としている それなら、20年後の顧客基盤は今つくるしかありません

そして、これは収益の問題である以前に、業態の問題です

最後に、株式会社の銀行にはない論点を1つ。

信用金庫は、会員の相互扶助を目的とする協同組織金融機関です(→第0巻第2章、第16巻)。会員は、地区に住み、地区で働き、地区で事業を営む人々です。

会員の世代交代が起きなければ、収益より先に、会員組織そのものが縮みます。

総代会を支える会員が高齢化し、次の世代が会員になっていなければ、それは預金量の問題ではなく、協同組織としての基盤の問題です。株式会社なら、株主構成が変わっても事業は続きます。協同組織は、担い手が入れ替わらなければ続きません。 ここが、同じ「若年層取引」という言葉でも、信用金庫と地域銀行で重みが違う理由です。

💡 ここでつまずきやすい:「若年層は費用対効果が悪い」という分析は、間違っているのか

誤解:上の話からすると、若年層の採算が悪いという分析は誤りだということになる。

正しい理解:分析は正しい。誤っているのは測定期間のほうです。 1口座あたりの採算(→第24巻第7章)を単年度で測れば、若年層は赤字です。それは事実です。

問題は、その物差しで測る限り、答えは永遠に「やらない」になることです。第4巻で資本コストを扱ったとき、「稼ぐことは目的ではなく、地域に資金を供給し続けるための手段である」と述べました(→第4巻第1章)。手段の効率を測る物差しで、目的そのものを判断してはいけません。

実務的な処方箋は単純です。若年層向けの施策は、単年度の採算ではなく「10年後の生活口座数」で評価すると、あらかじめ決めておくこと。評価の物差しを先に決めないまま始めた施策は、必ず3年目に止まります。

担当者の心得:中期計画の資料に、「20年後の年齢階層別の預金残高の推計」を1枚入れてください。作り方は、上の設例のとおりいまの残高を20年ぶん歳を取らせるだけです。景気も金利も金融政策も要りません。だからこそ、誰も反論できない資料になります。

そして、その1枚を出したうえで問うべきことは、「若年層をどう獲るか」ではありません。「A案とB案のどちらを選ぶのか。選んだ以上、固定費をどう落とすのか、あるいは20年後の姿をどう描くのか」です。若年層の獲得は施策の話に見えて、実は自金庫の20年後の姿を決める意思決定です。第Ⅳ部の最後にこの節を置いたのは、そのためです。

ここまでの筋(3行)

① 4つの動機には、それぞれ別の手段が要る。金利で答えられるのは1つだけであり、利便性への投資は土俵から降りないための会費である。

② 一律の金利引上げは、98%に払って2%を守る施策になる。金利で対抗するなら、必ず条件を付けて対象を絞る。

③ すべては守れない。守る対象と守らない対象を明示することが、資源配分の議論の出発点になる。ただし若年層だけは別扱いになる ― 獲得に10年単位を要する不可逆な施策であり、単年度の採算という物差しで測る限り答えは永遠に「やらない」になる。


第Ⅴ部 比較編

15. 地域銀行ならどうか/国際的な位置づけ

15-1. 地域銀行ならどこが変わるか

預金流出は、信用金庫だけの問題ではありません。地域銀行も、そしてある意味では大手銀行も、同じ流れの中にあります。違いは打てる手の幅にあります。

論点 信用金庫 地域銀行
地区の制約 地区から出られない。相続人が地区外なら追えない 制約がない。県外への展開も可能
グループ内の商品 証券・カード・保険を自ら持たない。提携で補う グループ証券会社等を持つ例がある
アプリの独自性 共同システムの仕様に制約される(→第25巻第17-1節) 相対的に自由度がある
金利競争の体力 経費率が高く、体力が乏しい 相対的に大きいが、ネット専業には及ばない
顧客の年齢構成 高齢層への偏りが強い。相続の影響が大きい 相対的に分散
強み 地区内での関係の濃さ、事業性取引との接続 規模、商品の幅

構造的に厳しいのは、「地区の制約 × 顧客の高齢化」の組合せです。地域銀行なら、相続人が県外に転出しても取引を継続できる余地があります。信用金庫は原則としてできません。第6章で述べた相続による流出は、信用金庫にとって地域銀行より重い問題です。

一方で、信用金庫にしかない強みもあります。事業性取引と個人取引が、同じ営業店・同じ担当者を通じてつながっていることです。取引先の従業員の給与振込は、大手銀行が最も獲りにくく、信用金庫が最も安く獲れる基盤です(→第24巻第9章、第27巻第1章)。規模で負ける業態が、密度で勝つという構図は、ここに現れます。

15-2. 国際的にはどう見られているか

①「安定的なリテール預金」という区分の前提

第24巻第24-2節で扱ったとおり、バーゼルⅢのLCRでは、預金を流出しやすさで区分し、付保されていて、かつ取引関係が確立している預金に最も低い流出率を当てています。この考え方自体は、本巻の議論とまったく整合します。生活口座は動かない ― これは国際的にも確認された経験則です。

②しかし、その前提はデジタル化によって揺らいだ

2023年のシリコンバレー銀行(SVB)の破綻は、この前提に疑問を投げかけました(→第2巻第8章)。同行の預金は付保上限を超える法人預金に偏っており、しかもSNSを通じた情報の伝播と、銀行アプリからの操作によって、従来の想定をはるかに超える速度で流出しました。

この事例を受けて、国際的にも流出率の前提や、モニタリングのあり方を見直す議論が行われています。議論の状況と結論は流動的であるため、最新の当局・国際機関の公表資料で確認してください。

③国内基準行に直接適用されない理由

LCR・NSFRが適用されるのは国際統一基準行(海外営業拠点を持つ銀行)であり、信用金庫には遵守義務がありません。理由は本シリーズで繰り返してきた2点です。

  1. LCR・NSFRは、国際金融市場での競争条件の平準化と、国境を越えた流動性ショックの伝播の防止を目的とする。市場性調達に依存する銀行を念頭に設計されている。
  2. 信用金庫の調達は地区内の個人・中小企業の預金が中心であり、LCRが警戒している調達構造をそもそも持っていない。代わりに、監督指針に基づく態勢整備と早期警戒制度の流動性の着眼で対応する(→第6巻第3章)。

ただし、適用されないことと無関係であることは違います。国際規制の考え方は、業界標準の"ものさし"として、実務や当局のモニタリングで参照されます。 本巻の文脈では、次の3点がそのまま使えます。

国際的な考え方 本巻での使い道
預金を流出しやすさで層に分ける 第10章の年齢階層別の分析。「うちの預金は動かない」ではなく「どの層が動かないのか」を分解する
「安定的」の条件に取引関係を置く 第12章の対抗策の設計根拠。金利ではなく取引関係で守るという方針の裏づけ
デジタル化による流出速度の変化を織り込む 第11章のコア預金モデルの再推計、第19巻のストレステストのシナリオ設計

15-3. SVBと信用金庫は、何が同じで何が違うか

最後に、誤読を防ぐために整理します。

SVB 信用金庫
預金者 付保上限を超える法人に極度に偏在 付保の範囲内の個人が中心
集中度 特定の業界に集中 地区内で相対的に分散
流出の引き金 信用不安。危機時の流出(→第2巻) 平時の、静かな流出(本巻)
速度 極めて速い 遅い。しかし継続的
戻るか 戻らない(破綻した) 生活口座は戻らない、資金は戻りうる

構造はまったく違います。 信用金庫の預金は、世界的に見ても最も安定した部類の調達です。SVBの事例を「明日にも取り付けが起きる」という警告として読むのは、誤読です。

引き出すべき教訓は、もっと限定的で、もっと本質的です。

粘着性は、預金者の信頼と、口座を移す手間の両方に支えられている。そして手間のほうは、技術によって消えていく。

信用金庫にとって、これは危機の警告ではなく、平時の流出が加速するという意味です。だから本巻は、危機時の流出を扱う第2巻とは別に置かれています。

⭐ポイント⭐:「第2巻は音を立てて起きる流出を扱い、本巻は音もなく積み上がる流出を扱う」。

ここまでの筋(3行)

① 地区の制約と顧客の高齢化の組合せにより、相続による流出は信用金庫にとって地域銀行より重い。一方で、事業性取引と個人取引の接続は信用金庫の固有の強みである。

② 国際的には「付保 + 取引関係」を安定的なリテール預金の条件としており、本巻の議論と整合する。ただしデジタル化を踏まえた前提の見直しが議論されている。

③ SVBと信用金庫は構造がまったく違う。教訓は取り付けの警告ではなく、摩擦の消滅による平時の流出の加速である。


第Ⅵ部 まとめ

16. 実務での留意点

①捉え方

  • 本巻が扱うのは危機時の流出ではなく、平時に静かに積み上がる流出である。
  • 動機は4つ(金利・利便性・経済圏・資産形成)。金利で対抗できるのは1つだけ。
  • 「資金の移動」と「口座の移行」を区別する。資金は戻ることがあるが、生活は戻らない。
  • 取っていないデータは分析できない。解約の理由と口座属性を、意識して記録する。

②測り方

  • 残高の前年比だけを見ない。見るのは口座数、年齢階層別残高、新規口座の稼働率、解約理由。
  • 月次報告に平均調達コストを併記する。残高が横ばいでコストが上がっていれば、流出を金利で埋めている。
  • 口座振替の本数が減った口座を抽出する。残高より早く動く早期警戒指標である。
  • 集計軸に年齢階層を加える。年齢は将来の取引年数の代理変数である。

③分析

  • 流出の痛みは額ではなく何で埋めたかで決まる。余裕資金があるうちは痛くないので、対応が遅れる。
  • 含み損のある局面では、流出は自己資本にも効く(→第19巻第5章)。
  • 額の大きい順に対策を打つ直感を疑う。将来価値では若年層が最大になりうる。
  • コア預金モデルは過去の摩擦を前提にしている。層別・属性別の推計と、保守的なシナリオの併用を。

④打ち手

  • 金利で対抗するなら、必ず条件を付けて対象を絞る。一律は98%に払って2%を守る施策になる。
  • 利便性への投資は収益を生まない。やらなかったら何を失うかで判断する。
  • 経済圏に同じ土俵で対抗しない。口座振替・給与振込・年金受取で同じ状態を作る。
  • 資産形成は「流出を止める手段」として推進しない。
  • 相続は発生してからでは遅い。生前の接点と手続きの品質がすべて。
  • 守る対象と守らない対象を明示する。書きにくいことを書くのが企画部門の仕事。

担当者の心得(本巻の総括):預金の流出は、多くの金庫で「危機感を共有する」という形で語られます。しかし、危機感は施策になりません。施策になるのは、分解された事実です。誰が、いくら、どこへ、なぜ動いたのか。それを何で埋めたのか。守るべきはどの層か。

本巻の道具はすべて、この分解のためにあります。「預金が減っている」という文を、20の数字に置き換えること ― それが、この巻を読み終えた人にできるようになっていてほしいことです。

17. つまずきやすいポイント総まとめ

用語・概念 章 一言で言うと
平時の流出 1 気づきにくく、戻らず、質の良い層から先に動く
流出の4つの動機 2 金利・利便性・経済圏・資産形成。金利で対抗できるのは1つだけ
動機の連鎖 2-1 入口は金利でも、出口は生活口座の喪失
第5の要因(相続) 2-2 ①〜④は顧客の選択だが、相続は顧客が選んだ結果ではない。必ず起きる
富裕層の流出 6-4 相続を待たずに出ていく。縁がないのは商品であって、顧客ではない
若年層への投資 14-2 増やすための投資ではなく、減り方を選ぶための投資。単年度採算で測る限り答えは永遠に「やらない」
額・率・質 3 この順に重要度が上がる。質は意識してデータを取らないと分からない
資金の移動と口座の移行 3-1 資金は戻ることがあるが、生活は戻らない
ネット銀行の高金利 4-1 気前の良さではなく、店舗を持たない経費構造の差の分配
金利競争の構造 4-2 経費率の低い側が必ず勝つゲーム。正面から戦わない
ネット専業にできないこと 4-3 相続、高齢者対応、事業性、地域。具体的な業務で答えられなければ勝っていない
経済圏型の本質 5-2 金利ではなく囲い込み。金利を払わずに生活口座を得る仕組み
「決済が集まる口座は動かない」 5-3 規模を問わず成り立つ原理。手段はポイントでなくてよい
相続による流出 6-2 顧客の不満によらず必ず起き、地区の制約で相続人を追えない
相続手続きの品質 6-3 事務品質ではなく営業。遺族が複数の金融機関を同時に比較する機会
投資への流出の両義性 7-1 流出でもあり機会でもある。ただし受け皿に選ばれるとは限らない
投資が招く連鎖 7-2 入金経路としてネット銀行の口座が作られ、生活口座が移る
決済アプリ 8 直接の流出は小さいが、決済が自金庫を通らなくなる。チャージ元であり続ける
流出の痛みの決まり方 9 額ではなく何で埋めたか。ケースAとBで減益額が23倍違う
残高で見えない流出 9 金利で埋めたケースDは、残高が1円も減らないまま減益になる
額と将来価値の逆転 10 額は高齢層が3分の2、将来価値は若年層が4分の3
コア預金モデルの限界 11-1 過去のデータは過去の摩擦を前提にしている
早期警戒指標 11-2 口座振替の本数、若年層の口座数、新規口座の稼働率
条件付きの金利優遇 12-1 カニバリを避け、獲得コストを回収可能にするための条件
利便性への投資 12-2 収益は生まない。土俵から降りないための会費
一律の金利引上げ 13-1 98%に払って2%を守る。設例では税引後▲1億5,960万円
金利で集めた預金の質 13-2 金利で来た預金は金利で去る。コア預金として扱えない
守らない対象の明示 14 「諦める」は放棄ではなく「そこで勝とうとしない」
SVBとの違い 15-3 構造はまったく違う。教訓は取り付けではなく摩擦の消滅

まとめとセルフチェック

○×で答えてください。

  1. 本巻が扱うのは、信用不安によって短期間に大量の預金が流出する事態である。
  2. 預金流出の動機は主として金利差であり、金利を引き上げれば大半は防げる。
  3. 定期の満期に資金だけが他行へ移った場合と、給与振込・口座振替ごと移った場合とでは、戻る可能性が大きく異なる。
  4. ネット銀行が高い預金金利を提示できるのは、店舗やATMを持たないことによる経費構造の差による。
  5. 経費率の高い金融機関が経費率の低い金融機関と金利競争をすれば、いずれ有利になる。
  6. 経済圏型の総合金融サービスの狙いは、高い預金金利で顧客を集めることにある。
  7. 相続による資金流出は、顧客が金庫に不満を持っているために起きる。
  8. 信用金庫は地区の制約があるため、相続人が地区外に住んでいる場合、原則としてその相続人と取引を継続できない。
  9. 預金が流出しても、余裕資金(日銀当座預金等)で埋められるうちは、損益への影響は小さい。
  10. 流出した預金を高い金利のキャンペーン定期で埋めた場合、預金残高は減らないので収益にも影響はない。
  11. 流出額の大きい年齢階層が、将来の逸失利益の大きい年齢階層と一致するとは限らない。
  12. コア預金モデルは過去の残高推移から推計するため、口座を移す手間が減った変化を自動的に織り込む。
  13. 個人預金の金利を一律に引き上げる施策は、流出しない顧客にも金利を払うことになる。
  14. 利便性への投資(アプリ、少額送金への参加)は、それ自体で大きな収益を生む。
  15. LCRにおける「安定的なリテール預金」の条件は、付保されていることと取引関係が確立していることである。
  16. シリコンバレー銀行の預金構造は、日本の信用金庫の預金構造とよく似ている。

解答

問 答 ひとこと
1 × それは第2巻。本巻は平時に静かに積み上がる流出(第1章)
2 × 動機は4つあり、金利で対抗できるのは1つだけ(第2章)
3 ○ 資金は戻ることがあるが、生活は戻らない(第3-1節)
4 ○ 高い金利は経費構造の差の分配である(第4-1節)
5 × 金利競争は経費率の低い側が必ず勝つ(第4-2節)
6 × 狙いは金利を払わずに生活口座を得ること(第5-2節)
7 × 不満とは無関係に必ず起きる構造的な流出(第6-2節)
8 ○ 地域銀行なら追える顧客を、信用金庫は追えない(第6-2節、→第16巻第10章)
9 ○ 設例では税引後▲210万円。だから気づかない(第9章ケースA)
10 × 設例では税引後▲2,016万円。残高では検出できない(第9章ケースD)
11 ○ 額は高齢層、将来価値は若年層に偏りうる(第10章)
12 × 過去の摩擦を前提にしている。織り込まない(第11-1節)
13 ○ 設例では98%が「出ていく気のなかった顧客」への支払い(第13-2節)
14 × 収益は生まない。土俵から降りないための会費(第12-2節)
15 ○ 営業店の「メイン口座」と同じ条件(第15-2節、→第24巻第24-2節)
16 × 付保超過の法人偏重と、付保内の個人中心。構造はまったく違う(第15-3節)

用語集

用語 意味
平時の流出 危機時ではなく、通常の環境下で継続的に生じる預金の流出
資金の移動/口座の移行 資金だけが動くか、給与振込・口座振替ごと生活口座が移るか。後者はほぼ戻らない
流出の質 誰が、どういう取引を、どこへ動かしたか。額・率より重要な物差し
将来の逸失利益 流出した口座が生むはずだった収益の累計。年齢階層により大きく異なる
ネット専業銀行 店舗を持たず、オンラインで業務を完結させる銀行
経済圏(総合金融サービス型) 銀行口座・カード・ポイント・証券等を1つのブランドとアプリに束ねたサービスの類型
ポイント経済圏 決済に応じたポイント還元を軸に顧客を囲い込む仕組み
信託銀行 信託業務を営む銀行。遺言信託・遺産整理業務等を通じて相続・資産承継に関与する
遺言信託・遺産整理業務 遺言の作成助言・保管・執行、相続手続の代行等のサービス
NISA(少額投資非課税制度) 一定の投資から生じる収益を非課税とする制度。「貯蓄から投資へ」の中心的な手段
コード決済(スマホ決済) スマートフォンのアプリを用いた決済。口座からのチャージ等により資金を取り込む
チャージ元口座 決済アプリへの資金の供給元となる預金口座
カニバリゼーション 施策によって集めた資金が、自金庫内の他の預金からの移動にすぎない現象(→第24巻第15章)
コア預金 要求払預金のうち、長期間滞留すると見込まれる部分(→第7巻第8〜9章)
平均調達コスト 預金等の調達に要した利息の平均。残高と併せて見ることで流出が見える
早期警戒指標 残高より早く動く指標。口座振替の本数、若年層の口座数、新規口座の稼働率など
安定的なリテール預金 LCRの区分の1つ。付保され、かつ取引関係が確立している預金
デジタルバンクラン 情報の伝播とオンライン操作により、極めて短時間に大量の預金流出が生じる現象(→第2巻第8章)
摩擦(スイッチングコスト) 口座を他の金融機関へ移すために要する手間や心理的な負担。粘着性の一部を支えている

参考文献・出典

制度・サービスは変化が速い分野です。実務では必ず最新の資料を参照してください。

  • 金融庁「中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針」(流動性リスク管理態勢、顧客本位の業務運営に関する箇所)
  • 金融庁「資産運用立国」「資産所得倍増」に関する公表資料、NISA制度に関する案内
  • 日本銀行「金融システムレポート」(預金構造、家計の金融資産、地域金融機関の収益構造に関する分析)
  • 全国銀行協会・全国信用金庫協会の公表統計(預金の種類別・年齢別の動向を含む)
  • 日本銀行「資金循環統計」(家計の金融資産の構成の変化)
  • バーゼル銀行監督委員会「流動性カバレッジ比率(LCR)」に関する文書、および2023年の銀行破綻に関する分析・報告
  • 各金融機関・事業者の公表資料(総合金融サービス、ネット専業銀行、信託銀行の業務内容。個別のサービス仕様は変更が頻繁なため、必ず提供者の最新の公表資料で確認すること)
  • 自金庫の預金統計、顧客属性データ、ALM関連資料、コア預金モデルの推計資料

注記:本文中の設例に用いた数値(預金・有価証券の残高と利回り、流出額、口座数、1口座あたりの逸失利益、金利引上げ幅など)は、すべて説明のために単純化した仮の数値です。実際の水準は金庫ごとに大きく異なります。自金庫のデータで必ず置き換えてください。また、第Ⅱ部で言及した個別のサービス(名称・開始時期・機能)は、本文執筆時点で広く公表されている情報に基づく例示であり、内容は変更されうる点にご留意ください。


本テキストは制度理解のための教育用資料です。個別の処理・判断は、個別事情や最新の法令・会計基準・監督指針により異なります。実際の処理・判断にあたっては、自金庫の経理/財務/リスク管理部門および監査法人・税理士・当局公表資料で必ずご確認ください。

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